北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

貧困の国…ってホント?

2009-10-21 23:19:13 | Weblog
 日本の貧困率が公表されて、先進国で際立つ高水準なのだそうです。

 ああ、日本も貧乏になったのだなあ…、と思いがちですが、本当にそうなのかよく考えてみたいと思います。

 まずはメディアからの引用です。

---------- 【ここから引用】 ----------

<貧困率>日本15.7% 先進国で際立つ高水準 10月20日13時2分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091020-00000047-mai-soci


 長妻昭厚生労働相は20日、国民の貧困層の割合を示す指標である「相対的貧困率」が、06年時点で15.7%だったと発表した。日本政府として貧困率を算出したのは初めて。経済協力開発機構(OECD)が報告した03年のデータでは、日本は加盟30カ国中4番目に悪い27位の14.9%で状況は悪化している。日本の貧困が先進諸国で際立っていることが浮き彫りとなった。

 相対的貧困率は、国民の所得分布の中央値と比較して、半分に満たない国民の割合。今回はOECDの算出方法を踏襲した。06年の子供(17歳以下)の相対的貧困率も14.2%で、03年のOECDデータの13.7%(30カ国中19位)より悪化している。

 03年OECDデータで貧困率が最も高いのは、メキシコの18.4%で、トルコ17.5%、米国17.1%と続く。最も低いのはデンマークとスウェーデンの5.3%。

 長妻厚労相は「OECDの中でもワーストの範ちゅうに入っており、ナショナルミニマム(国が保障する最低限度の生活)と連動して考えたい。来年度から支給する子ども手当で貧困率がどう変化するかもシミュレーションしていく」と述べた。

 民主党は衆院選マニフェスト(政権公約)で貧困の実態調査と対策を明記していた。【佐藤浩】

 【ことば】▽相対的貧困率▽ 国民一人一人の所得(等価可処分所得)を順に並べて真ん中の額(中央値)を割り出し、その額の半額に満たない人の割合がどのくらいかを示す。国民の経済格差を示す指標となる。等価可処分所得は、直接税などを除いた世帯の可処分所得を世帯の人数の平方根で割って算出する。06年の所得を基にした中央値は228万円。


---------- 【引用ここまで】 ----------

 この最後の相対的貧困率の説明は、一見事実を説明をしているようでいながら巧みに本質を避けています。

 相対的貧困率に対しては「絶対的貧困率」という指標もあり、それとの違いや、貧困を多面的な視点で捉えた議論がなくてはなりますまい。





http://www.worldmapper.org/display.php?selected=149

The map shows the earnings of the poorest tenth of the population living in each territory. Japan is disproportionately large because Japan is the territory where the poorest have the highest average incomes.

India is large because a tenth of the population (105 million) earning a little each, earn a lot together.

In territories with the lowest per person earnings amongst the poorest tenth, measured in purchasing power, the poor earn less than 1% of the earnings of the richest groups of poor people.

 【訳】
 地図は、それぞれの領土ごとに、所得が全人口の下位10%の範囲に属する人たちの総収入を示しています。日本は、圧倒的に大きく表示されていますが、これは最低所得者の平均収入が最も高いことを示しています。つまり、人口に対して領土が大きく表示されているほど、世界的に見て、その領土の低所得層の人たちは裕福ということになります。

インドが大きく表示されているのは、人口の10%(1億5百万人)が、それぞれ僅かな収入でも、全体では高い収入になっているからです。

購買力で計ったとき、所得が下位10%に属する人たちの一人当たりの収入が最も低い領土では、貧困層の所得は、最裕福層の所得の1%以下だというデータが出ています。


    ※    ※    ※    ※

 これと同じく、下位20%の人たちの収入による地図もあるのですがそちらには、『日本は世界で最も豊かな貧者を抱える地域である。日本在住者のなかで最も貧しい20%の平均所得は他の8地域の同等グループの平均所得の少なくとも7倍はある』と書かれています。
 http://www.worldmapper.org/display.php?selected=151
 
 
 相対貧困率で大変だ、と言う前に、数字の意味を別な観点で見て、草ではない見方も紹介して欲しいものです。

 その両方があれば、読者はそれなりに考えることが出来るはずです。多分今のメディアに欠けているのは、そうした違う視点からのコメントであり、それがない一方的な価値観の垂れ流しは、タダの洗脳に近くなってしまうのだと思います。



 ちなみに、ソースは同じですが、それぞれを数字で表したデータもありました。

---------- 【ここから引用】 ----------
人口の下位10%貧困層の所得(2002年調査) http://members3.jcom.home.ne.jp/takaaki.mitsuhashi/data_03.html#Jinkou

順位 国名 人口(100万人) 平均年間所得
1 ルクセンブルグ 0.4 $23,800
2 ノルウェイ 4.5 $14,395
3 日本 127.5 $12,894
4 フィンランド 5.2 $10,469
5 アイルランド 3.9 $10,231
6 スウェーデン 8.9 $9,404
7 オーストリア 8.1 $9,001
8 ドイツ 82.4 $8,683
9 オランダ 16.1 $8,172
10 ベルギー 10.3 $8,021
11 デンマーク 5.4 $8,007
12 スイス 7.2 $7,901
13 アイスランド 0.3 $7,701
14 フランス 59.8 $7,498
15 カナダ 31.3 $7,386

