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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

今村昌平の「重喜劇」を見よ

2012年05月09日 23時31分56秒 |  〃  (日本の映画監督)
 今井正監督について書いた時に、60年代は今村昌平や大島渚の時代になったと書いた。その今村昌平(1926~2006)の7回忌追悼として、池袋の新文芸坐で長編映画19本が全部上映される。(23日から6月1日まで)。「甦れ〈重喜劇〉」と題されたその特集、「人間の欲望と性、そして、いのちを見つめつづけた世界の巨匠」とうたっている。確かに今村は「世界の巨匠」である。カンヌ映画祭の最高賞「パルム・ドール」を2回受賞した世界でたった3人しかいない監督の一人である。1983年の「楢山節考」と1997年の「うなぎ」である。(他の二人は「パパは出張中!」「アンダーグラウンド」のエミール・クストリッツァ(セルビア)と「ロゼッタ」「ある子供」のダルデンヌ兄弟(ベルギー)
(今村昌平)
 ところがこの2作は今村の代表作ではない。もっとすごい作品を60年代に連発していたのである。僕にとって日本映画史上最高の映画監督である。昔から今村と溝口健二が一番好きで、昔よく見た小津安二郎と黒澤明の位置は下がっている。このような世界的な映画監督ともなれば、結局はその監督の世界を評価するか、好きかどうかになる。黒澤映画はエラそうな人が多すぎ。昔あんなに面白かった「野良犬」を見直したら、志村喬の刑事が新米の三船敏郎に「こんなにたくさんの悪党を死刑台に送ったんだ」と誇示する場面にがく然とした。(ちなみにほとんどの黒澤映画は「姿三四郎」の変奏で、哲人的な先輩と鍛えられていくルーキーのホモソーシャルな物語である。)小津映画も、戦前の失業者が戦後は大企業の重役に出世はするが、人間関係と経済の網の目の中で「結婚」をめぐる取引関係を描く映画がほとんどである。黒澤も小津も、映画に現れる日本の家父長的な構造がいやになる。

 日本映画史上最高の愛の作家は溝口健二で、「近松物語」や「西鶴一代女」の気高さといったら比類ない。一方、今村昌平は「猥雑な民衆のエネルギー」を底辺女性を通して描く。世界映画史に他に思い浮かばない。58年の「盗まれた欲情」「西銀座駅前」「果てしなき欲望」の初期3作がすでにそういう感じ。今村は日活の監督だが、その題名を見ればロマンポルノが日活の伝統を受け継いでいた部分があるのが判る。続いて、59年に「にあんちゃん」でベストテン3位。大ベストセラーになった在日朝鮮人の子供の日記の映画化である。映画では「朝鮮」が消されて、貧しい炭鉱の少女のけなげさを描く感動作になってしまった。それはそれで名作だけど。

 61年の「豚と軍艦」(7位)から底辺民衆のエネルギーを描く「重喜劇」の傑作が始まる。横須賀を舞台にした米軍基地問題を、「米軍の残飯で養豚しよう」というチンピラの話として展開する発想のすごさ。63年の「にっぽん昆虫記」(1位)はベルリンで左幸子が女優賞を取った傑作で、貧農の娘が生き抜くさまを描く代表作の一本。続く64年「赤い殺意」(4位)も大傑作で、春川ますみの妻が犯罪被害にあってから西村晃の夫との関係が変わっていくさまをじっくり描く。66年の「人類学入門」(2位)は野坂昭如の「エロ事師たち」の映画化で、小沢昭一の映画での代表作。今村には珍しい男が主人公の映画だけど、全然強くないエロ事師(ブルーフィルム製作など性商品の製造販売業)の話で、これもおかしい傑作。67年の「人間蒸発」(2位)は行方不明になった(当時「蒸発」と呼ばれた)婚約者を探す女の話だが、記録映画だか劇映画だか判らない作りになっている。
(「豚と軍艦」)
 以上白黒映画で、初のカラーが南島ロケで日活を破産させかけた超大作(178分)、68年の「神々の深き欲望」(1位)。僕は日本映画史の最高傑作と評価している。「神話」として作られていて、映像の喚起力が強いのが魅力なのだ。柳田國男や吉本隆明の「南島論」、のちに島尾敏雄が「ヤポネシア」と名付けた列島最南の島々に展開する一代叙事詩である。70年の「にっぽん戦後史」は白黒に戻った記録映画で横須賀のバー「おんぼろ」のマダムの自分史語り。以後しばらく映画を作れなくなる。黒澤なども同じで、日本映画の危機の中で金食い虫の巨匠ほど映画が作れなくなったのだ。その頃は、1975年に日本映画専門学校(昨年から大学)を開校させ校長となるという大きな事業を始めている。
(「神々の深き欲望」)
 79年の「復讐するは我にあり」(1位)で復活。佐木隆三の直木賞受賞のベストセラーの映画化で、実在の連続殺人鬼西口彰を緒形拳が圧倒的な迫力で演じる。倍賞美津子の助演が素晴らしい他、スタッフ、キャストの力がすごい傑作だ。以後、81年「ええじゃないか」(9位)、83年「楢山節考」(5位)、87年「女衒」(7位、「ぜげん」)、89年「黒い雨」(1位)と「歴史映画」が多く作られた。「女衒」というのは「女を売買する仕事をするもの」の意味で、日本から底辺女性を「からゆきさん」として東南アジアへ売りとばした村岡伊平次という実在人物の自伝の映画化。「黒い雨」は井伏鱒二の映画化で「原爆映画の最高峰」と言われた。故・田中好子一代の名演である。

