2023年2月の訃報特集。今回は政治関係を最初に書いて、他の人は次回にまとめて書きたい。時々、因縁のある人物が相次いで亡くなることが起こる。2月では横路孝弘と西山太吉がそれに当たるだろう。元衆議院議長の横路孝弘(よこみち・たかひろ)が2月2日に死去、82歳。父親は社会党から衆議院議員に8期当選し、60年に党安保対策委員長を務めた横路節雄である。67年に56歳で急死したため、弁護士だった長男の孝弘が28歳で後継者となった。社会党にも「二世議員」は結構多かったのである。「社会党のプリンス」と呼ばれ期待されたため、72年に沖縄返還に関する密約文書を託されることになった。
(横路孝弘)
その問題は後述するが、1983年には北海道知事選に出馬して当選して3期務めた。本人は国政に意欲があったが、元日大全共闘の田村正敏らの「勝手連」(横路孝弘と勝手に連帯する若者連合)が擁立運動を起こし、本人も応じざるを得なくなった。知事時代は「世界・食の祭典」の大赤字など批判も多かったが、そこそこ無難に務めた。95年知事選に立候補せず国政復帰を目指し、社会党ではなく鳩山由紀夫、菅直人らが結成した民主党から、96年に当選した。知事以前と合わせて、合計12期衆議院議員を務めた。民主党内の旧社会党グループ代表格として重きをなし、2009年の民主党政権発足とともに衆議院議長となった。
(北海道知事の横路)
1972年の衆議院予算委員会で、社会党の横路孝弘、楢崎弥之助両議員が、沖縄返還協定に関する日米密約があると佐藤内閣を追及した。これが実は毎日新聞の西山太吉記者が両議員に提供した外務省の機密文書が基になった質問だったのである。その西山太吉が2月24日に91歳で死去した。その時の密約は、「アメリカが地権者に支払う土地現状復旧費用400万米ドル(時価で約12億円)を日本国政府がアメリカ合衆国連邦政府に秘密裏に支払う」というもので、核持ち込みなどの大問題ではないものの、実際の外交文書を基に国会で追及されたのは大きな反響があった。この文書は西山記者が外務省事務官と親密な関係を築いて、その関係を利用して提供を受けたものだった。佐藤内閣は西山記者と事務官を逮捕し、マスコミはスキャンダル報道に関心を移していった。
(西山太吉)
西山記者は国家公務員法(機密漏洩)の教唆で起訴され、一審は無罪となったが二審で有罪となり最高裁で確定した。西山は一審判決後に退社し、家業に関わって暮らした。その後、2000年になって、アメリカの情報公開で密約が裏付けられ、西山は国家賠償請求訴訟を提起し、国家の嘘を追求する姿勢を崩さなかった。西山も、横路も、情報源秘匿をせずに文書を開示したため、政府は漏洩元を比較的早くつかんだとされる。しかし、仮に情報源秘匿に非常に注意したとしても、現実に外交文書が漏れるルートは限られているから、事務官は特定されたと思われる。だから、西山、横路の不注意で刑事事件化されたとは思わない。しかし、肝心の「情報を得るために、性的関係を持つ」という手段は、許されないだろう。「密約を暴露する」ためなら正当化できるというものではない。それと「国家の嘘」を追求するのは別問題ではあるが、そこを無視して語ることも出来ない。
(昔の西山太吉)
豊島区長の高野之夫が2月9日に現職のまま死去した。85歳。多くの人にはあまり関係ないだろうけど、豊島区の福祉施設に関係しているから、何度も話を聞いたことがある。豊島区議2期、東京都議3期を経て、1999年に豊島区長に当選。豊島区役所移転に際して上階をマンションにして新築したり、文化都市作りを進めるなどが「実績」となるが、6期務めたのは長すぎたか。池袋駅西口にあった芳林堂書店ビルの一番上にあった古書店「高野書店」の経営者だった人。
(高野之夫)
元公明党参議院議員の浜四津敏子が2020年11月29日に死去していたことが公表された。75歳。何と2年以上前のことである。1992年から2010年まで3期務め、羽田内閣で環境庁長官。1998年に新進党が分裂した時は、一時「公明」代表に就いた。
(浜四津敏子)
政治評論家の森田実が2月7日に死去、90歳。東大在学中に共産党に入党、全学連の指導者として知られた。その後、党中央と衝突して除名され、1958年に共産主義者同盟(ブント)の結成メンバーとなった。出版社勤務を経て、1973年から政治評論家として独立し、テレビなどで活躍した。21世紀になってからは、新自由主義的潮流に反対し「保守本流」的な主張を行っていた。翌2月8日には、政治ジャーナリストの田瀬康弘が死去、78歳。日経新聞記者としてワシントン支局長や論説副主幹等を歴任。1996年に日本記者クラブ賞を受賞した。選挙予想などで多くのテレビに出演した。『島倉千代子という人生』という本も書いた。
(森田実)
外国では、元パキスタン大統領のムシャラフが2月5日に事実上の亡命先のドバイで死去、79歳。1998年に陸軍参謀長となり、シャリフ首相との対立から、1999年にクーデタで全権を握った。2001年から2008年年まで大統領。「同時多発テロ」以後に親米路線に舵を切ったが、イスラム過激派や核開発、相次ぐ政争など混乱した時代の指導者だった。2019年に大統領時代の憲法停止が「反逆罪」に問われて死刑判決を受け、翌20年には取り消された。パキスタンの政治はずっと不安定である。
(ムシャラフ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/25/04/50e106026e1699558192581868899102_s.jpg)
