蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

燕岳登山の準備

2007年02月09日 | 暮らしの積み木
せっかく近所なんだから燕と常念には登りたい
と奮起してから早1.5年
さあ靴とソックスは買ったぞ・・・しかし高い



カモシカスポーツ松本店へ相談に行った
詳しい説明を聞いた後、お気に入りを履いて40分間ほど店内を俳諧する

店員男性
どこか違和感はありませんか?
靴と雨具は少々高くても良いいものを選んでください・・・・
3000メートル以下の山なら軽登山靴の布製でも大丈夫です。最近は品質がよいです
軽登山でもヘッドライトは是非持参してください。靴は履く頻度に関係なく5年が限界です

ふ~んなるほど
私:もう60歳すぎてるから何回使うかわからない。あまり高いものは・・・
店員男性:おや、それなら今の山では若者ですよ
私:そりゃ若いうちから始めている人なら
店員男性:いえいえ、このあいだ頂上で会った人は83歳でした

私、とほほとうなだれる
そうか、駅や山近辺で見かけるる装備華やかな面々は、若く見えるけど結構年配者なんだ
ことほど左様に老人パワーは経済活性化に貢献しているんだ

おまけ
昨日届いた本  
『日本人の死に時  (副題)そんなに長生きしたいですか』  
幻冬舎刊  帯に ”----------------------------”

  今読み始めました
コメント (4)
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消しゴムはんこ

2007年02月07日 | 安曇野とその周辺
こっふぇる梅太郎(ぱん屋さん)で見つけた消しゴムはんこ



”のら猫工房”矢崎直美さんの作品です。木はサクラじゃないかと睨んでいる。大きさもさることながら、手に伝わる感触が良いのだ
インドつながりの方々に封書やハガキを出すことが多いので、これはピッタリ!重宝しそう
後日談
柄の材料はサクラ、梅、鉛筆の木(ヒノキ科のインセンスシダー)などだそうです

象以外にもデザインは色々あるので、穂高駅からまっすぐ東へ南側、穂高神社内鳥居すぐ横にあるぱん屋に寄ってみてください
え~何処どこ?という方に↓目印を

  こっふぇる梅太郎さん、写真勝手に拝借しました~

そうそう、棚においてあるスリランカカレー調味料「カレーの壺」もいけます


輸入元は第3世界ショップ、発展途上国の人々の自立を応援しています
なんでぱん屋に???の疑問は、オーナーに会えばきっと納得します

余談
関西在住時には、フェアトレードの店では京都と大阪にあるシサム工房を時々利用していました
関心のある方はお訪ねください
 フェアトレード製品ではないが、シサム工房の扱い商品
どこへもお供のお気に入りショルダーバッグ(厚手布製)。今でもあるかなぁ

おまけ
ほうれん草とチキンのカレーはいかが?
私はターメリックやコリアンダー、クミンやチリパウダー等の調味料を使うが、
「カレーの壺」なら手軽でおいしく作れますよ
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日本最古の電車

2007年02月06日 | 駅&鉄道
以前当ブログでも紹介した、日本最古の電車『ハニフ1号』の続編です。
日時限定で公開中だというので、再び自宅から30分ほどの上高地線・新村駅へ走る
年輪を重ねた雄姿だ。カメラ小僧のように車種や形式にはこだわらないが、こんな姿を見るとウルル・・・・

当日もらった説明文と職員さんの説明から
■日本初の電車運転は1895年の京都市の路面電車であるが、1904年に初の郊外電車を走らせたのが、私鉄甲武鉄道飯田町~八王子間(現在のJR中央線)だ。
その後鉄道国有化となり「ハニフ1号が国鉄電車始祖」とされる
■台車・電気機器はアメリカから輸入(tAKATA商会の銘板)し、あの時代の輸入とは凄い偉業だ。
この四輪単車の車体は木製で日本の大工さんが作った。わが棟梁や大工さんの仕事を見ているから、この電車が一種の芸術品だと納得できる
■現在の大糸線を蒸気機関車に引かれて走った時代もあり、いくつかの変遷後、松本電鉄が保管している。8両製作されたうち現存はこの1両のみで、鉄道博物館での隠居生活はホント良かったと思う。解体処分寸前に命拾いした経緯を見ても新村駅での保存の功績は大きい。
■前後に運転席があり、単体でピストン往復したという
ここらあたりを作文中によくわかるサイトを見つけましたので拝借し後はお任せします