 ちょっと間が空いて、97年「うなぎ」(1位)がカンヌ最高賞で皆びっくり。よくできた艶笑喜劇みたいな感じで、殺人がベースにあるがあまり重くならない。今村も老いて軽くなったかなの感想を持った。98年「カンゾー先生」(4位)、01年「赤い橋の下のぬるい水」(10位)も同じ。「軽喜劇」に転身したかという老境の遊び心。坂口安吾原作が基の「カンゾー先生」は、戦争中になんでも肝臓病と診断してしまう「カンゾー先生」という医者の話で、僕は大好き。このほかテレビドキュメンタリーの傑作がある。「からゆきさん」や「未帰還兵を追って」などで東南アジアを舞台にした底辺民衆史が中心。こうしてみると、僕にとっては79年「復讐するは我にあり」までが真にすごい作品の時代で、なんといっても60年代が創造力にあふれていた黄金時代だと思う。

 映画の中に貧しい人が出てくる映画は世界にたくさんある。アメリカの「怒りの葡萄」(スタインベックの傑作をジョン・フォードが映画化)や、イタリアのネオ・レアリスモの代表作「自転車泥棒」みたいに、悲惨な中にも気高く生きる民衆像が普通である。エネルギッシュで猥雑な民衆像という映画は珍しい。イタリアのフェデリコ・フェリーニには近い部分があるが、フェリーニは芸術家としての肥大した自我が強い。今村昌平はそういう「自家中毒」からほとんど自由なのがすごい。「性表現の自由」がある程度確保された国でないとできないが、左翼の民衆像(貧しい人々が団結して戦う)が教条的に見えてきた60年代に真に重要な意味を持ったと思う。80年代になると歴史の中の民衆を描くようになり、それが今一つ見ている側に「隔靴掻痒」(かっかそうよう)のもどかしさを感じさせた。そういう点も含めて、この偉大な映画監督の全体像はこれから再評価されていくだろう。もっともっと高く評価されるべき映画監督である。
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青春の「日活ロマンポルノ」、名作の数々

2012年05月08日 01時05分17秒 |  〃  (旧作日本映画)
 今年は映画会社「日活」の創立100年で様々な記念上映が計画されている。その第一陣として、渋谷のユーロスペースで12日~6月1日まで3週間にわたって「生きつづける ロマンポルノ」30本の特集上映がある。今、改めて「70年代の青春」を振り返って、「日活ロマンポルノ」の意義を考えて起きたい。

 「日活」とは「日本活動写真」の略だから古い。大正時代の「目玉の松ちゃん」以来、時代劇を製作し日本映画の中心に存在してきた。戦時中に製作部門が国策で統合され、その後は配給会社として存続していた。1954年に製作を再開したが、しばらくは文芸路線がヒットせず苦労した。思いがけず石原裕次郎という大スターが登場、青春アクション路線で大ヒットした。60年代半ばになって吉永小百合が登場、若い世代が押し寄せる映画会社だった。しかし、テレビに押され映画界は斜陽化していき、ワンマン経営の失敗もあり、70年代になると経営危機におちいった。71年夏に公開された傑作「八月の濡れた砂」(藤田敏八監督)を最後に従来の日活映画は終焉を迎えた。

 そして会社側は低予算の「成人映画専門会社」として生き残ることに賭けた。これは大手会社が会社ごとポルノ映画作りに集中するという世界映画史上空前の出来事だった。いくらなんでも「そこまで身を落とすのか」というのが当時の多くの人々の感想だった。それまでのスターやスタッフの多くも会社を去る。僕も若い映画ファンとして信じられない思いでこのニュースを聞いていた。しかし、1972年になってから映画雑誌「キネマ旬報」などを中心にして「ロマンポルノが頑張っている」という声が聞かれるようになった。そして72年のキネ旬ベストテンに2作品が入選、さらに主演女優賞を日活ロマンポルノの伊佐山ひろ子が取ってしまった。「忍ぶ川」の栗原小巻という大本命を押さえた受賞だった。

 以後88年まで700本近く作られたという。しかし、実質的には70年代に終わっていたと言ってもいいだろう。ロマンポルノがベストテンに入っているのも70年代だけである。そしてそれはちょうど僕の高校、大学、大学院時代に重なっていた。だからたくさん見た、というわけでもない。学生だから「名画座」に下りて来てから見ることが多く、池袋の文芸地下銀座並木座でたくさん見た。だから神代辰巳田中登など監督中心に評価された作品を後追いしたものが多い。それは日活だけでなく、東映実録映画であれ、外国映画であれ皆同じ。でも、神代辰巳や田中登の映画は本当に面白かった

 なんで当初のロマンポルノにあれほどすぐれた作品が相次いだのか。会社側は2週間ごとに2本の作品が必要で、「濡れ場」さえ入れれば何でも可に近い驚くべき自由が監督に与えられたのである。スターや監督が去り、若い助監督が昇進して自由なキャスティングで奔放に映画を作る。しかも会社の危機を背負い、「性」という人間の根源的なテーマを与えられる。低予算とはいえ、もっと悪条件で作っていた「ピンク映画」よりは予算が豊富で、ピンク界からも人材が集まった。評判を聞いた他社の大物監督をゲストに呼んだりもできるようになった。時あたかも60年代末の「政治の熱狂」が終わり、「挫折の青春」時代になっていた。政治に背を向けひたすらセックスにのめりこみ落ちて行く青春…というのが時代のムードに当てはまったこともある。

 と言っても、要するに今も残るのは数人の監督作品ということになるのではないか。凡作が多いのは、それまでの日活映画であれ、松竹の女性映画、東映の任侠映画、みな同じである。そして日活は決してポルノだけ作っていたのではない。けっこう一般映画も作ったし、児童映画ももう一本の柱として残した。例えばアクション映画を作っていた澤田幸弘は、「濡れた荒野を走れ」というポルノも作ったが、「ともだち」という児童映画の傑作も作った。(結局は「大都会」「西部警察」などのテレビのアクション番組の演出が中心的な仕事となった。)

