何でもプーチンがマリウポリに「視察」に来たんだという。アゾフ海に面したウクライナのマリウポリなんて町の名前は、去年まで全然知らなかった。世界中の多くの人が同じだろう。そう思っていたときに、『彼女はマリウポリからやって来た』という本が出版された。著者はナターシャ・ヴォーディン(Natascha Wodin、1945~)というドイツで活動している作家である。白水社から2023年1月に刊行され、350ページ、税抜き2800円。高く重く長く、そして暗い本である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/09/47/0c744fdfbd9241ad14f5aa0cc374c5e2_s.jpg)
この本を読み切るのに一週間以上掛かった。単に長いだけじゃなくて、内容が悲惨すぎて読んでて辛いのである。そういう本も大事だけれど、ここまで来ると多くの人にお薦めしにくい。人名もいっぱい出て来て、誰が誰だか全然判らなくなる。家系図が付いているから、何度も見返しながら読んだ。小説好きというより、ヨーロッパ現代史に深い関心を持つ人向けかと思う。題名の「彼女」というのは、著者の母のことである。波瀾万丈をはるかに飛び越した悲惨極まりないファミリー・ヒストリーには驚くしかない。
ドイツで育った著者は、ロシア人の父、ウクライナ人の母の間に生まれた。わずか10歳の時に母が自殺したために母の一族を全く知らない。極貧の生活の中で母の遺品も少なく、面影も日々遠くなる。この本の成立にはインターネットの発達があった。ある日思いついて、インターネット上にロシア語で母の名を打ち込んでみる。特に期待もしていなかったが、やがて家系図探しを生甲斐にしているロシア人と知り合うことになる。著者は母がマリウポリ生まれだったということは聞いていた。
(マリウポリの位置)
母親によれば、昔は貴族で祖母はイタリア人、一族にオペラ歌手がいた…、いろんなことを子ども時代の母は語っていた。しかし、幼い子どもには理解出来ず、証拠はどこにもない。母には姉と兄がいたが、どこで何をしているか消息不明。祖父母も同様で、母はドイツに連れて来られてから一度も自分の母には会えなかった。伯父伯母がいたからいとこがいるもしれないが、一族の行方は何も知らなかったのである。しかし、20世紀前半のヨーロッパには「二人の口ひげ」がいたわけだから、どうせ生き延びられなかっただろうと思って生きてきたのである。
「二人の口ひげ」とは、後に電話で話した親戚が実名を言いたくなくて使った表現である。もちろんソ連のスターリンとドイツのヒトラーを意味している。この二人のため数千万の人命が失われた。その大惨劇を思えば、到底生き延びられたとは思えないではないか。ところがインターネットの検索によって、少しずつ事情が明らかになっていく。ギリシャ人が多かった港町マリウポリで、実際にイタリア人の船長が住み着いて大金持ちになった。母の兄はソ連でも有名なオペラ歌手だった時期もあった。「伝説」はおおむね確認出来たのである。そして、伯母(母の姉)リディアが80歳の時に書き遺した自伝が見つかる。そこまでが第一部。
(左=著者、右=若き日の母)
リディア(1911~2001)の数奇なる人生は、とても書き切れない。ロシア革命によって、裕福な階級から一転して最下層に転落。何とかオデッサの大学を卒業した後で「政治犯」になった。何と反ソ連革命組織に関わっていたのだ。そんなものがあったのか。大学で知り合った米国帰りのユダヤ系女性が、ソ連共産党は反人民的組織に転落したと考えチラシなどを作っていたとは、全く驚くべき事実だ。リディアは流刑になったが、厳しい環境を生き抜いていく。少年犯罪者を教える教師になったエピソードなど忘れがたい。流刑地で結婚して子どももいた。一族はその後も恐るべき転変が相次ぐが、ここでは省略する。
(母、姉、兄が写った写真)
第3部では著者の母親の人生がたどられ、第4部では幼い著者自身の体験が語られる。そこには推測も交じり、それまでのノンフィクション的な語りとは異なっている。祖母が姉リディアのところに行っていたときに、独ソ戦が始まった。そのため、マリウポリに残った母は一人で戦争を生き抜かなくてはならない。占領したドイツ軍の命令で働かされ、赤軍による「解放」が近づくと、今度は「ドイツ協力者」が許されないことを知っているから逃れようとする。そしてドイツの移送労働者になるのである。そこではナチスの宣伝とは全く異なり、最下層の労働者として酷使、差別される。
戦後になっても、故郷に帰ることは出来ない。戦勝国になった祖国は、敵だったドイツより恐ろしいのである。だがドイツでは最下層の暮らしを余儀なくされる。そして心を病んだ母親は川に入って入水自殺することになる。この本では父親のことはあまり語られていないが、それは父に関しては別の本を書いたかららしい。父は暴力を振るって、著者は家を出てホームレス少女になったらしい。その後苦労して作家になっていく人生は、訳者あとがき、またドイツ語のウィキペディアに詳しい。
この本を読んで、ヨーロッパ現代史の壮絶な犠牲に言葉もない思いがした。ロシア革命と言えば、一時は全人類の希望のように語られていたが、実は恐るべき災厄だったことがよく判る。ロシアから見ているのと、ウクライナから見るのとではまた違う。中国の文化大革命やポル・ポト時代のカンボジアを思わせる破壊と殺戮の繰り返しである。そして戦後ドイツ社会への認識も不足していた。ドイツは戦争責任に向き合ったかのイメージが強いが、著者のような「東方労働者」はほとんど無視され、60年代半ばになっても収容所暮らしだった。現在に至っても、きちんとした研究も少ないようだ。知らないことは多いと改めて思った。