ハは客車、ニは貨物 フは三等を意味すると、熱心な職員さんが説明してくれる
道理で狭いながら、車内は座席椅子と一部が荷物置きスペースになっている
中には入れなかったが、窓と天井は↓こうなっている。
天井すぐ下の窓なんざ、今でいう観光列車や展望車の先駆けじゃん


2007年10月にさいたま市にオープンする鉄道博物館に寄贈されので、3月27日(予定)まで新村駅に公開されている。
日時限定だから要注意 (土)(日)9:40~11:00 または 13:00~14:20 の2回
関連記事が松本電鉄サイトにあります

おまけ
倉庫へまわろうとすると、年季のはいった駅員さんが私の背中に「グッズもあるで、あとで寄ってくれや」と誘う。営業マンでもある。結局携帯ストラップと今では珍しい硬紙の入場券を購入した(右は窓口内の券棚)

そして駅舎屋根の鬼瓦は大正10年建築当時のものだから、とそれも見上げ、おまけに現役のタブレットもカメラに収めては、と準備し勧めてくれる親切さである。筋金いりの鉄道マンだ。現代若者の職員ならどうだろう?

 社章をデザインした鬼瓦(大正ロマン?)

  ガラスに映る人影は撮影者(私)

余談
○昨年お座敷列車「浪漫号」のお別れ走行が大糸線であり、ちょうど沿線にいたので停車中の聖高原駅とその近辺で写真を撮ることができた

お座敷列車なるものに乗ったことはないが、「浪漫号」(拝借サイト)はデザインと色の綺麗な車両だとおもう。どの季節に走っても景色に調和しそう
ネットで見るとお座敷列車なるものは全国に走っており、カラオケやバー、展望車など豪華な装備だ。
乗りたいとは思わないけど・・・・カメラ小僧やおじさんに混じってミーハー気分満喫!

○安曇野・田圃の中のD511
昭和20年当時広島で原爆を経験した機関車は、その後北海道で活躍し、廃車を免れ、昭和52年に安曇野へやってきた。このあたりの開発会社が小説「安曇野」を契機に町おこしの一環に設置したという。それにしてもでっかい!
隣のテニスコートが荒れ放題なので、侘しさはひとしお

○池田町のポッポ
クラフトパークへ上がる道沿いにデ~ン
クラフトshop(奥の建物)オーナーのご主人の鉄道趣味が高じて、払い下げ車両を敷地内に設置したもの。
商品代より運搬費のほうがはるかにかかったそうです。車内にも入れてくれます。
運転席もちゃんと健在、動かないけど・・・


人生色々 趣味も色々。私の趣味はいい香り、その心は種々バラバラ。トホホ奥が浅い
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つる工芸にトライ

2007年02月05日 | 安曇野とその周辺
念願の講習会に参加できた。穂高の「ギャラリーぬく森」で6名の生徒だった

費用(格安)も講師もおみごと!
松本の杉浦講師は、たくましい腕と足の力を駆使し方言も飛び交い楽しく賑やかに講習する。
講習料は、2時間で材料費込み1800円でした。
材料のつるはくず・あけび・つづらフジなどで、山や林や川原で採集出来るのでわが中房川でも・・・・



参加者作品群   初経験の方ばかりなのに2時間で、ほれこのとおり
中央の作品はイメージより小さく出来てしまったので、先生の提案で曲がった太いつるを使ってアート作品に・・・