 監督中心に簡単にみておく(太字がベストテン入選)
 神代辰巳(くましろ・たつみ、1927~1995)が7本上映。「濡れた唇」「一条さゆり 濡れた欲情」「恋人たちは濡れた」「四畳半襖の裏張り」「四畳半襖の裏張り しのび肌」「赤線玉の井 ぬけられます」「赫い髪の女」。「濡れた欲情」は近年見直したが全く古びていない大傑作。「四畳半襖の裏張り」は「下張り」が裁判になっていた当時作られたポルノの傑作。でも「赫い髪の女」こそやはりロマンポルノの最高傑作ではないだろうか。中上健次原作の傑作。
(一条さゆり 濡れた欲情)
 神代監督はストリッパーを描いた「かぶりつき人生」で67年に監督昇進していたが、その後干されていた。ロマンポルノ転身がかえって躍進のきっかけとなった。東宝に招かれ萩原健一、桃井かおりで「青春の蹉跌」を撮り評価された。これは今見ても面白い。その後続けて古井由吉「櫛の火」、丸山健二「アフリカの光」という暗い青春映画なんか東宝で撮ってしまった。日活では「宵待草」という75年の「大正ロマン」あふれる一般作品が大好き。「濡れた欲情 特出し21人」「黒薔薇昇天」「少女娼婦けものみち」などここで上映して欲しかったロマンポルノの傑作も残っている。残念。

 田中登(1937~2006)は「夜汽車の女」「㊙色情めす市場」「実録・阿部定」「人妻集団暴行致死事件」の4本。監督協会新人賞奨励賞の「㊙色情責め地獄」や「責める!」もやって欲しかった。「㊙色情めす市場」は書くのが恥ずかしいような題名だが、シナリオ原題は「聖母昇天」で、大阪のドヤ街に生きる売春婦親子の生をみつめる大傑作。主演の芹明香が素晴らしい。「実録・阿部定」は大島渚の「愛のコリーダ」を超える傑作。間に乱歩の「屋根裏の散歩者」をはさみ、最高傑作は「人妻集団暴行致死事件」。これもすごい題名だが、ある犯罪を冷徹に見つめ、人間存在の祈りにまで至る傑作で、事実その通りの題名というしかないのである。耽美派、社会派を合わせたような感じで好きだった。他社に招かれて大作をまかされると、決まってつまらなかった。
(実録阿部定)
 曽根中生(そね・ちゅうせい 1937~)は90年頃に映画界を離れ、行方不明とされ死亡説もあったが、昨年夏の湯布院映画祭に現れて健在が確認された。大分でヒラメ養殖や環境開発会社経営を行っていたらしい。今回「白昼の女狩り」という未公開作が公開される。「嗚呼!花の応援団」「博多っ子純情」のコミック映画化の名作を持つ。今回は「㊙女郎市場」「わたしのSEX白書 絶頂度」「新宿乱れ街 いくまで待って」「天使のはらわた 赤い教室」の5本。「天使のはらわた」シリーズは、その後コミック原作者の石井隆が自分で監督もするようになって、曽根作品が評価されなくなった面もある。

 他には小沼勝(1937~)が6本。「夢野久作の少女地獄」を撮った人だが、官能的な作品作りで再評価が必要だろう。加藤彰(1934~2011)が2本といったところ。アクション映画で活躍していた長谷部安春が2本。村川透「白い指の戯れ」は今見ると風景が貴重だが、話が甘いかも。相米慎二が招かれた「ラブホテル」もある。藤田敏八は一般映画が多いのでここでやらなくてもいいとは思うけど、一本もないのもどうかな。根岸吉太郎監督の「キャバレー日記」も佳作だった。たった30本にするのが難しすぎるわけだけど。本当は「女優ごと」にも書きたいところだけど、時間もなくなったのでこんなところで。見たことがない若い人のために簡単な紹介ということで。
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テオ・アンゲロプロスの追悼上映

2012年05月07日 21時51分18秒 |  〃 (世界の映画監督)
 東京・北千住の「東京芸術センター」というところの2階にある「ブルースタジオ」で、ギリシャの映画監督テオ・アンゲロプロスの緊急追悼上映を夏まで延々と行っています。ほとんど誰も知らないのではないかと思うので、紹介しておく次第。僕も今日初めて行ったんだけど、大きな画面にガラガラの座席でもったいない。アート映画をやるような映画館にチラシをもっとおかないと誰も気づかないでしょう。(もっとも僕は新文芸坐で「芸術センター」という雑誌を入手して知ったのだけど。)


 ここはどういうところか今一つ判りません。神戸や福岡にもあるらしい「日本芸術センター」。政府や自治体の組織ではなく、株式会社で持ちビル会社が芸術振興事業もやってるのかな。天空劇場とかレストランが入った大きなビルです。ピアノコンサートなどを定期的に行っています。ハローワーク足立が入っているビルで、若者支援センターなんかもあります。そこの2階でひっそりと「名画上映事業」をやってるけど、僕もほとんど知りませんでした。もう5年間も続いているようです。ビルに入って1階にある自動券売機でチケットを買って階段を上って2階へ。椅子はそんなに良くないけど、画面はとても大きくて見やすいです。

 テオ・アンゲロプロスについては「追悼文」を訃報が伝えられた時に書いておきました。ギリシャ現代史の知識がないとわかりにくいのですが、それについては中公新書「物語 近現代ギリシャの歴史」の書評も参考に。現時点で早稲田松竹で二週間連続で追悼上映。3月に新文芸坐で全長編上映があったけれど、体調不良で半分しか見られませんでした。今日、その時見逃した「アレクサンダー大王」を1981年以来31年ぶりに見ました。「E.T.」や「1900年」、「炎のランナー」「黄昏」に続いて、その年のベストテン5位ですが、僕個人ではベストワンでした。

