尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

松本零士、豊田章一郎、バート・バカラック他ー2023年2月の訃報②

2023年03月09日 22時40分09秒 | 追悼
 2023年2月の訃報特集2回目。いつものように細かく書いていると終わらないので、簡潔を心がけて。漫画家の松本零士が2月13日に死去、85歳。最近漫画界のレジェンドたちが毎年亡くなっているが、そういう時期なのである。1971年に『男おいどん』で知られ、1974年から放映された『宇宙戦艦ヤマト』には途中から参加したが、監督を務めた1977年の映画版が大ヒットした。また同じ77年から『銀河鉄道999』の連載を開始、アニメや舞台となって代表作となった。他にもいっぱい作品があるわけだが、まあ以上の3作に止める。でも、僕は読むどころかアニメ映画も見なかったので書くことがない。
(松本零士)
 トヨタ自動車名誉会長、元経団連会長の豊田章一郎が14日死去、97歳。会社名はトヨタだが、姓の読みは「とよだ」である。発明王豊田佐吉の孫で、自動車事業を開始した豊田喜一郎の子。1982年の「トヨタ自工」と「トヨタ自販」の合併によって誕生した「トヨタ自動車株式会社」の初代社長となり、92年に会長となった。トヨタをグローバル企業に成長させた功労者である。また愛知県出身の企業として、それまで中央財界との関わりが薄かったトヨタとして初めて、94年から98年に経団連会長を務めた。名誉職や係累も多いけど書くまでもないだろう。まだ存命だったのかと長命に驚いた。
(豊田章一郎)
 人形作家の辻村寿三郎が5日死去、89歳。2000年まで「辻村ジュサブロー」で名乗っていたので、それで記憶している人も多いだろう。NHKのテレビ人形劇『新八犬伝』(1973)、『真田十勇士』(1975)が大評判になり、芸術選奨新人賞などを受けた。その後蜷川幸雄演出の『王女メディア』や映画『魔界転生』などの衣装も担当した。東京・人形町に「ジュサブロー館」を作ったが、2015年に閉館し、現在は故郷の広島県三次市に「辻村寿三郎人形館」がある。
(辻村寿三郎)
 落語家でタレントの笑福亭笑瓶(しょうふくてい・しょうへい)が22日に死去、66歳。僕はこの人をよく知らないのだが、死因の大動脈解離が母親と同じ病気だったので驚いた。サザエさんのタラちゃんの声で知られた声優、貴家堂子(さすが・たかこ)が5日死去、87歳。もっとも長くテレビアニメの同じ役を演じたとしてギネス認定されているという。
(笑福亭笑瓶)
 1953年ミス・ユニバース世界大会で3位に入賞した伊東絹子が14日死去、90歳。日本では大評判となり「八頭身美人」としてもてはやされた。その後、映画に出演するなど芸能界で活動した後、デザイナーを目指して渡仏。外交官と結婚して引退した。
(伊東絹子)
 作曲家のバート・バカラックが8日死去、94歳。この前見直した映画『明日に向かって撃て!』の主題歌「雨にぬれても」でアカデミー賞を受けた。僕は若い頃に見て、この人の名前を覚えた。ラジオでよく掛かっていたディオンヌ・ワーウィックの「サンホセへの道」「恋よ、さようなら」も軽快で好きだった。カーペンターズの「遙かなる影」も好きだった。他にも映画『アルフィー』『ミスター・アーサー』のテーマ、アレサ・フランクリン「小さな願い」などがあるけれど、僕にとっては70年代初期にラジオで聞いてた時の、揺れるアメリカへの複雑な憧れや反発の感情を思い出す人だ。
(バート・バカラック)
 スペインの映画監督カルロス・サウラが10日に死去、91歳。1983年に『カルメン』が公開されて大ヒットした。フラメンコ映画だが、その完成度の高さに驚いた。その後『血の婚礼』『恋は魔術師』、さらに『フラメンコ』という映画も公開された。まるでフラメンコ専業監督みたいな紹介だったが、1976年の『カラスの飼育』(カンヌ映画祭グランプリ)など映画祭で多数受賞した有名監督だった。同じ10日にイギリスの映画監督ヒュー・ハドソンも死去、86歳。この人は全く『炎のランナー』(1981)で記憶される。アカデミー賞作品賞でテーマ曲は今もよく使われる。名作を見たという映画だった。他の映画は見てない。
(カルロス・サウラ)
 アメリカの女優ラクエル・ウェルチが15日死去、82歳。1966年の『ミクロの決死圏』で注目され、同年の『恐竜百万年』などで、グラマーな「肉体派」として人気を集めた。1973年の『三銃士』ではゴールデングローブ賞ミュージカル・コメディ部門の主演女優賞を獲得した。60年代末から70年代にかけて主演作も多く、とても有名な人だったんだけど…。21世紀になってから、映画、テレビに時々出ていたようである。
(ラクエル・ウェルチ) 
 学者では社会思想史の水田洋が3日に死去した。103歳。アダム・スミス研究の第一人者で、多くの著書、翻訳がある。岩波文庫のアダム・スミス『国富論』『道徳感情論』、ホッブス『リヴァイアサン』はこの人の訳である。他にも社会科学、社会思想史に関する多数の一般書もあるけど、僕は読んだことがない。なお、妻の女性学研究者の水田珠枝も93歳で存命である。またマルクス経済学研究の第一人者、伊藤誠が7日死去、86歳。美術史家で元奈良国立博物館長の西川杏太郎が24日死去、93歳。専門は日本彫刻史。

 アートディレクターの信藤三雄(しんどう・みつお)が10日死去、75歳。松任谷由実など多くのミュージシャンのCDジャケットを手掛けたことで知られる。プロモーションビデオや映画監督など映像作家としても活躍した。東映社長の手塚治が11日死去、62歳。あれだけアニメで大もうけしている東映社長が「手塚治」だったのには驚いた。人間国宝の長唄三味線方、杵屋勝国が9日死去、77歳。音楽学者の三井徹が19日死去、82歳。本業は金沢大名誉教授の英文学者だが、ポピュラー音楽の研究者として日本ポピュラー音楽学会の初代会長を務めた。ブルース、カントリー、ロックなどの本をたくさん書いている。

 映画評論家の山根貞男が20日死去、83歳。ずいぶんいろんな本を書いていて、僕も結構読んできた。「日本映画作品大事典」をまとめたことでも知られる。知られざる功績がたくさんある人らしいけど、それまであまり批評の対象になってこなかったマキノ雅弘、加藤泰、中川信夫などを評価したことが重要だと思う。同じく映画評論家の河原畑寧(かわらばた・やすし)が4日死去、88歳。読売新聞の映画記者で、若い時はなかなかシャープだと思っていたが、次第に読売の論調に影響されたのか、『プライド』をベストワンにしていたのには驚いた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする