山本文緒『自転しながら公転する』(新潮文庫)を読んだのは、『彼女はマリウポリからやってきた』より前だった。少し時間が経ってしまったけど、やはり書いておきたいと思う。2021年10月に58歳で亡くなった作家の、(多分)最後から二つ目の小説である。2020年9月に刊行され、島清恋愛文学賞と中央公論文芸賞を受けている。2022年11月に文庫化されたが、650ページを越えるから長くてなかなか読み進まない。山本文緒は2000年に『プラナリア』で直木賞を受けた作家だから、文章自体は読みやすい。でも登場人物の境遇や心理をじっくり描いて、「身につまされ度」が高くいろいろ考えちゃう。

人間の一生には大きなことが幾つかある。人それぞれ少し違うだろうが、特に恵まれた生まれの少数の人以外は「仕事」をしなければ生きていけない。そして誰かを好きになって「結婚」をする。しなくてもいいし、したくても無理な条件があるときもある。同性を好きになることもあるが、異性を好きになって家庭を作ることが多い。そして「親」の問題がある。子のない人はいても、親がない人はいない。そして親が先に老いてゆくから、親の介護などの問題が付いて回る。
なんて当たり前のことを書いてしまったが、この小説の主人公、30代初めの与野都という女性は、この3つすべて問題を抱えている。高卒で好きなアパレル・ブランドでアルバイトを始め、正社員に昇格して東京で店長にもなった。しかし、仕事も恋愛もいろいろあって(何があったのかはなかなか出て来ないけど)、さらに母親が体調不良で病院通いになってしまう。父親は家のローンが残っていて、仕事を辞めるわけにはいかない。だから一人娘の都に戻ってくれないかという話になる。母が死んだりしたらずっと悔いが残ると思って、そこは一応納得して都は故郷に戻ってきたのである。
その故郷というのが茨城県南部の牛久あたりなのである。都は牛久大仏が望めるアウトレットのアパレルショップで契約社員として働きながら、仕事のない日は母に付き添って病院に通っている。結婚したいけど、今は特に付き合っている男性はいない。小説の中では書かれていないが、働いているのは牛久市の隣の阿見町にある「あみプレミアム・アウトレット」だろう。また「牛久シャトー」を思わせるレストランで母親と友人が食事をする場面もある。東京タワーが象徴的に出て来る物語はあるけど、牛久大仏に見守られている小説もあるのか。このような「東京からちょっと離れた」地域感が印象的だ。
(牛久大仏)
山本文緒は1999年の『恋愛中毒』が凄いと思った。でも、こういう小説を書いちゃう人はどうなんだろうと思わないでもなかった。その後直木賞を取って人気作家になるも、2003年にうつ病になって闘病を余儀なくされた。その後エッセイで復帰するも、長編小説は少ない。この小説は2013年以来7年目の新作小説だった。どんな小説でも共感できる要素があるわけだが、この小説の主人公はどう生きれば良いのか。僕にはアイディアが浮かばない。アパレルショップの事情は判らないし、ましてや誰と結婚するべきかなど僕があれこれ言う問題じゃない。
都は偶然ある男と知り合う。アウトレットにある回転寿司の第一印象最悪の店員である。だけど何となく悪くない感じもする。名前は寿司職人の父が名付けた貫一。だから彼は都を「おみや」と読んで面白がる。「貫一お宮」の『金色夜叉』である。何、それと本を読まない都には全然通じない。この二人は境遇も生き方も全然違っていることが段々判ってくる。それでも全然違うからこそ引かれ合う部分もある。で、どうするんだよと突っ込みたくなる展開が続いて、あまりにも痛い言葉が行き交う。
(山本文緒)
ある仕掛けがあって、結局そうなったのかと思うラストまで一気呵成に読んでしまった。ラスト近く、都が広島にボランティアに行く場面など、あまりにいたたまれなくて読む方も沈んでしまう。高校時代(卓球部)のメンバーと時々会って、鋭い指摘を聞かされる場面。職場のセクハラ、パワハラなどの事情。それと冒頭に出て来るベトナムでの結婚式。どう着地するのか、なかなか見えてこないけど、人の一生は計りがたいことの連続だ。ちょっと可愛くて、仕事はきちんと出来るのに、なかなか幸せになれない。そんな主人公を生き生きとと描き出し、自分のことを書かれたのかと思う人も多いだろう。
ところで題名はどういう意味だろう。小説内で貫一がよく言ってるけど具体的にはよく判らない。僕らは全員「自転しながら公転」しているけど、それを自覚はしない。あれこれ、グルグル思考が空回りすることの比喩にも思うけど、自分の回転は自分で認識出来ないということかもしれない。皆が皆、地球と共に自転しながら公転しているわけだけど。