 19世紀最後の日にギリシャの牢獄から「義賊」が脱獄する。彼は白馬に乗って古代のアレクサンドロスを名乗って、「20世紀最初の日の出」をギリシャに見に来たイギリス貴族を誘拐して政府に恩赦、土地解放、身代金を要求。イタリア人アナーキストも加わり、故郷の北の村に帰ると、そこはコミューンになっていて、初めは歓迎される。その「英雄的義賊」が村人や政府と交渉、対立して専制化していき、流血の悲劇に終わるまでを3時間半の長さで見つめた映画。「大王」の過去や死に方など謎が多い映画。ロングショット、長回しの絵画的構図が常に緊張感をはらんでいる。テロと解放、英雄と民衆、神話と象徴など、大問題を突きつけている。

 「義賊」というのは社会史に出てくる概念で、シチリアの盗賊やアメリカのビリー・ザ・キッド、オーストラリアのネッド・ケリー、ブラジルのカンガセイロ(グラウベル・ローシャの映画に出てくる)などですが、日本で言えば国定忠治なんかが近い存在です。封建制から近代への変わり目の辺境地域で、実力を持つ悪漢(賭博や盗賊、殺し屋)が政府に反抗して民衆の英雄となる。そういう図式は世界各地にあります。しかし、人質を取って政府に要求を突き付けるのは、今はむしろ「テロリスト」と言われるでしょう。民衆に英雄視される「義賊」が暴力による専制になって民衆から排斥されていき、敗北したのちに神話化されるという、そういう仕組みが映画で描かれています。だから娯楽を映画に求める人は見ない方がいいけど、民衆史や民族学なんかに関心がある人なら面白いはず。長いけど。

 15日まで「アレクサンダー大王」で、その後「シテール島への船出」「蜂の旅人」「霧の中の風景」「こうのとり、たちずさんで」「ユリシーズの瞳」「永遠と一日」「旅芸人の記録」と、8月21日まで続きます。1作品2週間、水曜変わり。(「エレニの旅」「狩人」はすでに上映終了。)ギリシャの選挙がちょうど終わったところで、ギリシャ現代史を考えたい人もこの特集を見る意味があるでしょう。

 北千住は僕の家から近いけど、東京でも東のはずれの方だから行ったことがない人も多いでしょう。昔の日光街道の宿場町で、観光施設も少しあります。スカイツリーを見て行くこともできるでしょう。地下鉄日比谷線、千代田線、半蔵門線、東武線、JR常磐線が通ってます。東京芸術センターがある場所は、昔の足立区役所で区役所が梅島に移った後の跡地利用は政治的に大問題になり、一時は共産党区長が当選したりしました。長い間空き地で、劇団黒テントの芝居に使われたりしたこともありました。東京芸大の千住キャンパスに続き、4月から東京電機大が移転して学生の街になってきました。

 案外みんな知らないのが、森鴎外の旧居地であること。文京区のホームページに以下のようにあります。
「鴎外は30以上のペンネームを使ったが、最後まで使ったのが「鴎外」だった。「鴎外」の由来には諸説あり、千住にある「かもめの渡し」という地名をもじったものという説が有力。「かもめの渡し」は吾妻橋の上流にあり、吉原を指す名称でもあった。遊興の地には近寄らず、遠く離れて千住に在るという意味も込められている。」
 森林太郎は上京後、向島や千住に住んでいました。千住は父の病院があったところ。ドイツ留学前の時代です。「鴎外」というペンネームが千住を意味するものであるということを知らない人がまだ多いのではないかと思います。碑もあります。足立区のホームページ「森鴎外と千住」も参考に。
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小山明子映画祭と大島渚の映画

2012年05月07日 00時07分21秒 |  〃  (日本の映画監督)
 5日から26日に銀座シネパトスで「小山明子映画祭」があり、今日は小山明子さんのトークショーとサイン会。これは見逃せないと前売を買っておいた。小山明子と言っても誰?という人もいるだろうが、映画監督大島渚の夫人である。大島監督は96年に脳出血で倒れ、その後2000年に「御法度」を監督して以来、闘病中である。夫人の小山明子さんも以後は介護中心の生活で、一時は「介護うつ」の状態だったと伝えられた。現在は元気を取り戻し本を出したり講演などを行っている。しかし、映画やテレビにはもうずいぶん出てないので、女優としての活動が忘れられてしまったかもしれない。
 
 1960年に「松竹ヌーベルバーグ」と言われたのが大島渚、篠田正浩、吉田喜重など。篠田夫人の岩下志麻、吉田夫人の岡田真莉子、お二人の話も最近聞いたけれど、大島夫人小山明子の話もこれで聞けたことになる。二人の子供を育て、最近15年以上は介護生活で、女優としての仕事は他の二人と差があるのが事実だろう。また大島監督も男中心、議論中心の映画で、篠田、吉田監督のように夫人の代表作を作ってあげなかった。でも大島作品は小山明子の助演なくして成り立たない。清楚可憐なクールビューティの魅力は岡田、岩下に負けない。専門学校でファッションショーに出たら「家庭よみうり」の表紙に載り、映画界にスカウトされた。これは司葉子と同じきっかけ。ファンレターに紛れて大島が大量のラブレターを送り、60年に結婚する。しかし、その時は「日本の夜と霧」打ち切り事件で大島は松竹退社を決意した直後で、結婚式も「日本の夜と霧」みたいな大糾弾大会になってしまった。