情報ソース WorldMapper Poorest Tenth

 人口の下位10%貧困層の年間所得を平均したものです。都市国家や、人口の少ない諸国を除き、人口5000万人以上の国々で見ると、日本の貧困層(下位10%)が圧倒的な高所得である事が分かります。
 $12,894と言っても、日本は物価が高いから暮らしは貧しい、などの理屈を言うなかれ。
 デフレと価格破壊を経て、ビッグマック指数でも見たように、日本国内の物価は諸外国に比べると、安くなっているのが現状です。「日本は物価高」など、もはや世迷言でしかありません。少なくとも日本国内における$12,894は、物価高に悩むヨーロッパにおける$12,894よりも、はるかに価値があります。 
 また、ベスト15に発展途上国の中国や韓国が入っていないのは分からないでもないですが、アメリカや英国までもが入っていないのは、注目するべきでしょう。ちなみに、アメリカの数値は$6,730、英国は$5,504でした。

---------- 【引用ここまで】 ----------

 一方的な見方しか示されていない時にはそれを疑うような視点を常に持ち続けたいものです。


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踏み台にしてはなりません

2009-10-20 23:33:12 | Weblog



 元気な人に会ってお話を聞くと元気になります。

 先日、NPO活動に後半生を掛けているエネルギッシュな方のお話を聞く機会がありました。そのお相手は、NPOフユージョン長池の代表である富永さんという方。

 私の専門である都市公園・緑地の世界では、多摩ニュータウンにある長池公園の管理を八王子市から委託されて実施しているNPOの代表というイメージだったのですが、実際にお話を聞いてみるととんでもない方だと言うことが分かりました。

 富永さんは、若い時は世界的な紙パックメーカーの営業として活躍し、営業で世界各国30カ国以上も巡り、自分自身優秀な営業マンを自負されていました。

 それが多摩ニュータウンのマンションに引っ越してきて、ここでの生活を楽しんでいる最中、同居されていたお母さんが亡くなったのだそう。

 そのときに言われたのが、「結局死ぬ時は誰も来てくれないねえ…」という言葉。地域の中に埋没して、地域と関わりを持たないまま生活をすると言うことは、引退した後もつまらない人生になるな、という思いがしたのだそう。

 それからは地域の中でマンション管理を引き受けたり、地元でお祭りを企画したりして少しずつ地域の中でのコーディネーター役を自覚して様々に活動したのですが、ついに47歳の時に高給だった会社をすっぱり辞めて、NPO活動を始めたのだそう。

「その時って食べて行くあてがあったのですか?」と訊くと、「ありませんでしたねえ、でも直感的にですよ、それまで高給を取っていたサラリーマンが辞めて始めたNPOというのは、差別化が図れていて売れるのではないか、という思いはありました」

    ※    ※    ※    ※

 多摩ニュータウンは、今の都市再生機構の前進である住宅・都市整備公団が中心となって肝いりで始めた日本最大のニュータウン。そのため道路計画や公園緑地計画、建築物の色やデザインなど様々なところに実に手が掛けられています。

 そうしたインフラにも惹かれて多くの意識の高い人たちも集まってきています。

「そういう人たちは本当に地域の宝ですよ」と富永さん。

「しかしね、地域とのつきあい方というものを知らん人も多い。また下手に頭が良かったりするので余計に質が悪いとも言えるんですな」
「いろんな人がいるでしょうね」

「『私に言わせれば…』という枕詞で入ってくる人は一番質が悪いですね。他の人の言うことを聞く気はない、と言っているようなもんですから(笑)」

「で、そう言う人に限って、自分は手を汚さない。あまりうるさいことを言うものだから一度『それで、あんたは何をしてくれるんですか?』って聞いてやったんです。そうしたら『この問題をあんたに伝えにくるのがオレの仕事や』って…。もう話しになりませんな(笑)」

    ※    ※    ※    ※

 富永さんは、本当にNPO一本で生活をしていますが、そのおかげで地域のいろいろな人たちからの信頼のネットワークがものすごく広がっているのだそう。

「面白い人に会うと、(あ、あの人と合いそうだな)とか(あ、あの人と合わせたらあかんな)とか分かってくるもんです。『人間ジグソーパズル』って言ってますけどね。合う人は一緒に何かを始めて、合わない人どうしは離すんです。そうやって人に世話になってまた世話をする、それが良いんです」

「僕はもう57になってしまいましたけど、もう50代が輝くために20代を踏み台にしちゃ行けないんだと思い始めています。もう50代は黒子になって、20代が輝くように支援する側に回らなくちゃ。だって彼らはこれからもう50年もこの社会で生きて行かなきゃいけないんですから」

「今の若い人たちの中には、欲もそれほどなくて、でも出世欲もなくて、それでいて自分の力で地域の役に立ちたいという純粋な人がとっても増えていますよ。彼らなんか生まれながらのNPO人なんだと思うけれど、そういう彼らがNPOで食べて生活していけるような世の中にしたいと思うのが、僕のこれからの活動なんだと思うんです」

    ※    ※    ※    ※

 「20代を踏み台にした50代ではダメなんだ。20代の彼らが輝くように50代は支援をしなくては」というのは心に刺さりました。

 そうか、後輩を育てるなんて漠然としたことではなくて、ターゲットを20代に絞って、彼らを一本立ちさせるような支援ということがあるんですね。


 すごいおっちゃんだ。でもとっても元気をもらえたのでした。
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文化の多様性を保全せよ

