「細雪」は基本的に大阪や神戸が中心になる物語だが、他にも東京他いろんな場所が出て来る。三女雪子は作中で何度も見合いをするが、小説内で最初の見合いは神戸のオリエンタルホテルで行われた。明治初期に出来た神戸最古のホテルだが何度も移転していて、その時は3代目のホテル。神戸大空襲で半壊して取り壊され、移転して再建されたが、今度は95年の阪神淡路大震災で破損して廃業した。(その後、名前を継いだORIENTAL HOTEL KOBEが2010年に開業した。)次女幸子一家は神戸で映画を見たり、「ユーハイム」でお茶を飲んだり、「南京町」(中華街)にも食事に行っている。神戸界隈のモダンライフを満喫している。
(神戸オリエンタルホテル)
そこには幾分か理解出来ない部分がある。当時は法律的に「家制度」が厳然と存在していた。家長は長女鶴子の夫、蒔岡辰雄であり、未婚の義妹雪子と妙子は本家に住んで家長の監督を受けるべき立場である。しかし、二人は義兄との折り合いが悪い。妙子の「駆け落ち事件」の時の対応に不満があったし、そもそも本家の家業を継がずに銀行員を続けていることに納得していない。辰雄はいかにも銀行員的な堅物で、父譲りで芸事や芝居見物が大好きな華やか好きの姉妹とは合わないのである。そこで二人はよく芦屋の次女幸子のところへ行ってしまう。幸子が嫁に行っていれば、他家だから行きにくいだろうが、幸子も婿を取って分家しているから行きやすい。そこで阪神間モダニズムを存分に味わうことが出来るのである。
そもそも蒔岡家は大阪・船場(せんば)に店を構える大商店だったが、父の代に贅沢をして家業が傾いた。父の法事に芸人が来たり、父に連れられ学校をズル休みして歌舞伎見物に行ったなどの興味深いエピソードが出て来る。4人姉妹だったら、長女の婿に優秀な番頭などをめあわせ家業を継がせるのが商家の常道だろう。しかし、何故か長女の夫、辰雄は銀行員として生きていく道を選んだ。蒔岡家はちょっと離れた上本町に職住分離して、家業の商権は譲ってしまった。辰雄は会社員だから転勤もあるわけだが、旧家の婿という立場を理由に一度福岡への転勤は断った。しかし、36年秋に丸の内支店長の内示を受けたときは応じることになった。
「本家の東京移転」という(幸子らにとっては)驚天動地の出来事が上巻のメインになる。辰雄からすると、ここで応じないと後輩に出世が抜かれて面白くない。それに子どもが6人もいて、蒔岡の財産も減ってきていたのである。周りからすれば、「天子様のお膝元」を預かるわけで栄転になる。悲しんでいるのは四人姉妹だけで、喜ぶ人が多い。東京を代表する丸ビル(丸の内ビルヂング)に支店があるというんだから、そこの支店長を務める辰雄は有能な銀行マンなのである。「細雪」は基本的に「女縁」で進行するシスターフッド小説なので、辰雄は悪役扱いされているが、男の目で見た経済小説なら話は変わってくるはずだ。
(当時の丸ビル)
長女鶴子は嘆き悲しみながら、夫に付いていくしかないが、問題は雪子、妙子である。妙子は「人形作り」で弟子も取っているのですぐには行けないと自己主張を貫くが、雪子は結局一緒に東京に行かざるを得ない。そして、鶴子が育児に時間を取られて手紙も来ないうちに、雪子は東京生活がいかにつらいかを綿々と書き綴ってくる。そもそも大森に住むはずが手違いでダメになり、結局は「場末」の新開地・渋谷道玄坂に借家を借りることになった。いやはや、道玄坂が場末だったのか。そう言えば「ハチ公物語」の渋谷は確かに新開地っぽかった。そして何よりも寒いという。「名物の空っ風」なのだそうだ。
現在の平均気温を調べると、真冬でも芦屋よりも東京の方が高いようだ。上州(群馬県)は確かに「かかあ天下と空っ風」が名物だと言うけれど、東京が空っ風とは今はあまり言わない。多磨地区では「秩父下ろし」というが、23区ではビルが建ち並んで風の影響も変わってくる。それに地下鉄が発達して移動は地下だから地上の天気は関係ない。しかし、雪子の思いは単なる気候問題ではないだろう。原武史が言うところの「民都大阪」対「帝都東京」という問題である。宮城(皇居)があり、国会議事堂や首相官邸を有する「帝国の首都」だから、軍事色強まる武張った東京が嫌いなんだと思う。雪子というより谷崎潤一郎の思いだろう。
しかし、戦前においては大阪の方が経済首都だったのは間違いない。北京対上海、デリー対ムンバイ(ボンベイ)のような関係である。大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれた工業都市だった。その頃阪神工業地帯は京浜工業地帯より生産額が大きかったのである。7代市長の関一(せき・はじめ)による都市再開発が進み、御堂筋の拡幅、地下鉄御堂筋線開通、大阪城天守再建などがなされた。一方の東京は1923年の関東大震災で大打撃を受け、東京の下町(日本橋人形町)生まれの谷崎は生まれた地を失ったと感じたぐらい東京は変貌する。谷崎初め多くの人が関西へ移住したのも震災のためだった。