 今井正の話の中で、60年代になると今村昌平、大島渚の時代になったと書いたけれど、今は今村や大島の持った意味も伝わりにくくなっている感じがする。今回夫人小山の映画祭で大島作品は6本上映される。また最近「絞死刑」を見直す機会もあった。大島渚の政治性、論争性は今見ると色あせているところもないではないけれど、震災以後にみると「挑発性の再評価」が必要だと思う。代表作と言われる「絞死刑」「少年」「儀式」だけでなく、「白昼の通り魔」は大変完成度が高い傑作だ。「愛のコリーダ」「愛の亡霊」「戦場のメリークリスマス」もしばらく見ていないけれど、今みるとどうなんだろうか。1959年に今井正の代表作「キクとイサム」がベストワンになり、60年になると大島の「青春残酷物語」「太陽の墓場」「日本の夜と霧」が現れるのは象徴的である。フランスにゴダールやトリュフォーが現れたように、日本映画も新しい時代になったのである。

 「日本の夜と霧」は日本共産党の「50年問題」を厳しく追及した「論争映画」で、主題の政治的挑発性カット数の極端に少ない長回しという方法性ともに、世界を見回しても本来大手映画会社で作られるような映画ではない。小津が当たらず大島がヒットする変化に会社が自信を失い、奇跡的に製作されてしまった。公開直後に浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件が起こり、(全然関係ないのに)会社が4日で公開を中止した。これで大島を松竹を退社する。映画としては、(「新左翼的問題意識」がないと関心が持てないかもしれないけど)、やたら面白い議論映画である。「絞死刑」も在日朝鮮人の死刑執行が失敗して「心神喪失」におちいり、犯行を思い出させるために関係者が犯行を「再現」するというというとんでもない発想の議論映画。とにかく大島渚の映画ほど、登場人物どうしが議論する映画は世界中見ても他にない。ゴダールみたいに観客に向けて議論する映画はあるし、哲学的議論を独白する映画も多いが、登場人物が政治的議論を交わす面白さは大島映画が抜群である。

 今日は「少年」(69年)と「日本春歌考」の2本。「少年」は前から大好きでこれが3回目。子供を自動車に当たらせて示談金を詐取する「当たり屋夫婦」という、当時実際にあった事件をモデルにした映画。高知から松江、城崎、福井、秋田、宗谷岬、小樽などと日本中を回る「ロード・ムーヴィー」の傑作である。主要人物は渡辺文雄の夫、小山明子の妻、二人の子供(上の子は夫の先妻の子)の4人。一年かけて日本中を回り作った映画で、小山明子自身も思い出深いと言う。小山は毎日映画コンクール助演女優賞。テーマはこども虐待が、カメラは遠くから長回しで親子の道行きを見つめ、緊張感にみちている。自動車に当たる上の子供は、宇宙人が救いに来る話をつくり、アンドロメダ星雲からの救援を待つ。吹雪の中、雪だるまの宇宙人を作って自分で壊すシーンは、痛切な痛みが伝わる場面である。少年はほとんど「解離」状態で、虐待を考えるときに落とせない映画だと改めて思った。

 「日本春歌考」(67年)は、群馬から出てきた受験生の東京彷徨を歌めぐりで描きながら、さまざまな現実と幻想を議論するという映画。昔から好きな映画だけど、図式的な部分がつまらないと感じたときもある。今回見るとその図式性がかえって面白いかもしれない。酒場で軍歌に対抗して伊丹十三(当時は一三)が春歌を歌いだす。伊丹の葬式では、革命歌(初めは「国際学連の歌」、次は判らず、その次は「ワルシャワ労働歌」)を歌うとき、高校生役の荒木一郎が春歌を歌う。「軍歌」vs「春歌」vs「革命歌」の構図に割って入るのが、「ベトナム反戦フォークソング集会」で歌われる「ディス・ランド・イズ・ユア・ランド」や「若者たち」などの「フォークソング」である。

 そしてそこに吉田日出子(在日朝鮮人と暗示される女子高生)が歌う歌がからむ。それは調べると、「満鉄小唄」と呼ばれる替え歌を朝鮮人が歌うという設定である。そういう「歌」の政治的位置で話が進む中、伊丹の愛人役の小山明子が騎馬民族論をとうとうと論じるという映画で、「紀元節復活」の年に「黒い日の丸」を掲げる大胆不敵な映画。やはりなかなか面白い。伊丹夫人となる宮本信子や自由劇場の串田和美が若い高校生役をやっているのも珍しい。大島映画は政治や性を扱うように当時は思っていたが、それはそうなんだけど、方法論的に世界で誰もやっていないことをやっていた側面を見逃してはいけないと思う。50年代に続いて、60年代も発見していかないといけない。さらに70年代も。
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今井正監督生誕百年②-リアリズムの力と限界

2012年05月03日 23時53分04秒 |  〃  (日本の映画監督)
 フィルムセンターの今井正監督特集上映。普通の映画館では上映が難しい戦時中の作品が5本上映される。昇進作の「沼津兵学校」、第3作の井伏鱒二原作「多甚古村」など。7作目の「望楼の決死隊」(1943)が好評を得て出世作となる。この作品は、朝鮮、満州国境警備の重要性を描く「時局映画」だ。岩波新書和田春樹「北朝鮮現代史」では金日成らの「満州抗日武装闘争」の実情が叙述されている。それを先住民の「攻撃」を描くアメリカ西部劇のような活劇として描いて「成功」したとされる。45年の「愛と誓ひ」は、「朝鮮半島の人々に特攻隊参加への機運を高める」ための映画である。

 その翌年の46年には「民衆の敵」を作った。「占領軍の民間情報教育局から撮るように会社が命じられていた民主主義映画の一本。」と解説にある。「ある軍需化学工場を舞台に、支配層であった財閥や軍閥の悪を、一人の徴用工の戦いを通して描き」という映画である。幾らなんでも朝鮮人に特攻隊をすすめるのは、今からすれば「犯罪的」だ。その翌年に財閥や軍閥の悪を追及する映画を作るとは。その振幅の激しさはいかがなものか。今の時点で考えると、どうしてもそう思う。