2009-10-19 23:43:43 | Weblog
 下栗での感動がまだ忘れられない今日です。

 下栗の朝で印象的だったのは、民宿のすぐ上にある拾五社大明神のお宮さんの中を見せて頂いたこと。

 ご主人に展望台からの景色に感動した話しをしたところ、ご機嫌ついでに「拾五社大明神のお宮も見るかね?」と誘ってくださったのです。

 拾五社大明神も含め、この遠山郷の神道は神仏習合である両部神道という古い宗派で、数珠を持って呪文を唱えるなど古い形を残した儀式を多くこなします。

 中でも独特なのは、お湯を沸かしてそれをあたりにまき散らす湯立て神事ですが、この拾五社の拝殿にもお湯を沸かすための薪をくべる場所が用意されていました。








 都会から離れた地方だからこそ残った奇祭と言えますが、気になるのはこうした祭も集落の人口減少で廃れてしまわないのか、ということ。

 それをご主人に訊いてみると、「それが結構みんな戻ってくるんだよ」とおっしゃいます。
「しかし若い人には仕事がないのではありませんか」

「引退してから戻ってくる人もいるね。なかには『つきあいがエライ(大変だ)』と言って、家を壊して名古屋へ出て行った家もあるが、今頃になって寂しくなっちゃって、地区の親戚を良く訪ねてくるようになった人もいる。他の地区じゃ、程野(ほどの)あたりの集落では『祭が命だ』と言って、祭やりたさに神職になる人もいるくらいだと聞くな」

 祭の神楽は地元の人しか踊るわけにはいかず、中でも祢宜(ねぎ)などの神職でなくてはできない舞もあるのだとか。

 都会では廃れてしまった神事の様式が、人里離れていたゆえに残っているというのは、文化の多様性に他なりません。

 その文化の多様性を支えているのは、地域でも暮らしていけるという社会システムの保証のはず。

 環境の議論が深まるに連れて、生物多様性の保存については最近皆関心を持つようになりましたが、こうした文化の多様性も目を向けて、地域の人々が地域で暮らしてゆけるような社会システムがどのようなものであるべきかをもっと議論して欲しいものだと思います。

 これまで地域経済を支えてきた公共事業が批判を受けるのだとしたら、どのようなことで地域は暮らしを支え食べて行けばよいのか、そのビジョンとは何かを示して欲しいものです。
 
 もしかしたら都会で暮らすシステムと地域で暮らすシステムは違うのかも知れません。それがどのようなものになるのか、私にはまだイメージがありません。

 

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朝日を浴びた下栗の里

2009-10-18 23:51:53 | Weblog
 下栗の民宿「みやした」さんに泊めて頂き、今朝は5時半に起床です。
 早く景観ポイントに着いていないと朝日が昇ってしまいますので、着替えて顔を洗うとすぐに車で飛び出しました。

 車は集落の一番上にあるロッジの駐車場に置いて遊歩道を探します。

 ご主人からは「まだ出来たばかりなんで分かりづらいけど、水道タンクの横を行ってください」と教えてもらいましたが、よく考えると水道タンクがどんな風体をしているのかもよく分からないままに飛び出してきてしまいました。

 うろうろしながら、ちょうど出くわした地元の方に訪ねてなんとかそれらしき道を探し出しました。

 集落の人たちが労役を提供して作り上げた山道を行くこと20分、ようやく展望のポイントに到着。そこから後ろを振り返ってみると…おお!まさにこれこそ夢に見た下栗の里の全景が一望に見渡せます。





 ご丁寧に、眺望の邪魔になる木も切り払っていてくれて絶好の景観ポイントであり写真撮影ポイントになっています。

 まだ朝日も昇る前でしたが写真を撮りながらしばらく見とれていると、カメラ機材をどっさり抱えたご夫婦が以前の山道を降りてきました。

「いやあ、このポイントがこれまでなかなか分からなくて、今日が三回目のこの地の訪問ですよ。ここかー!」と実に嬉しそう。

 早速三脚をセットしながら撮影を開始しましたが、「太陽が照ってくると色が変わりますよ」とのことで、もうしばらく様子を見守ることにしました。

 目の前には南アルプスが広がっていますが、待つこと十数分、その高い山からようやく朝日が差し始めると、おお! それまでは薄暗かった木々の葉の紅葉や黄葉が色鮮やかになりました。

 おまけに集落にもスポットライトが当たったようになり実に色鮮やか! そそくさと帰ってしまわずにいて良かった。セミプロのカメラマンのお陰で実によい風景に出会うことが出来ました。

 離れがたい思いを残しながら宿の朝食へ。今日は一日良いことがありそうです。






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下栗の里 民宿みやした

2009-10-17 23:37:15 | Weblog
 昨日の景観会議を終えて掛川で一泊。今日は車を借りて、一緒に掛川まで来ていたうちの奥さんと共に南信州までドライブです。

 南信州の目的は、今は飯田市と合併してしまった旧上村(かみむら)下栗(しもぐり)地区にある下栗の里を訪ねること。なんと言っても一度行ってみたかったのです。

 この下栗地区というのは、山の標高800~1000mの南斜面のものすごい傾斜地に張り付いた集落で、「日本のチロル」と呼ばれていますが、斜面地に生きるその風景には訪れる者は皆心を奪われることでしょう。

 また斜面の集落景観も奇観で珍しいのですが、地元に伝わる神社の祭である「霜月祭」も非常に珍しい風習を残しており、日本文化の多様な姿を今に残してくれているのです。

 今日はこの集落に残る民宿の「みやした」さんに泊めて頂いていろいろと話を伺いました。





    ※    ※    ※    ※

 こちらの民宿のご主人は野牧さんという方で、その昔は旧上村の村会議長までやられた方なのだそう。 

 この集落は平家の落人という説もありますが、鎌倉武士の家来もいたようで本当の成り立ちのところはよく分からないのだとか。

「なぜ民宿の名前は『みやした』なんですか?」
「それはお宮の下にあるからだね」

 なるほど、この建物のすぐ上には拾五社大明神という下栗のお宮があるのです。

 このお宮では火の神や水の神に扮した村人が神のお面を被り、拝殿で火をたいて釜でぐらぐらと湧かしたお湯を素手で周りに掛けるという湯立ての神事で五穀豊穣を願ったものです。

