先日、「そろそろワカサギ釣りのシーズンだな」と思って、釣具屋さんへ行って仕掛けやら最新の道具などを物色していました。
するとかつての同僚とばったり会ったのです。
彼は釣り好きで知られていて、たしかワカサギ釣りもしていたはずです。
「どう、ワカサギ釣りにでも行くの?」
そう訊くと彼は「はい、今度いつもの釣り仲間で行こうかと思ってるんです」とのこと。
「これからワカサギ釣りに行くとしたらどこに行くの?」
「今回は阿寒湖狙いです。ホテルの前にビニールハウスのドームがあって楽ちんに釣りができますから」
「阿寒湖とはまた結構遠いね。ワカサギ釣りのテントなんかは持っていないの?自前の道具で釣るんじゃないの?」
すると彼はこう言いました。
「テントも持っているんですけど、だんだん億劫になってきましてね。阿寒湖だったら湖畔に泊まって、お金さえ払えば全部レンタルで釣りが楽しめます。それにつったワカサギを天ぷらにしてくれるサービスもあるでしょう。こっちは朝からお酒を飲みながらでも釣りができる、というのも優雅なものですよ」
確かに、ワカサギ釣りは楽しいと言えども、自前の道具を運んで設営して釣りをして、また片づけて運ぶという一連の行動がだんだん疲れるように感じてきていました。
逆に、それに気がついているからこそ、内心で(それは精神の老化だ!まだまだ楽な路線にいっちゃいかん!)と自分を戒めてもいたところです。
なにか、自分の心を見透かされたような気がして、ちょっとドキッとしました。
◆
趣味がだんだん億劫になりかけています。
はじめのうちは道具を集めることだけでも楽しかったのですが、だんだん道具に振り回されて、大仰な荷物で大移動をするということが増えました。
ワカサギ釣りもしかりです。
生き延びるためには変化を恐れてはいけない、変化し続けなければいけない、とよく言われます。
しかしその変化も、変化によって生じる後始末やらマイナスな要素を増やしてゆくということにもつながりかねません。
断捨離もそうですが、どこかでグレートリセットをする必要があるのかもしれませんね。
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