人間の一生には大きなことが幾つかある。人それぞれ少し違うだろうが、特に恵まれた生まれの少数の人以外は「仕事」をしなければ生きていけない。そして誰かを好きになって「結婚」をする。しなくてもいいし、したくても無理な条件があるときもある。同性を好きになることもあるが、異性を好きになって家庭を作ることが多い。そして「親」の問題がある。子のない人はいても、親がない人はいない。そして親が先に老いてゆくから、親の介護などの問題が付いて回る。
なんて当たり前のことを書いてしまったが、この小説の主人公、30代初めの与野都という女性は、この3つすべて問題を抱えている。高卒で好きなアパレル・ブランドでアルバイトを始め、正社員に昇格して東京で店長にもなった。しかし、仕事も恋愛もいろいろあって(何があったのかはなかなか出て来ないけど)、さらに母親が体調不良で病院通いになってしまう。父親は家のローンが残っていて、仕事を辞めるわけにはいかない。だから一人娘の都に戻ってくれないかという話になる。母が死んだりしたらずっと悔いが残ると思って、そこは一応納得して都は故郷に戻ってきたのである。
その故郷というのが茨城県南部の牛久あたりなのである。都は牛久大仏が望めるアウトレットのアパレルショップで契約社員として働きながら、仕事のない日は母に付き添って病院に通っている。結婚したいけど、今は特に付き合っている男性はいない。小説の中では書かれていないが、働いているのは牛久市の隣の阿見町にある「あみプレミアム・アウトレット」だろう。また「牛久シャトー」を思わせるレストランで母親と友人が食事をする場面もある。東京タワーが象徴的に出て来る物語はあるけど、牛久大仏に見守られている小説もあるのか。このような「東京からちょっと離れた」地域感が印象的だ。

山本文緒は1999年の『恋愛中毒』が凄いと思った。でも、こういう小説を書いちゃう人はどうなんだろうと思わないでもなかった。その後直木賞を取って人気作家になるも、2003年にうつ病になって闘病を余儀なくされた。その後エッセイで復帰するも、長編小説は少ない。この小説は2013年以来7年目の新作小説だった。どんな小説でも共感できる要素があるわけだが、この小説の主人公はどう生きれば良いのか。僕にはアイディアが浮かばない。アパレルショップの事情は判らないし、ましてや誰と結婚するべきかなど僕があれこれ言う問題じゃない。
都は偶然ある男と知り合う。アウトレットにある回転寿司の第一印象最悪の店員である。だけど何となく悪くない感じもする。名前は寿司職人の父が名付けた貫一。だから彼は都を「おみや」と読んで面白がる。「貫一お宮」の『金色夜叉』である。何、それと本を読まない都には全然通じない。この二人は境遇も生き方も全然違っていることが段々判ってくる。それでも全然違うからこそ引かれ合う部分もある。で、どうするんだよと突っ込みたくなる展開が続いて、あまりにも痛い言葉が行き交う。

ある仕掛けがあって、結局そうなったのかと思うラストまで一気呵成に読んでしまった。ラスト近く、都が広島にボランティアに行く場面など、あまりにいたたまれなくて読む方も沈んでしまう。高校時代(卓球部)のメンバーと時々会って、鋭い指摘を聞かされる場面。職場のセクハラ、パワハラなどの事情。それと冒頭に出て来るベトナムでの結婚式。どう着地するのか、なかなか見えてこないけど、人の一生は計りがたいことの連続だ。ちょっと可愛くて、仕事はきちんと出来るのに、なかなか幸せになれない。そんな主人公を生き生きとと描き出し、自分のことを書かれたのかと思う人も多いだろう。
ところで題名はどういう意味だろう。小説内で貫一がよく言ってるけど具体的にはよく判らない。僕らは全員「自転しながら公転」しているけど、それを自覚はしない。あれこれ、グルグル思考が空回りすることの比喩にも思うけど、自分の回転は自分で認識出来ないということかもしれない。皆が皆、地球と共に自転しながら公転しているわけだけど。