家を建ててから一度も交換していない瞬間湯沸かし器。
もう20年になるのを前に、特に不具合があるわけではないけれどもう交換の時期と見定めて、1月に変わりの湯沸かし器を注文しました。
その時点ですでに半導体不足から湯沸かし器の納入が遅れていることは分かっていて、頼んだ燃料店からも「ちょっといつになったら入荷するかわからないのですが」と言われていたもの。
それがようやく今日になって「ご注文の器具が入荷しました。交換のご希望日をお伝えください」という連絡があったのだそう。
1月に注文して8月半ばか…。随分とモノが動くのに時間がかかる時代になってしまいました。
2月末に買い替えで注文した車も契約当時で「納車はお盆過ぎになると思います」と言われていたのが、今では「10月頃かと」に先延ばしになっている様子。
注文すればすぐにモノが手に入る時代はもう終わったのかな。
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先日読んだ経済の本で、「需要と供給のバランス」に触れた個所がありました。
そこでは、日本のデフレは「ちょっと景気が良くなってもまたすぐに腰折れするのではないか」という"不信感がぬぐえないのだ"と指摘していました。
経済が上向かないのは、やはり需要不足で供給過多という状況が続いているから。
しかし需要の変化は進みつつあり、これからの時代に求められる、DX時代に向けた情報機器やデジタル素材、SDGs時代に向けた省エネや創エネ資材、高齢化時代を受け止める住宅や医療資源などの需要は増している。
それなのに、そういう新しい需要に対する供給増加はおっとりしていて、逆にもうこれからの時代には不要になりかけている工業製品や資材などが作っても売れなくて余る時代になっているのだと。
車だって、電気自動車(EV)の時代になればエンジン回りの部品などは需要が減ってゆくはず。
だから供給は新しい需要を受け止めて供給できるように変化しなくてはならないはずなのに、総需要刺激などといって古い供給元をも生き延びさせるような財政運営をしてしまうので、供給面での変化が遅いというのです。
それって、古い供給元である企業や工場には撤退しなさいと言っているのと同じことなので、企業城下町の衰退や従業員たちの失職など経済環境の変化は地域の社会問題になることでしょう。
実際に供給元が体制を時代に合わせようとして変化しようとすると、地元からは「工場を残せ」「この町を見捨てるのか」といった反応が返ってくることも多いはず。
企業はそれに「雇用は継続します」などといった優しい対応をするところも多いので、本来は労働力がもっと欲しい新しい企業活動に人材が振り向けられないということもあることでしょう。
そしてそのカギは古い職場のノウハウしかない労働者を新しい需要に振り向けるような学びなおし=リカレント教育なのだと。
これって新しいスキルを身に着けた労働者は勝ち組で、古い技術しか持っていない労働者は負け組といった単純な図式ではなく、それをちゃんと新しい時代に振り向ける社会的な取り組みが必要だということ。
労働者の数、労働者の権利、雇用のミスマッチ、リカレント教育など、さまざまに言われている現代の課題は変化をもう少し急がないと、日本はどんどん取り残されていきかねないというギリギリの状況なのかもしれません。
もちろん今あるものを維持管理してゆくことは大切ですが、それもまた必要性に応じては手放してゆかなくてはならないものも多いはずです。
変化を先取りして、これからの時代を作り上げることに参画してゆきましょう。