いつも読んでいる、人間学を学ぶ雑誌「致知」のなかに、天皇陛下に長くお仕えした前侍従長、渡邉允(わたなべまこと)さんが、お仕えして目にした陛下のお姿を、「天皇皇后両陛下にお仕えした十年半の日々」として一文を寄せられていました。
渡邉前侍従長は、昭和34年に外務省入省、駐ヨルダン大使、中近東アフリカ局長、儀典長などを経て、平成8年12月から平成19年6月までの十年半、侍従長として陛下に仕えたのです。
渡邉さんは、明治天皇にお仕えした最後の宮内大臣渡邉千秋氏を曾祖父にもち、父の渡邉昭氏は昭和天皇のご学友だったという家柄。
たまたま外務省の法規課長だった時代に一年半ほど昭和天皇の通訳を務めることになり、拝命に際して拝謁の儀式があった際に、退出しようとしたときに陛下から、「父は元気にしておるか」と声をかけられて、大変に慌てたのが、宮内庁に努めることとなった最初の思い出だった、と言います。
ずっと後、外務省から宮内庁へ移って式部長官を務めていた際に、当時の侍従長が倒れてしまいその後任として侍従長を命ぜられたのでした。
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渡邉さんは、「十年半にわたって、今上天皇のお側にお仕えして特に強く感じていたことは、両陛下が普段どのような生活をしているかが、一般にはほとんど知られていないということでした」と語ります。
テレビなどでは、外国訪問や被災者の慰問などのご様子が時々放映されるので、そのようなことばかりされておられると思うかもしれませんが、外国訪問は年に一度ほどで、地方へのご旅行も年に5~6回程なのだそう。
そこでそうした報道には表れない普段の両陛下のお姿をぜひ伝えたい、ということでこの文章を寄せられました。
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まず両陛下は、毎朝六時にはお目覚めになり、お二方で吹上御苑の森の中を散歩されるとのこと。それも、御病気のときを除いて、この六時起床を変えられたことがないそうで、ここに、一年を通じて自らに規律を課す強靭な意志が感じられます。
陛下の日常は大変お忙しくて、例えば午前中に宮中三殿で宮中祭祀を執り行われたかと思うと、午後は様々な拝謁、認証官任命式(辞令交付式)、外国大使とのお茶会、夜は近く訪問予定の国の歴史を学者から学ぶなどといった、性質の異なるお仕事が次から次へと押し寄せます。
さらに、陛下がお越しになる大きな事業は大抵休日や祝日に行われるので、下々のように五日働いて二日休むなどというリズムもありません。
そしてそこまでご公務にまい進される陛下の根底にあるものは、ひとえに「国民のために」という思いに外なりません。
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そのような陛下の思いが一つの形として具現化される場が「宮中祭祀」です。
宮中祭祀とは、陛下が国家国民の安寧と繁栄をお祈りになる儀式の事で、陛下の一年は、元旦朝五時半から執り行われる「四方拝(しほうはい)」で始まります。
外は真っ暗で、しんしんと冷えている中、白い装束を身にまとい、神嘉殿(しんかでん)の前庭に敷かれた畳の上に正座され、伊勢神宮を始め四方の神々に拝礼をされるのです。
陛下が執り行われる宮中祭祀は年間二十回程度ありますが、その中で最も重要とされる祭祀が11月23日の「新嘗祭(にいなめさい)」です。
その年に収穫された農産物や海産物を神々にお供えになり、神恩を感謝された後、陛下自らもお召し上がりになります。
祭祀は夜六時から八時までと、夜十一時から深夜一時までの二回、計四時間にわたって執り行われ、その間、陛下はずっと正座で儀式に臨まれます。
この祭祀では、渡邉さんなども陛下がいらっしゃるお部屋の外側で、同じように二時間正座を続けるのですが、これはなれている人でも難儀なことで、渡邉さんは毎年夏を過ぎると正座の練習を始めたそうです。
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あるとき、渡邉さんが陛下の下に伺うと、今で正座をしながらテレビをご覧になっていたことがあって、(やはり陛下も練習をなさっているのか)と思ったそうですが、後から伺ってみると、陛下はこうおっしゃられたそうです。
「足がしびれるとか痛いと思うことは一種の雑念であって、神様と向かい合っているときに雑念が入るのはよろしくない。澄んだ心で神様にお祈りするために、普段から正座で過ごしている」
その取り組み方一つ取っても、単に肉体的な苦痛を避けたいと思っていた自分とはまるで次元が違うと感服した瞬間だったそうです。
そして、元旦の四方拝に始まって、宮中祭祀の多くは国民の祝日に行われています。
つまり、私たち一般の国民が休んでいるときに、陛下は国民の幸福をお祈りされているということ。
こうして常に国家国民の真の幸福を願われ、絶え間なく働かれている両陛下のお姿を改めてご紹介して、天皇陛下とはこういう方なのだ、ということを私たちは決して忘れてはならないと思います。
日本とはなんと幸せな国であることでしょう。