尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画『バニシング・ポイント』、アメリカン・ニュー・シネマ再見

2023年03月10日 22時30分39秒 |  〃  (旧作外国映画)
 落語や2月の訃報を書いている間に、本や映画が溜まってしまった。13日は袴田事件の再審決定が出る日だから、今年は東京大空襲や東日本大震災の記事は書かず週末も趣味方面で。ちょっと前に『バニシング・ポイント』(Vanishing Point)という映画を見た。ほとんど宣伝してないから、やってることも知らない人が多いだろう。1971年の映画で、日本では同年に公開されキネ旬ベストテンで5位と高く評価された。僕は若い頃に見ていて、どういう映画だったっけ、もう一度見たいなと思ってきた。当時言われた「アメリカン・ニュー・シネマ」の代表作という感じの映画である。

 映画の内容はただ車をぶっ飛ばすだけという感じである。その合間に主人公の過去がちょっとずつ出て来たり、盲目の黒人DJがやってるラジオ局が出て来たりする。でも、映画の大体の時間は車の陸送を仕事にしている男コワルスキーバリー・ニューマン)が、デンバー(コロラド州)からサンフランシスコ(カリフォルニア州)目指して、ひたすら車を飛ばしている。15時間で届けるとちょっとした賭けをしたのである。当然スピード違反をせざるを得ず、パトロール警官に警告される。それで停まったら映画はそこで終わりだが、彼は無視してパトカーや白バイを振り切っていく。

 車種は「白の1970年型ダッジ・チャレンジャー」というクライスラー社のものだという。誰かに届ける車なのにこんな無理していいのかと思うけど、それを言ったらオシマイ。ただのスピード違反なのに、振り切られた警察の車はダメになるし、警官も負傷する。コロラドからユタ、ネヴァダ、カリフォルニアと逃げられ、警察もメンツをつぶされて次の州に引き継いでいく。その警察無線を傍受して、スーパー・ソウルという盲目DJが放送したから、がぜん注目されコワルスキーを助ける人も出て来る。見失わないようにヘリコプターまで追ってくる。

 カリフォルニア警察はついに厳重な検問所を設けて、なんとブルドーザー2台で道をふさぐ作戦を取る。しかし、コワルスキーは「バニシング・ポイント」(消失点)に向かってアクセルを踏み込むのだった。という映画なんだけど、今見ても「カーアクション」の凄さは見応え十分。だけど「物語」として見た時は、何でここまでぶっ飛ばすのか今では理解出来ない気もする。銀行強盗をして逃げてるとかの「合理的理由」がない。「必然性がない」というヤツである。デンバー、サンフランシスコ間の距離を調べると、約1550キロだという。ガソリン入れたり休憩も必要だが、15時間で行くためには時速約100キロ超で可能。警察にはソフトに対応してやり過ごした方が良いではないか。

 というようなことを今言っても無意味だ。当時「アメリカン・ニュー・シネマ」と言われた映画は、『俺たちに明日はない』『明日に向かって撃て!』が代表的だが、主人公たちは皆破滅に向かって突き進んでいく。ヴェトナム戦争では若者たちが死んでいき、本国でもマーチン・ルーサー・キングロバート・ケネディが暗殺(1968年)され、多くの都市では激しい黒人暴動が起きる。そんな時代だったことを忘れてはならない。それまでのハリウッド映画は不自然に皆がハッピーになって終わりになる。反対に「アメリカン・ニュー・シネマ」が今見返すと不自然なほどに破滅的なのは、そのような時代背景を抜きには理解出来ない。

 監督はリチャード・C・サラフィアン(1938~2013)という人で、『サンセット77』『バークレー牧場』など多くのテレビドラマで有名になった後、映画監督になった。この映画の他には『ロリ・マドンナ戦争』『キャット・ダンシング』などがあるが、まあ忘れられた存在だろう。晩年にはむしろ俳優業が中心だったらしい。巨匠ロバート・アルトマンの義弟に当たるという。

 脚本はギレルモ・ケインという人で、実は『亡き王子のためのハバーナ』などで知られるキューバ出身の作家、カブレラ=インファンテだという話。またクウェンティン・タランティーノ監督の『デス・プルーフ in グラインドハウス』では、この映画にちなんだカースタントが描かれている(とウィキペディアに出てるけど、すっかり忘れてしまった。)音楽も素晴らしいけど、今初めて見た若い人が素直に熱中できるかどうかはよく判らないなあ。
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