 実はアニメ「千と千尋の神隠し」の中で表現される神事は、宮崎監督がテレビか何かで見たこの下栗他一体の遠山郷に伝わる「霜月祭」の湯立て神楽が影響を与えているのこと。
 
 しかしながら宮崎監督ご自身は、この神事の風景を映像で見てインスピレーションを得たものの、実際には事前にこの地を訪れたことがなかったのだそう。そこで映画が世に出てから数年後に改めてこちらの民宿を訪れて周辺の雰囲気をご自身で味わったのだということです。

 囲炉裏も残る居間の仏壇にはアニメ監督の宮崎駿さんのイラストがありましたが、壁の色紙はその時にご自身で描いて置いて行かれたものだそうです。

 やはりこの地に立ってみることで新たなインスピレーションが湧いたのでしょうか。

    ※    ※    ※    ※

 さて、この下栗の斜面集落の風景は有名な写真家によって世に出されたのですが、それはどのあたりなのでしょうか、とご主人に訊いてみました。すると、「これまでは道路から急な山道をくだらないと行けないポイントで、何人か事故で怪我をしてしまったためにその道をつかわなくても行けるような遊歩道をちょうど造ったところさ。明日はその道をたどって見ると良いですよ」とのこと。
 なんとこれはラッキーなときに訪れたものです。

 明日は朝日を受ける集落の姿を見ようと早起きをすることに決めました。天気も日中降った雨も上がり、明日は晴れが期待出来そうです。

 下栗の里の奇観が見られるでしょうか。






   
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掛川景観シンポジウム

2009-10-16 23:51:38 | Weblog



 今日の夜は掛川に招かれての景観シンポジウム。私はパネラーとして参加です。

 立場的にはよそ者が三年間市民としてあちこちを歩き回り、また今は外からの定点観測者として掛川を見守っているというものです。

 景観は視覚を通じた刺激なので、どんなに美しい景観でも常に身近にあると喜びがどんどん薄れてしまいます。そんなときこそ、よそ者が珍しがったり喜んだりする視点が必要なわけです。

 さてシンポジウムはまず基調講演に、東京学芸大学準教授の鉄矢先生からお話。鉄矢先生は掛川での景観市民講座のアドバイザーとして2007年から掛川に関わってくれており、この町の良さを知り、町を見る視点についてお話をしてくださいました。

 鉄矢先生のキーワードは資生堂のコマーシャルにも使われた「ゆれるまなざし」というもの。視点を固定せずに、ある価値観の幅の中で者を見た方が良いのではないか、という示唆です。

 その幅とは、「結果・成果←→プロセス」、「止まってみる←→」、「見える景観←→見えない景観」、「知っている←→語れる」、「空間の奥行き←→時間の奥行き」、「決める←→割り切らない」といった6つの観点で、これらの観点のそれぞれの幅の中で見てご覧なさい、と言います。

 景観は静的で固定的に捕らえるとどうも間違えやすいもので、一枚の写真では決して語りきれないものです。個人の価値観や経験、立場によってもその意味は大きく変わります。

 保存する・残すことだけが景観を守るということではないし、残す・直す・取り除く・取り替える・新しく作る、といったことの組み合わせで対処すべき柔軟な者でもあるはずだ、とも。

 普段は見慣れた景観も、物語や背景などを語ることで価値が違って見えるものです。そんなところまで自分の町の財産に関心を持つ人が増えると、そこから活気が出て面白みもわこうというものでしょう。


 技術や材料、輸送力、予算などの制約によって仕方なく守られていたような景観が、それらから自由になったことで無秩序に陥っていたのがこれまでの高度成長の過程でした。

 残された秩序を守ったり、新しい秩序を作るい言うことがどういうことなのか、たくさんの人たちの関心と参加を呼び起こしたいものです。

    ※    ※    ※    ※

 こういう催しに招かれることでまだ掛川でも新たな出会いがありました。この出会いが明日の自分を変えるかも知れません。

 今回も忘れずにいてくれてありがたいことです。 

  
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初心者恐るべし!

2009-10-15 23:22:51 | Weblog
 パソコンという奴は、正確に打ち込めばプログラム通りに正確に計算して返してくるものですが、たった一文字が違っても融通が利きません。

「ああ、どうせこのことだろうと思って、直しておいたよ」なんて芸当は不可能です。

 パソコンに慣れた人なら、当たり前の動作や単語も、初心者にはなにしろちんぷんかんぷんなことも多いはず。

 そんな笑い話ネタを拾ってきましたが、これが笑えないようだと、初心者にも達していないということかもしれません…。


---------- 【ここから引用】 ----------
らばQ 「初心者おそるべし!」PCサポートが遭遇した珍質問いろいろ 2008年12月17日
 http://labaq.com/archives/51141678.html?l=o





パソコンは初心者にはハードルが高いようで、ちょっとしたトラブルでも、どうしていいのか分からずパニックになりがちです。

相談を受けるカスタマーズセンターも慣れたものですが、質問にならない質問だったり、トラブルではないトラブルだったり、そもそも日本語として通じていない場合さえあるようです。

そんな(他人事だと)笑いを誘う、サポートと相談者の会話集をご紹介します。
「連中のパソコンは化け物か」
サポート:どんなPCをお持ちですか?
相談者 :白いやつです。

「箸を持つ方は…」
サポート:画面の左に出てくるマイコンピューターのアイコンをクリックしてください。
相談者 :そちらから見て左ですか?私から見て左ですか?

