蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

日本最古の電車

2007年02月06日 | 駅&鉄道
以前当ブログでも紹介した、日本最古の電車『ハニフ1号』の続編です。
日時限定で公開中だというので、再び自宅から30分ほどの上高地線・新村駅へ走る
年輪を重ねた雄姿だ。カメラ小僧のように車種や形式にはこだわらないが、こんな姿を見るとウルル・・・・

当日もらった説明文と職員さんの説明から
■日本初の電車運転は1895年の京都市の路面電車であるが、1904年に初の郊外電車を走らせたのが、私鉄甲武鉄道飯田町~八王子間(現在のJR中央線)だ。
その後鉄道国有化となり「ハニフ1号が国鉄電車始祖」とされる
■台車・電気機器はアメリカから輸入(tAKATA商会の銘板)し、あの時代の輸入とは凄い偉業だ。
この四輪単車の車体は木製で日本の大工さんが作った。わが棟梁や大工さんの仕事を見ているから、この電車が一種の芸術品だと納得できる
■現在の大糸線を蒸気機関車に引かれて走った時代もあり、いくつかの変遷後、松本電鉄が保管している。8両製作されたうち現存はこの1両のみで、鉄道博物館での隠居生活はホント良かったと思う。解体処分寸前に命拾いした経緯を見ても新村駅での保存の功績は大きい。
■前後に運転席があり、単体でピストン往復したという
ここらあたりを作文中によくわかるサイトを見つけましたので拝借し後はお任せします


ハは客車、ニは貨物 フは三等を意味すると、熱心な職員さんが説明してくれる
道理で狭いながら、車内は座席椅子と一部が荷物置きスペースになっている
中には入れなかったが、窓と天井は↓こうなっている。
天井すぐ下の窓なんざ、今でいう観光列車や展望車の先駆けじゃん


2007年10月にさいたま市にオープンする鉄道博物館に寄贈されので、3月27日(予定)まで新村駅に公開されている。
日時限定だから要注意 (土)(日)9:40~11:00 または 13:00~14:20 の2回
関連記事が松本電鉄サイトにあります

おまけ
倉庫へまわろうとすると、年季のはいった駅員さんが私の背中に「グッズもあるで、あとで寄ってくれや」と誘う。営業マンでもある。結局携帯ストラップと今では珍しい硬紙の入場券を購入した(右は窓口内の券棚)

そして駅舎屋根の鬼瓦は大正10年建築当時のものだから、とそれも見上げ、おまけに現役のタブレットもカメラに収めては、と準備し勧めてくれる親切さである。筋金いりの鉄道マンだ。現代若者の職員ならどうだろう?

 社章をデザインした鬼瓦(大正ロマン?)

  ガラスに映る人影は撮影者(私)

余談
○昨年お座敷列車「浪漫号」のお別れ走行が大糸線であり、ちょうど沿線にいたので停車中の聖高原駅とその近辺で写真を撮ることができた

お座敷列車なるものに乗ったことはないが、「浪漫号」(拝借サイト)はデザインと色の綺麗な車両だとおもう。どの季節に走っても景色に調和しそう
ネットで見るとお座敷列車なるものは全国に走っており、カラオケやバー、展望車など豪華な装備だ。
乗りたいとは思わないけど・・・・カメラ小僧やおじさんに混じってミーハー気分満喫!

○安曇野・田圃の中のD511
昭和20年当時広島で原爆を経験した機関車は、その後北海道で活躍し、廃車を免れ、昭和52年に安曇野へやってきた。このあたりの開発会社が小説「安曇野」を契機に町おこしの一環に設置したという。それにしてもでっかい!
隣のテニスコートが荒れ放題なので、侘しさはひとしお

○池田町のポッポ
クラフトパークへ上がる道沿いにデ~ン
クラフトshop(奥の建物)オーナーのご主人の鉄道趣味が高じて、払い下げ車両を敷地内に設置したもの。
商品代より運搬費のほうがはるかにかかったそうです。車内にも入れてくれます。
運転席もちゃんと健在、動かないけど・・・


人生色々 趣味も色々。私の趣味はいい香り、その心は種々バラバラ。トホホ奥が浅い
コメント (2)
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