 しかし、それは二つの意味で間違っているのだろう。まず監督といっても東宝という会社のサラリーマンで、若手監督としては会社の命じるままに戦時も占領下も「時局映画」を作るしかないだろうという点。巨匠と呼ばれてワガママを通せるようになる監督は数少ない。もう一点、戦時中に軍部に一心に協力するマジメな国民と、戦後になって民主主義のために戦う主人公は、主義主張の面で比べれば正反対に見えるけれど、自分の役割を誠実に果たそうと頑張るという人間像では同じなのである。どちらも陰影の少ない人物像で、丁寧なリアリズム演技指導で心を打つシーンを演出できる。

 今井映画の感動的な主人公、「青い山脈」の原節子の教師、「山びこ学校」の村の教員木村功、「ひめゆりの塔」の女学校の教師群などは皆同じ類型で、感動的だけど一本調子の人物像だと思う。そもそも反戦映画の傑作とされる「ひめゆりの塔」は「反戦映画」なんだろうか。僕たちは沖縄戦の行く末を判って見ている。この苦難の末に敗北し占領され、今も基地問題が解決していないことを知っている。公開された53年は、52年に発効した講和条約で沖縄の占領が長期化することが避けられなくなった時点だ。だから戦時下の女学生の苦しみを見れば、「戦争は悲劇である」と強く印象づけられる。
(「ひめゆりの塔」)
 しかし、日本の代表的な国策戦争映画だった「麦と兵隊」「五人の斥候兵」なども、兵の苦労をしみじみ描くという意味でほとんど同じ構造である。外国人映画研究家が今戦時下の日本映画を見ると、なんでこの暗い映画が軍部に好評だったのか疑問に感じる。しかし、日本では「主人公の苦しみに共感共苦する」ことが大切なのである。

 50年代は国民のほとんどが戦争の影を背負い、貧しい中を苦労していた。だから主人公が戦争で無残な犠牲を強いられる無念の思い、あるいは民主主義のために古い体制と闘う主人公への応援、それらを観客のほとんどが自分のものとして共感できた。それが50年代日本映画が「今井正の時代」だった理由だろう。しかし「もはや戦後ではない」時代になると、人々の気持ちは分裂し始める。

 経済優先で発展する中、公害問題も起こり経済的価値への疑問が起こる。左翼陣営も中ソ対立や新左翼の台頭で、何が正しいのか判らなくなってくる。戦後生まれの新しい「団塊世代」(ベビーブーマー)が世界各国で新しい時代を切り開き、体制を問わず権威主義的なシステムへの異議申し立てを始める。何が正しいのか皆が疑問を持つ時代なのだから、当然従来のリアリズム描写では描き切れない。文学、美術、音楽、演劇などで新しい表現が模索される。映画でもフランスのヌーヴェルヴァーグが始まる。こうして64年を最後に今井監督はしばらく作品がなくなる。

 それでも以後の作品は14本ある。ベストテン入選は「橋のない川第1部」(1969、5位)、「橋のない川第2部(1970、9位)、「婉という女」(1971、3位)、「海軍特別年少兵」(1972、7位)、「あにいもうと」(1976、6位)である。「婉という女」は大原富枝原作の歴史映画で、土佐藩で罪を得て幽閉された野中兼山の娘の物語。岩下志麻主演の壮絶な映画で、今見ると優れた技量に関心するが、激動の同時代とは離れている。「海軍特別年少兵」も感動的だけど、軍隊をリアルに再現することが反戦の思いに直結するというよりも、やはり「一種の歴史映画」になっていた。(地井武男が名演。)
(「海軍特別年少兵」)
 「橋のない川」は問題を描く住井すゑ原作の映画化だが、解放同盟から「差別映画」と批判を受けた。解同と共産党との対立が厳しくなっていた当時、共産党の立場に立つ今井正も批判された。だから長らく、特に2部は上映の機会が少なく、僕が見たのはずっと後になってからである。「差別映画」とは思わなかったけれど、反差別の感情が熱く燃え上がる映画と言うよりは「歴史映画」だったと思う。そういう作りは今井監督の他の映画にも見られる。そこが激動の時代には「差別」に思われた部分もあるのではないか。

 今井映画に描かれないのは「性」と「暴力」である。背景にはもちろんあるのだが、時代的な表現の限界もある。50年代には「肉体」が大きな問題ではなかったのだ。でもその点が60年代以降には物足りない。時代が大きく変わり、日本映画の中心は今村昌平や大島渚に移った。僕も同時代的には見てない作品の方が多い。微温的な「良心作」を作る監督という印象がぬぐえなかった。でも「リアリズム」が不要になったわけではない。それを一番証明するのは「あにいもうと」。室生犀星原作で3回映画化されたが、3回目の今井正は東宝に頼まれ秋吉久美子、草刈正雄の演技指導を担当した。若手人気俳優にはそういう映画と監督が必要なのである。民藝の大滝秀治が助演賞を取る名演をしたことも忘れがたい。映画の内容は古いとしか思えなかったけれど、演出で見せる映画というものが存在する。
(「あにいもうと」)
 日本の戦後民主主義を再認識するため、「50年代」日本の再発見のため、「良心作」の安定した感動を味わえた時代のなつかしさを発見するため、日本の戦時下と占領時代の連続と不連続を考えるために、高度成長以前の日本の風景を見つめ直すために、今井正作品は再評価を待っていると思う。(オムニバス映画「愛すればこそ」を最近見たが、佃島の渡し船、勝鬨橋の開閉、昔の川崎駅、拘置所での面会のようすや東武線小菅駅など貴重な風景がロケで記録されていた。そういうのを発見するのも、昔の映画を見る大きな楽しみだろう。)
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今井正監督生誕百年①ー「50年代」の再発見

