先日友人と話をしていたら、その友人が結構なご年齢の母親のためにスマホを契約してあげたのだそう。
「最近のスマホの契約って、基本契約がどんな形でさらにどのオプションをつけるかつけないかでかなり複雑なんじゃないの?」と訊くと友人は、「そうなんです。僕なんかじゃとても理解できないのでやはりショップの担当者と入念に打ち合わせをして契約内容を決めました」とのこと。
「しかしショップの方って、あれだけ複雑な契約オプションをよく理解しているよね」
するとその友人は、「実は僕、気づいちゃったんです」と言います。
「何に気づいたの?」
「実はショップの店員の方が、いざ僕と打ち合わせをしようというときに、胸には前を映すカメラが付いていて耳にはイヤーモニターをしていたんです」
「ほうほう」
「で、このオプションをつけてください、って注文したときに、一瞬その方の手が止まって、目が画面を追うようにして正しいチェックにたどり着いた『ように見えた』んです」
「それってどういうこと?」
「僕も店員さんに敢えて訊きはしませんでしたが、どうも胸のカメラで店員さんの見ている画面を映して、バックヤードのどなたかとイヤモニでやりとりをしながら僕らの対応をしていたのじゃないか、と感じたんです」
「ははあ、なるほど。それなら悩むような選択肢でも席を外さずにより詳しい人の指導が受けられるという事か」
「はい。訊いていないので確信はありません。でもちょっとした仕草に不慣れな点を感じていて、それが指示を受けて自信をもって契約書類の作成ができたように見えましたね」
わからないからと言って、そのたびに席を外してバックヤードの方に聞きに行っていたのではお客さんの印象が悪くなるでしょうし、仕事の効率も落ちるでしょう。
でもこういう形ならリアルタイムでやり取りを見てもらいながら正しい書類作成を行うことができて、担当者も少しずつやり取りに慣れることができそうです。
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でももしそれが本当だとしたらそれもまた効率性を向上させる有効な手立てのように思えます。
以前ある学校の先生が、「授業提供なんて個別の教師が行わずに、予備校で人気のあるような最高の指導ができる先生の教えをネットやビデオで配信すれば、先生による指導力のばらつきがなくなる」という趣旨のことを言っていました。
そして生徒の方の理解力のばらつきは、詳細なテストを繰り返すことで、どこでつまづいているのかを解き明かし、そこを理解させるような生徒主体の個別指導を(それとてもネットで)繰り返すべきなのだと。
今日のネット社会であれば、そんなことも実現してしまうのかもしれません。
正しい知識や指導は行き渡るかもしれませんが、では担任の先生や教科担任の先生の役割とは何になるのでしょう。
目の前のスマホの担当者の立ち居振る舞いはやはりそのショップのイメージにもつながるはずですが、人と人の触れ合いや好悪の感情はだれが支えるのか。
もちろん間違った契約や指導では困ってしまうのですが、それらを前提としつつも、結局人は正しい知識だけでは満足できないのではないか、と思います。
そこに人同士の触れ合いがあるから安心したり満足したり幸せな感情が湧いたりもするのではないでしょうか。
ネット時代の良いところは十分に利用しつつ、人間が人間であることの現実をどのように考えるか。
効率化だけに目を奪われずに、それがこれからの時代の課題のように思います。