「きっとジョブズなら」
サポート:もしもし、どうされました?
相談者 :印刷ができないんだ。
サポート:ではスタートをクリックしてください、そして…。
相談者 :専門用語を使わないでくれ。オレはビル・ゲイツじゃないんだぞ!!

「自動認識」
相談者 :もしもし、印刷できないんですが、印刷をしようとすると、プリンターが認識されていませんと言われるんです。だからプリンターを画面の前に置いたのですが、それでも認識しないと言われてしまいます。

「赤っ恥」
相談者 :あの、赤色の印刷が出来ないんですが…。
サポート:カラープリンターをお持ちですか?
相談者 :いえ持ってません。

「聞いてないよ」
サポート:今、画面には何が映っています?
相談者 :私の彼がスーパーで買ってくれたクマのぬいぐるみです。

「連打」
サポート:F8を押してください。
相談者 :何も起こらないんですけど。
サポート:何をされました?
相談者 :言われたとおりに、Fのキーを8回押しました。

「部屋が広くてよかった」
相談者 :キーボードが動かないんですが。
サポート:PCにちゃんと刺さっていますか?
相談者 :PCの後ろが見られない状態です。
サポート:ではそのキーボードを持ち上げて10歩後ろに下がってください。
相談者 :やってみます。
サポート:キーボードを持ったまま下がれました?
相談者 :はい。
サポート:それはそのキーボードは接続されていないということです。他にもキーボードがありませんか。
相談者 :ああ、ありました。ああ…こっちは動きました!

「うっかり」
相談者 :あの、ディスクが取り出せなくなってしまったのですが。
サポート:ボタンを押してみましたか?
相談者 :ええ、だけと詰まったままです。
サポート:それは問題ですね。ちょっと待ってくださいね…。
相談者 :あ…ちょっと待ってください…入れるの忘れてました…。机の上にディスクがありました…すみません。

「その発想は無かった」
サポート:あなたのパスワードは小文字でアップルの「a」、大文字の「A」、大文字でVictoryの「V」、そして数字の「7」です。
相談者 :「7」は大文字ですか?

「*****」
(インターネットにつなげない相談者)
サポート:正しいパスワードを入れてますか?
相談者 :ええ、同僚が入力しているのを見ましたから。
サポート:そのパスワードを言ってもらえますか?
相談者 :星が5個です。

「なぜか自信満々」
サポート:アンチウイルスソフトに何を使っていますか?
相談者 :ネットスケープです。
サポート:それはアンチウィルスソフトではありません。
相談者 :すみません。インターネット・エクスプローラーです。

「…と言われましても」
相談者 :すみません、友達にスクリーンセーバーを入れてもらったんですが、マウスを動かすたびに消えてしまうんです。

「アットマーク」
サポート:サポートです。どうされましたか?
相談者 :初めてEメールを書いたのですが…。
サポート:何か問題でも?
相談者 :どうやって「a」の周りに○を書いたらいいですか?

関係ないですが、囮という字を見せたら「化を□で囲んだ記号ってどうやって出すの?」と聞かれたことを思い出しました。

笑ってしまった人も通ってきた道ですし、笑えない方はまだまだ修行が足りないということで、日々精進していきましょう。

Laugh IT Out: Helpdesk Need Helpより

---------- 【引用ここまで】 ----------

 文字の組み合わせでaの周りに○を書いても@にはなりませんね。しかし@という文字が探せないとメールも打てなくて困ってしまいます。
 
 他にも「…ではコンピューターを立ち上げてください」と言われて椅子から立ち上がって、「はい立ち上がりました」と返事をしている人がいたとか、この手のビギナーならではの笑い話って尽きませんよね。

 ネットが盛んになってからの私の苦しみは、どういうわけかネットに繋がらないということで悩んだ記憶があります。たった一つのチェックボックスにレ点が入っていなかったりするんですよね。

 それにしても、上記のサポートの方の忍耐もたいしたものですね。 
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大前研一著「知の衰退」を読む

2009-10-14 23:08:58 | 本の感想
 情報発信男の代名詞である大前研一さん。今日は彼の著書の中から「『知の衰退』からいかに脱出するか」(光文社、1600円+税)を読みました。

 大前さん、一体今何歳になるのかと思いきや、1943年生まれというので御年66歳!それでいて、ネットを駆使し、世界中を駆け巡って最新の情報について英語で議論をする。今回もそうした行動様式から得た自分なりの危機感を世間に発信し続けるエネルギッシュな本です。





 大前さんは世界を駆け巡って最前線の現場を数多く見る中で、日本と言う国に危機感が足りないということを強く主張します。

「日本人はバカになったのではないか?」と思わせる事象があまりに多く、世界とのギャップを痛切に感じるのだそう。パターン思考に陥ってしまって反応はするが者は考えない、ケータイ脳、おバカクイズ番組・・・、まあ否定的な出来事をを書き連ねるとどこまでも行きそうです。

 大前さんは「集団的IQ」という言葉を使って、「この集団的IQが高い国は勝ち組で、低い国は負け組み。そして富は勝ち組に集まり、負け組みからは富は吸い取られる」と言います。かつて集団的IQが高いといわれた日本人ですが、大前さんによれば「それはもはや過去の事」「今はあまりにものを考えない!」それが日本人の今の姿だというのです。

 大前さんは「教養が大切だ」と言いますが、大前さんの言う教養とは四書五経や歴史や古典文学など、「かつて教養と呼ばれた昔ながらの知識」とは一線を画していて、「現代には現代の、21世紀の教養があるのだ!」と言います。

 そしてそれは、英語、IT、金融知識なのだと。きわめて具体的です。

   *   *   *   *   *

 英語というものはもう単なる外国語ではなくて、世界とのコミュニケーション道具なんだ!世界のリーダーは既に国際会議では英語で個人的なコミュニケーションを取るのが当たり前だし、中国でもインドでも韓国でも、出世してお金を稼ぎたいというエネルギーに満ちた国の若者の英語水準は日本の若者の比ではない!

