北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

鉄道資産を生かした安平町の道の駅 ~ 都市計画セミナーVOL.2

2019-02-28 23:59:28 | Weblog

 今日は、夜18時30分から札幌市内の会議室にて、都市計画学会の都市地域セミナー「鉄道遺産、鉄道資産を生かしたまちづくり Vol.2」を開催しました。

 「Vol.1」は、昨年11月10日に道庁赤れんが庁舎で開催しましたが、今回は、往年のSLを保存するコーナーを設けて、この4月19日にオープンが予定される、安平町の「道の駅あびら D51ステーション」を取り上げることとしました。

 二人の講師を招いて、それぞれ講演をいただき、その後でコーディネータを交えて三人による鼎談(ていだん)という形で議論を深めます。

 まず一人目の講師は、安平町地域推進課 道の駅経営推進グループリーダーの岡 康弘さん。

 岡さんからは、この「道の駅あびら」の構想とねらいなどについてのお話をいただきました。

 安平町は、千歳市の右側に位置していて、平成18年に追分町と早来町が合併してできた町です。そしてこの追分町はもともと、明治25年に夕張セント室蘭線の分岐点に追分駅ができたことで発展を始めます。

 追分駅には機関区が設けられて蒸気機関車のメッカとなり、国鉄最後のSLが走った場所としてSLファンの聖地でもあるといいます。

 しかし1987年の国鉄分割民営化と時を同じくして、夕張線の石炭列車も廃止され、急激な人口減少が始まります。

 そこで当時の追分町は、鉄道のまちから住宅のまちへとまちづくりの方向を転換し、町内の鉄道用地を買い上げて宅地化して分譲するなどし、一定の成果をあげてゆきましたが、その一方で鉄道文化は次第に町民から薄れていきました。

 そうしたことを受けて、旧追分町時代に「鉄道文化村構想」が打ち出されましたが、財政悪化や、早来町との合併ということもあり、合併後に旧追分町の構想は、政策順位が低いままとなり事業化が先送りされてきました。

 それが前町長である滝町長の時代に、「人口減少を食い止めるためにも、地域の有効資源を集中的に発信して、交流人口を増やし、活性化するため」に、道の駅構想が浮かび上がり、このなかで道の駅と鉄道資料館を一体施設化した「会友・交流ステーション構想」が策定されます。

 しかし町民からは、「今さら道の駅なんて二番煎じだ」「産業道路は観光に不向きだ」などの反対意見も多く、2017年度の当初予算は賛否が拮抗するギリギリの承認となりました。

 岡さんは、「これはこの段階で、もう町民には『鉄道文化』という地域資源の可能性を、行政も議会も町民も持ち合わせていなかったのだと思います」と言います。

 つまり、行政が先行して鉄道文化を残すためのハード施設を先行させても、その先どうしたらよいか、という発想も持ち合わせていなかったのだと。

【救世主登場】
 そんなところへ、謎の男性から一本の電話がかかってきます。電話の主旨は、「国鉄で退役する『キハ183』という車両を購入して道内で保存する計画を進めているのだけれど、安平町で保存してもらえないか」というもの。

 電話の主は誰あろう、今日のもう一人の講演者の矢野友宏さんでした。

 矢野さんはそれまでにも、鉄道観光資源研究会に所属して、クリーム色と赤の組み合わせの往年の名特急おおぞらの車両を保存する活動をしていたのですが、保存先として声をかけた自治体からはことごとく断られていて、心が折れかけていた時期。

 そんなときにテレビのニュースで、安平町が保存しているSLを道の駅に移設すると聞いたことから、(今までSLを保管していた車両倉庫が空くのなら、そこで保存してもらえないものか)と思って連絡をしたのだそう。

 (どうせこんかいもだめだろう)と思っていたのが、「それでは一度話を聞かせてください」という事になり、安平町役場へ行ったところ、教育委員会の担当者だけではなく、道の駅建設部隊の方も同席して一緒に話を聞いてくれ、最後には「どうせなら道の駅に置きませんか」という逆提案まで頂きました。

 どうやら保存場所は確保できそうな雰囲気が出てきましたが、問題はその費用です。

 そこで矢野さんは、北海道鉄道観光資源研究会としてのクラウドファンディングを2018年1月1日から3月30日まで期間で立ち上げ、より多くの方を対象に情報を発信し、共感を得るべくサポートを行いました。

 この運動が始まるよ、ということが知られた初日には、ツイッター上で7000人という、ものすごい数のアクセスがありましたが、アクセス数はすぐに鎮静化。

 しかし、一日数百人というアクセスが続き、第一目標額の610万円は軽々と突破し、二両目保存のための第二目標1100万円も、クリアし、最終的には1386万円を集めることができたのでした。

 この間の苦労については、横から岡さんが「ネットで発信したことで、伝えられる範囲が広がったことと、なにしろマメにほぼ毎日、小ネタをアップして世間の関心を引き続ける努力が実ったのだと思います」と説明してくれました。

 こうして保存するための資金も確保できた昨年、色を現役当時のものに再塗装して現地に運び込もうと思った矢先の平成30年9月6日に、隣町の厚真町を震源地とする最大深度7の北海道胆振東部地震が発生しました。

 この地震の影響で、道の駅の施設にも被害が出て、秋の車両移設は今年の開園後の6月まで延期になりました。

 しかしこれもまたピンチはチャンス。 「ゴールデンウィークの開園直後は大人気になると思いますが、それも下火になるころに、次の話題として特急車両の移設が行えるので、話題性の継続という意味ではこれもまた良かったのだと思います」と岡さんは前向きです。

 安平町では、道の駅での外部からの来客による交流を地域の活性化につなげたい、と考えていますが、さらに、北海道鉄道観光資源研究会と縁ができたことで、鉄道文化の価値を改めてより深く教えてもらう事が出来た、と考えています。

 またさらに、北海道鉄道観光資源研究会のつながりで、台湾で日本統治時代にできた追分という地名のついた小学校との交流も始まりそうだ、という予想もしなかった海外交流の話まで出ているのだそう。

 安平町と北海道鉄道観光資源研究会の思いが合致して、さらに幅広く多くの鉄道ファンにまで情報が伝わり、共感の心が生まれた時に、人の気持ちが動き、お金も動くという新しい交流や経済が発生するという、極めて興味深い事例と言えるでしょう。

 都市計画学会としては、このような多くの事例の紹介が、他の地域での参考になるのではないか、と考えるもので、これからも今日のようなセミナーを開催して、地域に還元して行きたいと思います。

 講師の岡様、矢野様、そして今回も共催という形で陰に陽にご協力いただいた、北海道鉄道観光資源研究会の皆様に心から感謝申し上げます。

 ありがとうございました。


 

 

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