その問題は後述するが、1983年には北海道知事選に出馬して当選して3期務めた。本人は国政に意欲があったが、元日大全共闘の田村正敏らの「勝手連」(横路孝弘と勝手に連帯する若者連合)が擁立運動を起こし、本人も応じざるを得なくなった。知事時代は「世界・食の祭典」の大赤字など批判も多かったが、そこそこ無難に務めた。95年知事選に立候補せず国政復帰を目指し、社会党ではなく鳩山由紀夫、菅直人らが結成した民主党から、96年に当選した。知事以前と合わせて、合計12期衆議院議員を務めた。民主党内の旧社会党グループ代表格として重きをなし、2009年の民主党政権発足とともに衆議院議長となった。
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1972年の衆議院予算委員会で、社会党の横路孝弘、楢崎弥之助両議員が、沖縄返還協定に関する日米密約があると佐藤内閣を追及した。これが実は毎日新聞の西山太吉記者が両議員に提供した外務省の機密文書が基になった質問だったのである。その西山太吉が2月24日に91歳で死去した。その時の密約は、「アメリカが地権者に支払う土地現状復旧費用400万米ドル(時価で約12億円)を日本国政府がアメリカ合衆国連邦政府に秘密裏に支払う」というもので、核持ち込みなどの大問題ではないものの、実際の外交文書を基に国会で追及されたのは大きな反響があった。この文書は西山記者が外務省事務官と親密な関係を築いて、その関係を利用して提供を受けたものだった。佐藤内閣は西山記者と事務官を逮捕し、マスコミはスキャンダル報道に関心を移していった。
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西山記者は国家公務員法(機密漏洩)の教唆で起訴され、一審は無罪となったが二審で有罪となり最高裁で確定した。西山は一審判決後に退社し、家業に関わって暮らした。その後、2000年になって、アメリカの情報公開で密約が裏付けられ、西山は国家賠償請求訴訟を提起し、国家の嘘を追求する姿勢を崩さなかった。西山も、横路も、情報源秘匿をせずに文書を開示したため、政府は漏洩元を比較的早くつかんだとされる。しかし、仮に情報源秘匿に非常に注意したとしても、現実に外交文書が漏れるルートは限られているから、事務官は特定されたと思われる。だから、西山、横路の不注意で刑事事件化されたとは思わない。しかし、肝心の「情報を得るために、性的関係を持つ」という手段は、許されないだろう。「密約を暴露する」ためなら正当化できるというものではない。それと「国家の嘘」を追求するのは別問題ではあるが、そこを無視して語ることも出来ない。
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豊島区長の高野之夫が2月9日に現職のまま死去した。85歳。多くの人にはあまり関係ないだろうけど、豊島区の福祉施設に関係しているから、何度も話を聞いたことがある。豊島区議2期、東京都議3期を経て、1999年に豊島区長に当選。豊島区役所移転に際して上階をマンションにして新築したり、文化都市作りを進めるなどが「実績」となるが、6期務めたのは長すぎたか。池袋駅西口にあった芳林堂書店ビルの一番上にあった古書店「高野書店」の経営者だった人。
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元公明党参議院議員の浜四津敏子が2020年11月29日に死去していたことが公表された。75歳。何と2年以上前のことである。1992年から2010年まで3期務め、羽田内閣で環境庁長官。1998年に新進党が分裂した時は、一時「公明」代表に就いた。
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政治評論家の森田実が2月7日に死去、90歳。東大在学中に共産党に入党、全学連の指導者として知られた。その後、党中央と衝突して除名され、1958年に共産主義者同盟(ブント)の結成メンバーとなった。出版社勤務を経て、1973年から政治評論家として独立し、テレビなどで活躍した。21世紀になってからは、新自由主義的潮流に反対し「保守本流」的な主張を行っていた。翌2月8日には、政治ジャーナリストの田瀬康弘が死去、78歳。日経新聞記者としてワシントン支局長や論説副主幹等を歴任。1996年に日本記者クラブ賞を受賞した。選挙予想などで多くのテレビに出演した。『島倉千代子という人生』という本も書いた。
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外国では、元パキスタン大統領のムシャラフが2月5日に事実上の亡命先のドバイで死去、79歳。1998年に陸軍参謀長となり、シャリフ首相との対立から、1999年にクーデタで全権を握った。2001年から2008年年まで大統領。「同時多発テロ」以後に親米路線に舵を切ったが、イスラム過激派や核開発、相次ぐ政争など混乱した時代の指導者だった。2019年に大統領時代の憲法停止が「反逆罪」に問われて死刑判決を受け、翌20年には取り消された。パキスタンの政治はずっと不安定である。
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