 ITは、より広範な知識にたどり着くことができ、しかも調べることに使っていた時間を格段に少なくさせる道具だ。だからそれで生み出された時間を考えることに充てればいいんだ!

 金融も、安全なところに預けているだけでは資産は増えませんよ、それは自分の出来ることの可能性を閉ざしているのだ、と言えば「ああ、そうか」とは言うもののほとんどの人が行動を起こさない!

 欲や希望やエネルギーを失った日本の若者たちが中核になって行く日本は一体どういう国になり、世界を舞台にした激烈な国際間競争にどのように立ち向かっていけるのだろうか、と大前さんはため息をつきます。

 だからこそ、必要なことは「そう気づいたのなら行動を起こすことだよ」と、表現を変えながら何度も何度も訴えるのです。

 
 ともすると単なる著者の自慢話をひけらかしているのか、と見る方もいるかもしれません。しかしその中から、行動を起こさなくては、と気づき実際に行動を起こす人が何人かでもいれば良いでしょう。

 それが数人では困るのですが、少しでも多くの人が覚醒しなくてはいけないな、と私も思いました。

    ※    ※    ※    ※ 

「社会全体が『別に、それでいい』、と知の衰退に陥ってしまっており、IQが低くなってしまっている。集団に覚醒を呼びかけても応じてはくれない。『ピンチこそチャンス』と危機を脱出するのは気がついたあなただ。例え一人でも、行動を起こすしかない。

「誰も率先して行動しようとはしない現代の日本社会において、その作業はあなただけのユニークなものになるはずだ」

「人と違うことを恐れては行けない。むしろ、横並び意識を捨てなければ生き残れないと肝に銘ずべきだ」

「そうだ!僕はユニークな生き方をしよう!!」

この言葉を胸に、身の回りを、そして世界を見渡して欲しい。 (序章p21より)



 孤独を恐れない生き方をしますか。 

 
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インフルエンザと漢方

2009-10-13 23:57:49 | Weblog
 最近は当たり前になりすぎて死者が出たときくらいしかニュースにならなくなった新型インフルエンザですが、世間ではどのような状態になっているのでしょうか。

 インフルエンザ予防としてワクチンが話題に上りますが、実は漢方も有効なんだそうです。しかし漢方にもいろいろな課題があるというわけで、今日は医療メルマガMRICから、漢方のお医者さんの提言です。

---------- 【ここから引用】 ----------

   ▽ 漢方を活用した日本型医療の創生 ▽

慶應義塾大学医学部漢方医学センター センター長 渡辺賢治

   2009年10月7日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行
            http://medg.jp


●はじめに
 昨今のインフルエンザ騒動を見ていて、漢方を専門とする医師として誠に歯がゆい思いで見ている。大規模臨床研究ではないにしても、麻黄湯(まおうとう)がタミフルと同等の効果という結果が複数出ている。現場でそれを知っている医師は多く、現に各メーカーの在庫が底をつきかけ、生産が間に合わない状況にあると聞く。

 MRIC臨時 vol 271で木村知先生が書かれているように、「インフルバブル」の中で、どうして漢方薬の存在が見えてこないのであろうか。筆者はこうした事態が来ることを想定して、漢方を取り巻く環境のインフラ整備を急ぐことを提言してきたが、残念ながら準備不足の状態で、このような事態を迎えてしまったことを遺憾に思う。

 MRIC臨時 vol 189 「統合医療の確立ならびに推進をうたった民主党マニフェスト」で、民主党のマニフェストに漢方を含む統合医療が盛り込まれていることについて述べさせていただいた。いよいよ民主党政権が発足し、具体的にどのような政策が取られるのか期待されるが、こうしたインフルエンザ騒動を見ていると、早急に漢方の基盤整備をして、日本型医療の創生を急ぐ必要があると考え、本稿を記す。


●漢方の抱えるジレンマ 原材料(生薬)の供給

 麻黄湯がインフルエンザ治療として、何故表に出てこないのであろうか。一番の理由は原材料の供給である。麻黄湯の構成生薬は麻黄(まおう)、杏仁(きょうにん)、甘草(かんぞう)、桂枝(けいし)である。このうち麻黄、甘草は中国の北部の野生品に頼っており、収穫量に限度がある。また、現地の人たちは生活のために乱獲するが、計画栽培をしないで掘りっぱなしのため、掘った後が砂漠化し、大きな環境問題となっている。そのため中国政府は、1999年以降麻黄・甘草の輸出を規制している。

 それに加えて中国の経済発展と元高基調は、生薬原料の価格を押し上げている。
 さらに下記に述べるような世界的な伝統医学見直しの時期に来ており、欧米での需要が急速に伸びているために、限られた生薬資源の配分バランスが崩れつつある。

 このような生薬の不安定な供給状況で、投機的資本の介入により、価格が高騰する危険性もはらんでいる。

 2002年にSARSが流行した時に、タミフル(シキミ酸)の原材料である八角の価格が10倍に高騰したと聞く。

 もしも新型インフルエンザに漢方薬が良いということになり、原価が高騰したら日本の漢方メーカーは大きな打撃を被ることになる。ただでさえ資源の問題、砂漠化の問題で、中国は甘草、麻黄の輸出を問題視している。甘草は漢方薬の7割に使われている大事な生薬であり、理不尽な価格高騰が起こった場合、わが国の漢方製剤の生産そのものに与える影響は大である。