2012年05月02日 23時23分17秒 |  〃  (日本の映画監督)
 戦後日本の社会派映画の巨匠今井正監督(1912~1991)が今年で生誕100年。すでに銀座シネパトスで特集上映が行われたが、さらに>国立近代美術館フィルムセンターで2期にわたる大回顧上映が行われる。(第1期は5.5~7.10、ただし、5.25~6.16を除く。)作品数が多いのでそれでも全作品ではないけれど、主要な映画は上映されるので、それを機にちょっとまとめて紹介しておきたい。
(今井正監督)
 今井正監督は、基本的にはリアリズムの立場にたつ左翼的ヒューマニズムの映画を撮り続けた。戦時中から90年代まで作品を残しているが、もっとも輝いていたのが1950年代である。戦争の記憶が鮮明で、貧困が最大の問題だった時代。電話やテレビがほとんどの家にはまだなかった時代。高度成長以前の社会である。この時代のことはほとんど忘れられている。戦争の時代と高度成長の時代は、それなりに記憶され物語として想起され続けている。しかし、その間の朝鮮戦争から安保闘争までの1950年代の位置づけが難しい。冷戦下の左右対立が激しく、左翼勢力がアメリカに対して「反米愛国」を掲げていた一方、左右を問わず「原子力の平和利用」を支持していた。鳥羽耕史「1950年代 『記録』の時代」(河出)という本も2010年に出ているが、1950年代はこれから「再発見」されなければならない。

 今井監督の主要な作品を列挙する。(ベストテン入選作品。太字はベストワン。数字が順位。)
1949 青い山脈②     石坂洋次郎原作、原節子主演の「民主主義映画」
1950 また逢う日まで①  戦時下の青春の悲劇。ガラス越しの「接吻」
1951 どっこい生きてる⑤ 前進座主演で日雇い労働者の苦闘を描く独立プロ作品。
1952 山びこ学校⑧    無着成恭編集の子供たちの作文集の映画化。山形の村の教育を描く。
1953 ひめゆりの塔⑦   沖縄戦で看護に徴用された女子学生の悲劇。
1953 にごりえ①     樋口一葉原作3話を原作とするオムニバス映画。
1955 ここに泉あり⑤   群馬交響楽団の苦闘を描く独立プロ作品。
1956 真昼の暗黒①    死刑判決を受け最高裁上告中の八海事件の無実を主張する。
1957 ①        霞ヶ浦周辺に生きる農漁民の貧しさ、苦闘をカラーで描く。
1957 純愛物語②     不良少年と少女の純愛を、広島の原爆後遺症とからめて描く。
1958 夜の鼓⑥      近松原作の古典を徹底したリアリズムで描く悲劇の時代劇。
1959 キクとイサム①   会津の農村で米軍の黒人兵との「混血」児の苦難を描く。
1961 あれが港の灯だ⑦  韓国との海上ラインでもめる漁船問題と在日漁師の苦悩。
1962 にっぽんのお婆ちゃん⑨ 浅草を舞台に老人問題を描く。北林谷栄とミヤコ蝶々主演。
1963 武士道残酷物語⑤  日本の人権無視の悲劇を描く時代劇。ベルリン映画祭金熊賞。
1964 越後つついし親不知⑥水上勉原作の女の悲劇。
1964 仇討⑨       下級武士の悲劇を描く時代劇。

 1949年から1964年までの16年間に17本の映画がベストテンに入選している。(キネマ旬報ベストテン。)この時代は世界映画史的には、クロサワとオヅが傑作を連発していた奇跡の時代と記憶されている。しかし、日本の同時代的評価としては「今井正の時代」と呼ぶ方が当たっている。特に1950年から59年までの10年間のうち、5回今井作品がベストワンを獲得した。ちょっと信じられないほどの高評価である。現在の評価からすると、50年は「羅生門」(黒澤明)、53年は「東京物語」(小津安二郎)、57年は「幕末太陽傳」(川島雄三)がベストワンにふさわしいと思う。だから評価が高すぎたとも言えるが、そのような高い評価を今井作品が得る時代背景があったのである。それが「1950年代」という時代である。(「真昼の暗黒」と「キクとイサム」の1位は今でも妥当だと思う。もっとも「キクとイサム」と「野火」(市川崑)は甲乙つけがたい。)

 今井作品を見ると、1位になった作品よりも、他の作品の方が記憶されているかもしれない。「青い山脈」「ひめゆりの塔」「ここに泉あり」などは、戦後という時代が刻印された映画の代表となっている。また「どっこい生きてる」という題名も今も使われる。現在進行形で冤罪を告発する映画も「真昼の暗黒」が世界映画史で初めてだろう。(その後日本でたくさん作られるが、最初のこの作品の功績が大きい。)「ひめゆりの塔」は沖縄ロケはできない時代なので埼玉で撮った。よく頑張っているが、沖縄色よりも戦時色が強いのは今見ると否めない。しかし、以後何回か作られる(今井監督も82年にリメイク)中でも、戦時中の苦難の思い出が一番伝わるような気がする。「本土」での沖縄戦の記憶はこの映画に負うところが大きいだろう。群響の苦闘を描く「ここに泉あり」も、戦後の希望がリアルに描かれ有名だが、ハンセン病療養所草津楽泉園の描写が今見ると「差別」になっている。この間、「女の顔」「由起子」「白い崖」の選外映画も撮っているので、驚くべき多作である。

 日本の左翼系の独立プロによる「ネオ・レアリスモ」映画は、本家イタリアに負けない。世界映画史上で再評価が必要だと思うのだが、今井正のリアリズム映画はその中核に存在する。僕は特に「キクとイサム」が感動的な作品だと思う。また「真昼の暗黒」は30年くらい見てないので再見してみたい。「にごりえ」も最近久しぶりにみて、再評価が必要な名作だと思った。同じ年に「東京物語」「雨月物語」という大傑作があり、また「煙突の見える場所」「日本の悲劇」「縮図」などの傑作もあるという年だった。「にごりえ」が1位だが、逆に歴史の中で隠れてしまった感もある。しかし、技術力の高さは素晴らしい。日本の戦後の「初心」を確認するためにも、今井正の位置の再確認が大切だ。
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「ヘルプ」と「ドライブ」-新作映画のおススメ