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この本を読み切るのに一週間以上掛かった。単に長いだけじゃなくて、内容が悲惨すぎて読んでて辛いのである。そういう本も大事だけれど、ここまで来ると多くの人にお薦めしにくい。人名もいっぱい出て来て、誰が誰だか全然判らなくなる。家系図が付いているから、何度も見返しながら読んだ。小説好きというより、ヨーロッパ現代史に深い関心を持つ人向けかと思う。題名の「彼女」というのは、著者の母のことである。波瀾万丈をはるかに飛び越した悲惨極まりないファミリー・ヒストリーには驚くしかない。
ドイツで育った著者は、ロシア人の父、ウクライナ人の母の間に生まれた。わずか10歳の時に母が自殺したために母の一族を全く知らない。極貧の生活の中で母の遺品も少なく、面影も日々遠くなる。この本の成立にはインターネットの発達があった。ある日思いついて、インターネット上にロシア語で母の名を打ち込んでみる。特に期待もしていなかったが、やがて家系図探しを生甲斐にしているロシア人と知り合うことになる。著者は母がマリウポリ生まれだったということは聞いていた。
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母親によれば、昔は貴族で祖母はイタリア人、一族にオペラ歌手がいた…、いろんなことを子ども時代の母は語っていた。しかし、幼い子どもには理解出来ず、証拠はどこにもない。母には姉と兄がいたが、どこで何をしているか消息不明。祖父母も同様で、母はドイツに連れて来られてから一度も自分の母には会えなかった。伯父伯母がいたからいとこがいるもしれないが、一族の行方は何も知らなかったのである。しかし、20世紀前半のヨーロッパには「二人の口ひげ」がいたわけだから、どうせ生き延びられなかっただろうと思って生きてきたのである。
「二人の口ひげ」とは、後に電話で話した親戚が実名を言いたくなくて使った表現である。もちろんソ連のスターリンとドイツのヒトラーを意味している。この二人のため数千万の人命が失われた。その大惨劇を思えば、到底生き延びられたとは思えないではないか。ところがインターネットの検索によって、少しずつ事情が明らかになっていく。ギリシャ人が多かった港町マリウポリで、実際にイタリア人の船長が住み着いて大金持ちになった。母の兄はソ連でも有名なオペラ歌手だった時期もあった。「伝説」はおおむね確認出来たのである。そして、伯母(母の姉)リディアが80歳の時に書き遺した自伝が見つかる。そこまでが第一部。
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リディア(1911~2001)の数奇なる人生は、とても書き切れない。ロシア革命によって、裕福な階級から一転して最下層に転落。何とかオデッサの大学を卒業した後で「政治犯」になった。何と反ソ連革命組織に関わっていたのだ。そんなものがあったのか。大学で知り合った米国帰りのユダヤ系女性が、ソ連共産党は反人民的組織に転落したと考えチラシなどを作っていたとは、全く驚くべき事実だ。リディアは流刑になったが、厳しい環境を生き抜いていく。少年犯罪者を教える教師になったエピソードなど忘れがたい。流刑地で結婚して子どももいた。一族はその後も恐るべき転変が相次ぐが、ここでは省略する。
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第3部では著者の母親の人生がたどられ、第4部では幼い著者自身の体験が語られる。そこには推測も交じり、それまでのノンフィクション的な語りとは異なっている。祖母が姉リディアのところに行っていたときに、独ソ戦が始まった。そのため、マリウポリに残った母は一人で戦争を生き抜かなくてはならない。占領したドイツ軍の命令で働かされ、赤軍による「解放」が近づくと、今度は「ドイツ協力者」が許されないことを知っているから逃れようとする。そしてドイツの移送労働者になるのである。そこではナチスの宣伝とは全く異なり、最下層の労働者として酷使、差別される。
戦後になっても、故郷に帰ることは出来ない。戦勝国になった祖国は、敵だったドイツより恐ろしいのである。だがドイツでは最下層の暮らしを余儀なくされる。そして心を病んだ母親は川に入って入水自殺することになる。この本では父親のことはあまり語られていないが、それは父に関しては別の本を書いたかららしい。父は暴力を振るって、著者は家を出てホームレス少女になったらしい。その後苦労して作家になっていく人生は、訳者あとがき、またドイツ語のウィキペディアに詳しい。
この本を読んで、ヨーロッパ現代史の壮絶な犠牲に言葉もない思いがした。ロシア革命と言えば、一時は全人類の希望のように語られていたが、実は恐るべき災厄だったことがよく判る。ロシアから見ているのと、ウクライナから見るのとではまた違う。中国の文化大革命やポル・ポト時代のカンボジアを思わせる破壊と殺戮の繰り返しである。そして戦後ドイツ社会への認識も不足していた。ドイツは戦争責任に向き合ったかのイメージが強いが、著者のような「東方労働者」はほとんど無視され、60年代半ばになっても収容所暮らしだった。現在に至っても、きちんとした研究も少ないようだ。知らないことは多いと改めて思った。