●漢方の抱えるジレンマ 薬価

 では国内栽培を振興すればいい、ということになるが、その足かせとなっているのが、薬価である。麻黄湯の1日薬価は55円である。木村先生が述べておられる「インフルエンザが疑われても検査で陰性」の患者に仮に3日分処方しても160円である。

 発熱する前に危ないと思った段階で麻黄湯もしくは葛根湯を服薬すると、大抵2,3服で済んでしまう。これには教育も必要であるが、そもそも熱が出て症状が出始めた時がインフルエンザの始まりではない。ウイルスにさらされている機会は発病の何倍もあって、潜伏期間の間、免疫力が優れば発症せず、ウイルスの増殖が優っていれば症状が出るわけである。

 潜伏期間の間にも何らかの体のサインのあることが多く、それを見逃さなければ麻黄湯、葛根湯を数回服用すればそれで済んでしまう。ちなみに葛根湯は1日薬価が73円である。タミフル1日分は618円であり、通常5日分処方される。漢方薬を身近に使用することで、医療費削減は十分可能である。

 さらに漢方の良い点はウイルスそのものをターゲットにしていないので、耐性ウイルスを作ることはない。また、生体防御機構を高めているので、不顕性感染を作ることもない。

 薬価は漢方薬といえども西洋薬と同じルールで改訂されている。西洋の新薬の場合、開発費に罹る費用を計算に入れての初期薬価であり、2年毎の改訂で下がっていくことは理解できる。しかしながら漢方薬の場合、生薬の価格で変動するために、一律に下がる薬価ルールが適用されるはずもない。

 事実中国からの輸入価格は上がっているにも関わらず薬価が下がっている。このため、薬価に見合う生薬しか輸入できず、医療の質そのものが危うくなっている。

 漢方製薬メーカーや生薬メーカーは原価と薬価が逆転するいわゆる「逆ザヤ品」を抱えながら全体で利益が出るように調整している。企業でありながら、売れば売るほど赤字という品を売っているわけである。「では明日から赤字品目は撤退します」、といったら日本の医療が成り立たなくなる。メーカーは日本の医療を守るために、大変な犠牲を払っているのである。


●急ぐべきは漢方の基盤整備
生薬の国内自給率向上

 江戸時代までは生薬の栽培は盛んであったが、近年では農村の労働力の欠如、薬価の低下に伴う生薬価格の下落から栽培農家は激減した。その結果生薬の自給率はどんどん低下し、現在では15%にしか過ぎない。食の自給率よりさらに悪い。

 現在の農業技術を持ってすればわが国で栽培できない生薬はほとんどないと聞く。問題は価格が見合うか、ということになる。価格の問題で、わが国の生薬栽培を海外に移していった経緯は食と同じである。生薬の場合、中国への依存が大きいため、中国の経済発展に伴い、原価は上がる一方である。

 今後わが国の伝統医学である漢方を発展させ、国民の健康に資すためには、生薬の安定確保は必須事項である。さらに、農薬・重金属などの心配のない安全性の高い生薬が求められている。

 この点において、トレーサビリティーの担保されている生薬を生産することで、国内需要をまかなうだけでなく、将来的には信頼される生薬を世界に提供することも可能である。

 国内産業の振興の意味でも食とともに、生薬の自給率を上げるべく対策を立て、雇用促進につなげる。

 そのためにも、生薬の薬価基準のルールを見直し、産業振興に見合う薬価を制定するルール作りが必要である。


●生薬を原材料とした日本発の創薬産業の育成

 そうはいっても生薬資源には限りがある。特にここ20年来の欧米における生薬ブームにより、中国の生薬主要輸出国は日本・韓国から欧米にシフトしつつある。

 世界的生薬需要の高まりは、国内産業をいくら振興しても追い付かない可能性もあり、生薬資源がいずれ希少品となることを想定しておかなくてはならない。その前に価格の高騰があり、いずれにしても良質の生薬の安定確保が困難になる事態も予測される。

 分子標的薬の時代に入ったといえ、現在でも生薬由来の創薬は数多く存在する。
 八角からのタミフル(シキミ酸)の例をまたずとも、イチイの樹皮成分からのタキソール、ニチニチソウからのビンクリスチンなど生薬由来の抗がん剤も沢山ある。このように、生薬をシーズとする創薬は、まだまだ多くの可能性を秘めている。

 こうした生薬由来の創薬は、日本がかつてアジアの中心であり、多くの優れた学生が日本に留学に来ては自国に戻って活躍している。しかし最近では日本の生薬研究が衰退し、アジアの中心は香港、上海に移っている。米国では既に香港と組んだ医薬品開発が始まっている。

 わが国発の生薬からの創薬という産業育成は、付随する経済効果のみならず、限られた生薬資源を守る意味でも重要な意味を持つと考えられる。


●次世代を担う人材育成

 以上にも増して重要なのが、次世代を担う人材育成である。漢方の教育は2001年の医学教育モデルコアカリキュラムに入ったお陰で全国80の医学部・医科大学で行われている。しかしながら、教える側の教員不足であり、次世代を担う人材が十分に育っているとは言えない。

 基本的に漢方は全人的・継続的医療であり、総合医のマインドがなくては務まらない。現状の医師教育の中で、総合医教育が不十分であることもあいまって、漢方医が十分に育っていない。ここで言う「漢方医」というのは単に漢方薬を処方する医師という意味ではなく、漢方の特質を十分に理解した医師、ということ
である。