2012年05月01日 23時31分38秒 |  〃  (新作外国映画)
 映画について何回か。まずはGWにやってる新作映画について。もちろん全部は見てないけど、今年のアカデミー賞や昨年のカンヌ映画祭受賞作品なども出そろって、なかなか充実した作品が多い。

 僕の一押しは「ヘルプ~心がつなぐストーリー~」。これはビートルズの主演映画じゃなくってなんて言っても、もう知らない人の方が多いかな。曲は「なんでも鑑定団」のテーマ曲で知られてるだろうけど、リチャード・レスター監督の遊び心にあふれた「HELP!」という映画の面白さは忘れられない。今回の「ヘルプ」はアメリカ南部の黒人メイドのことを指し、60年代初期のミシシッピ州の厳しい差別の中で苦闘する女たちの物語である。これは「作られたときからの名作」で、皆に勧められる感動的な作品になっている。今年のアカデミー賞で助演女優賞受賞の他、作品賞、主演女優賞、助演女優賞にノミネート。つまり助演女優賞には2人ノミネートされていたわけ。「アンサンブル演技賞」を作れる賞は、そういう受賞になってる場合もある。しかし、アカデミー賞などは個人賞だから誰に与えるべきか、見てても悩んでしまう。働く側の黒人女性メイドの悩みも、雇う側の白人女性の様々な事情も実に上手に描きわけられている。アンサンブル演技のお手本。自分なら誰にあげるか考えながら見るのもいいと思うから、助演女優賞を誰が取ったかは書かない。監督は2作目のテイト・テイラー。キャスリン・ストケットの原作は集英社文庫上下2巻で出ている。二人ともミシシッピ州ジャクソン出身で、もともとの知り合いで出版前に映画化権を取ったということだ。

 テーマ的には、黒人差別が間違ってるなんて今さら改めて言われるような問題ではない。表面的には差別が少なくなっても、犯罪率の高さや麻薬問題など深刻な実態は残っている。そういう深刻な現実を暴くのではなく、60年代初期に舞台を取っているので、見る前はちょっと心配だった。安易な社会派作品や薄っぺらな良心作になりやすい。それを白人の若い世代ともっと年齢の高い黒人メイド(つまり若い白人女性を実質的に育てた世代)という二つの「仲間たち」のつながりを際立たせるドラマ作りが成功している。人間にとって、「友だち」と「正義」がからむ時が難しい。(例えば原発やダムに引き裂かれた地域に住む人々を思い起こせば。)そういう意味で、人種や性別、時代を超えた「勇気の物語」になっているのが感動の源である。人種差別だけでなく、性差別、貧困、女性労働、高齢者、学歴や男女交際、家事労働や育児労働など様々な問題も見え隠れしているが、難しい映画ではなく笑いがあふれる映画。当時のファッションや美味しそうな南部料理、スイーツの数々に目を奪われる楽しさもある。アメリカ南部の風景を美しく撮るにはやはりコダックフィルムがいいなと痛感。音楽も素晴らしく、見て勇気がもらえる映画として多くの世代にお勧め。63年11月のケネディ大統領暗殺などのニュースも出てくるので、世代を超えて一緒に見るといい映画。


 アメリカの黒人問題に関しては、スウェーデンのテレビ局が取材していた当時のフィルムが発掘された「ブラックパワー」という記録映画も公開中。東京では新宿のケイズシネマというところで上映。「ブラックパワー」という言葉を作ったストークリー・カーマイケル、冤罪で起訴された女性社会学者アンジェラ・デイヴィスなど当時の有名人のインタビューが貴重。もちろんキング牧師やマルコムX、ブラックパンサー党などの映像もある。ネーション・オブ・イスラムのファラカン師の若き日も出てくる。非常に貴重な映像だけど、ある程度前提となる知識がいる「お勉強映画」。

 一方、昨年のカンヌ映画祭受賞作品では、まだグランプリの「少年と自転車」を見ていないが、最高賞の「ツリー・オブ・ライフ」、女優賞の「メランコリア」、男優賞の「アーティスト」(アカデミー作品賞)などもあるけれど、うっかり見落とすともったいない傑作が監督賞の「ドライブ。もっともアメリカの犯罪映画だから流血や銃を見るだけで嫌な人は敬遠した方がいいけど。でも小気味よい演出で100分の疾走感は並の力量ではない。ハリウッドでスタントマンを務める超絶ドライブテクニックの主人公。特技を生かして時々犯罪の手助けを頼まれる。隣室の女と子供との触れ合い、刑務所にいる夫の出所という設定から想定される安易なストーリーを裏切り続ける予想外の展開にあれよあれよと驚く。寡黙な主人公が美女と子供に寄せる純愛。車と犯罪の映画だけど、やはり本質は愛の映画なのだ。監督はニコラス・ウィンディング・レフンという新鋭で、どこの人かと思うとデンマーク。ただし子ども時代にアメリカにすんだ経験があり、アメリカで映画を学んだ。デンマークに帰って人気監督になったらしいが、これがアメリカ進出第1作。最近デンマーク出身の映画監督が元気いいけれど、この人も要注目。こんなに威勢のいいアクション映画も久しぶり。カーチェイスものも作られ過ぎた感じがするが、こういう手があったのか。「映画作家の技」というものが娯楽映画にも必要なのだということが伝わってくる映画でもある。純粋な映画ファンには絶対これは見逃せない。
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