ところでおまえさんの出来栄えは?  はいこれ↓
  ちょっと上級ランクに挑戦  
基本編みはむか~し籐細工の経験があるので、わがままを聞いてもらい乱れ編みを制作した。黙々と力いっぱい編んでいたので先生からは「きっと脂肪がよく燃えたよ」とうれしい言葉が。
作り方(材料はつづらフジ)
太いつるでわっかをふたつ作り(これは先生の手で)上でまとめる
奥行きサイズを決めながら中太つるをからませ、底の部分を編む
あとはランダムにつるをからませ差込み編み上げる。適当にというのが私向き

繊細でなくワイルド(乱雑ともとれる)でよい、自然の材料が入手できるという利点からも田舎ならではの趣味のひとつである。裂き織より手軽かも・・・・

おまけ
むか~し作った籐作品は、脱衣かご、パンかご、レター差し、鉢カバーなど。
色に深みが出て現在も大活躍中
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穂高神社の節分祭

2007年02月03日 | 安曇野とその周辺
今朝7時の外気温はー7℃、やれやれ。気分直しに出かけたのが穂高神社
華やかさに欠ける節分行事で、もっと賑やかかと思っていたので拍子抜けした
隣にいたレジ袋をかまえて豆撒きを待つ子供に聞くと、「去年はもっと多かったよ」
しかし、亭主殿は初めての節分イベント参加に子供のように無邪気に楽しむ。
これで福を招くことができれば・・・・まっいいか

氏子他の玉串奉納が終わると豆を撒く。歳の数だけ食べるとお腹を壊しそうなので?個にする



最後に5円玉と、抽選券つきの福豆がとんで来て、めでたく大当たりしました

  立春大吉5円玉とイノシシの陶器製鈴

ウッシシ これで今年の我が家は安泰だ

おまけ
境内側から北の鳥居を眺めると、はるか遠くに鹿島槍ヶ岳・・・新発見アングルだ
 
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浮世絵の流出にため息

2007年02月01日 | 安曇野を離れて
今朝7時の外気温は0℃だったが、冷たい風が吹きはじめた午後に雪が落ちてきた


ところで思い出しブログは苦笑もの
書き込み途中でお蔵入り記事を敢えてアップしたのは、東京日本橋でプラネタリウムによる「北斎の宇宙」を教えていただいたためです。東京へ用事を作って鑑賞するまでのつなぎですね。すみません・・・

葛飾北斎が面白くて、東京江戸博物館の肉筆浮世絵展(本日現在サイトは健在)へ
アメリカのボストン美術館には版画、肉筆画を含めて相当数点が眠っていたという
そのうちの80点が日本へ里帰り展覧会をやっていた。12月10日までの日本展を終えてからアメリカで開催とか。
礼儀正しいと思う
それにしも浮世絵の海外流出はすさまじい。というより浮世絵に魅せられ多くを所蔵した収集家が立派というべきか。散逸を免れたことは感謝せねば・・・・
そしてヨーロッパの画家達に与えた影響の大きさに、日本人は誇りをもっていいと思う

写真左:A4サイズ 重さ1.08キロの図録  写真右:A4サイズのチラシ 

北斎は他の浮世絵師を圧倒する作品だった。デザインセンスが優れており、”こうあるべき”にとらわれない斬新性が人をひきつけるのだろう
実に愉快な人物である。90歳まで生き、画号は数知れず、画狂人なるサインもある。
日本最初の漫画家でもある
右写真の下に描かれている牡丹絵は北斎の娘作だという
85歳から小布施の豪商宅に滞在し、よきパトロンに恵まれ、岩松院の天井絵も残す
凄い人生だ!その北斎にいっそう陽を当てた小布施町再生プロジェクトも素晴らしい”町おこし優等生”だと思う。何度訪ねても後悔しない
拝借サイトYOMIURI ONLINE 町おこし関連記事

おまけ
小布施には栗の老舗が3店舗あり、なかでも竹風堂は戦略上手のようだ。
サイトにはないが実は栗あんソフトクリームがとっても旨い。残念ながら小布施本店と安曇野のスワンガーデンのみ。軽井沢店では期間限定(4月~11月頃)です
しかもタップリで250円は嬉しい・・・・お客人にも大好評です
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