 全人的・継続的医療であることに加え、漢方のもう一つ重要な特質は「未病を治す」ことである。何か症状があった場合、検査に異常が出なくても、漢方医学的に問題があれば早期に漢方治療の介入が必要になる。こうした漢方の特質を生かすことで、予防医療に重きを置く医療政策への転換を図る。

 人材育成に関しては大学が中心であるが、総合医を育成するためには地域病院、診療所と連携した包括的人材育成のプログラムが必要である。

 こうした基盤整備を早急に行い、漢方医学の次世代を担う人材を養成する。


  (・・・中略・・・)


●さいごに

 最先端医療を身につけたわが国は、米国型医療の恩恵を受けつつ、その後追いをすることなく、わが国独自の医療文化を作るべきである。世界の伝統医学を見渡すと、多くの国では、西洋医学の医師ライセンスと伝統医学の医師ライセンスが異なり、その融合が必ずしもうまく行っていない。

 わが国は一つの医師ライセンスで、最先端医療も伝統医学である漢方も両方できる。本稿では触れないが、さらに言えば鍼灸も行うことができる。日本の鍼灸は他国のものと比しても非常に技術が高い精緻なものであり、世界中からニーズがあるが、これにも日本は答えられていない。

 こうした伝統と最先端を融合させた「日本型医療」を創生し、新たな医療文化を形成する時期に来ているように感じる次第である。

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今回の記事は転送歓迎します。その際にはMRICの記事である旨ご紹介いただけましたら幸いです。

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                MRIC by 医療ガバナンス学会
                http://medg.jp

---------- 【引用ここまで】 ----------

 インフルエンザ対策にはワクチンばかりしか思いつかなかったのですが、漢方もありですか。もちろん素人の思い込みは危険なのですが、体力でウィルスをやっつけるというのが基本ですからね。

 生薬の原料が足りないんだなんて、国内の農政と医薬行政が連携して遊休農地を使って新しい地域ビジネスにならないものかとも思います。《中国北部の野生品》ならば北海道あたりは気候的にもちょうど同じくらいなような気がしますしね。


 さて、ワクチンは有効なのですがこちらにも問題があります。

 安全性が確認される国内供給は2700万人分しか確保できないため、足りない分を海外からの輸入に踏み切らざるを得ません。しかし安全性やワクチンで逆に被害が出たときの訴訟対策や補償などをどうするか、ということが課題なのです。

 そうしたことのためにアメリカやフランスなどではワクチンに関する免責(国が訴訟をうけないとする)制度を敷いている。同時に、不幸にして副反応に巻き込まれた個人のための保険(無過失保障制度)も用意しているそうです。

 なぜこのような制度が必要かと言えば、国も国民も両方を守るためなわけですが、そうした法制度インフラが日本ではまだまだ弱いようです。

 新政権の腕の見せ所ですが、まだそれどころではないのでしょうか。
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超満天の星空 ~ メガスターⅡ

2009-10-12 23:37:07 | Weblog
 先日向ヶ丘遊園駅を降りて駅舎について記事を書きました。

 向ヶ丘遊園で思い出したのは、この駅から川崎市青少年科学館が近かったこと。確かここにはものすごいプラネタリウムがあるのではなかったっけ?早速調べていって見ることにしました。





 調べてみると、やっぱりありました、「メガスターⅡ」。普通のプラネタリウムは星を表すのに光の点をあてますが、星の明るさは1等星から6等星に合わせて点の大きさを変えるようにしてドーム状の天井に写すことで、星座などの星の姿が見えるようにしています。

 「満点の星空」と言っても、人間の目に見える星は6等星までなので、数えても全天で2千個くらいの星があれば見える星は全部表現出来るのです。

 ところがこのメガスターは、ドーム状に写す星の明るさ(暗さ)がなんと12.5等級までの星で、星の数で言えば410万個の星が映し出されているのだとか。もう目には見えないくらいの星まで映し出されています。

 そのためとても肉眼では見えないので、なんと来場者に本格的な双眼鏡を貸し出してくれて、それで暗い星まで見られるようなサービスがあるのです。





 このメガスターは、川崎市在住の大平さんという方がなんと趣味として独力で開発・製作したものだというからこれもまた驚きです。写真の大きな機械は昔ながらのプラネタリウムで、その左側にちょこんと頭だけ出しているのがメガスター。

 こんな小さい機械ですさまじい数の目に見えない星を写すことが出来るんです。





    ※    ※    ※    ※

 この目に見えない星まで写すというメガスターの最大の特徴は、天の川を完全に一個一個の星の集まりで再現していること。それまでのプラネタリウムでは、なんとなく薄ぼんやりとした雲のような光を当てることで天の川を表していたのが、ドームに映し出された天の川を双眼鏡で見ると一個一個の星に見えるのです!

 天の川でも驚きですが、さらには望遠鏡でなければ見えない星の集まりである星団までも一個一個の星の集まりとして表現されています。

 幼い時に天文小僧だった私は、(確かこのあたりに星団があったはずだが…)と星座の中を眺めてみると、ちゃんと星の集まりとして表現されていて二度びっくりなのです。


 さて作者の大平さんは、今では会社を辞めてメガスターを使った独立した講演活動を続けられているそうですが、実に素晴らしい機械を作ってくれたものです。
 
 川崎市青少年科学館。一見、外側はなんて事のない昔風なプラネタリウムですが、中はほんっとうにすごい!

 まるで「遊び人の金さん」が、北町奉行遠山左衛門尉様だったくらいの落差です。



「メガスターⅡ」 : http://www.nature-kawasaki.jp/megastar2/
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