(「細雪」中巻)
細かく見れば関西にも階層がある。妙子の踊りの師匠が亡くなり、幸子と妙子が弔問に行くシーンがある。南海沿線の天下茶屋で、そっちはごみごみしていると感想を述べる。阪神間でも海沿いの阪神沿線よりも、六甲山に近い山側の阪急沿線の方が上になる。ちなみにその中間に省線電車(今のJR)がある。また全然知らなかったが、省線と阪神の間に阪神国道電軌鉄道という別の電車が走っていた。一家は阪急に乗って大阪へ出掛け、北浜にある三越百貨店に買い物に行く。都市上層ブルジョワジーの女性たちの世界である。東京でさえ文化果つるところなんだから、他の地方都市は住むところではない。義兄から来た豊橋(愛知県)の金持ちという雪子の見合い相手など、住む場所だけで問題外である。
そのような都市意識は当時の経済条件という問題もあるが、同時にその頃は文化格差が大きかったことも大きい。テレビがない時代で、ようやくラジオが登場して妙子がクラシックをお風呂に入りながら聞く場面があるが、あまり蒔岡家では聞いていない感じだ。テレビによって、言葉だけでなく大衆文化の共通性が進んで行った。そして高度成長、バブル経済があって、大都市と地方の文化の差は小さくなっている。ただし、大学や大会社が地方には少ないので、若い層が大都市に集中することになる。関西の文化も今の東京に随分浸透しているが、それは蒔岡一家が好むようなものではないだろう。蒔岡家が吉本新喜劇に行ったとは思えないし、たこ焼きを食べるとも思えない。幸子は花は桜、魚は鯛という好みで、それが昔ながらの関西文化の王道なのである。
(神戸オリエンタルホテル)
そこには幾分か理解出来ない部分がある。当時は法律的に「家制度」が厳然と存在していた。家長は長女鶴子の夫、蒔岡辰雄であり、未婚の義妹雪子と妙子は本家に住んで家長の監督を受けるべき立場である。しかし、二人は義兄との折り合いが悪い。妙子の「駆け落ち事件」の時の対応に不満があったし、そもそも本家の家業を継がずに銀行員を続けていることに納得していない。辰雄はいかにも銀行員的な堅物で、父譲りで芸事や芝居見物が大好きな華やか好きの姉妹とは合わないのである。そこで二人はよく芦屋の次女幸子のところへ行ってしまう。幸子が嫁に行っていれば、他家だから行きにくいだろうが、幸子も婿を取って分家しているから行きやすい。そこで阪神間モダニズムを存分に味わうことが出来るのである。
そもそも蒔岡家は大阪・船場(せんば)に店を構える大商店だったが、父の代に贅沢をして家業が傾いた。父の法事に芸人が来たり、父に連れられ学校をズル休みして歌舞伎見物に行ったなどの興味深いエピソードが出て来る。4人姉妹だったら、長女の婿に優秀な番頭などをめあわせ家業を継がせるのが商家の常道だろう。しかし、何故か長女の夫、辰雄は銀行員として生きていく道を選んだ。蒔岡家はちょっと離れた上本町に職住分離して、家業の商権は譲ってしまった。辰雄は会社員だから転勤もあるわけだが、旧家の婿という立場を理由に一度福岡への転勤は断った。しかし、36年秋に丸の内支店長の内示を受けたときは応じることになった。
「本家の東京移転」という(幸子らにとっては)驚天動地の出来事が上巻のメインになる。辰雄からすると、ここで応じないと後輩に出世が抜かれて面白くない。それに子どもが6人もいて、蒔岡の財産も減ってきていたのである。周りからすれば、「天子様のお膝元」を預かるわけで栄転になる。悲しんでいるのは四人姉妹だけで、喜ぶ人が多い。東京を代表する丸ビル(丸の内ビルヂング)に支店があるというんだから、そこの支店長を務める辰雄は有能な銀行マンなのである。「細雪」は基本的に「女縁」で進行するシスターフッド小説なので、辰雄は悪役扱いされているが、男の目で見た経済小説なら話は変わってくるはずだ。
(当時の丸ビル)
長女鶴子は嘆き悲しみながら、夫に付いていくしかないが、問題は雪子、妙子である。妙子は「人形作り」で弟子も取っているのですぐには行けないと自己主張を貫くが、雪子は結局一緒に東京に行かざるを得ない。そして、鶴子が育児に時間を取られて手紙も来ないうちに、雪子は東京生活がいかにつらいかを綿々と書き綴ってくる。そもそも大森に住むはずが手違いでダメになり、結局は「場末」の新開地・渋谷道玄坂に借家を借りることになった。いやはや、道玄坂が場末だったのか。そう言えば「ハチ公物語」の渋谷は確かに新開地っぽかった。そして何よりも寒いという。「名物の空っ風」なのだそうだ。
現在の平均気温を調べると、真冬でも芦屋よりも東京の方が高いようだ。上州(群馬県)は確かに「かかあ天下と空っ風」が名物だと言うけれど、東京が空っ風とは今はあまり言わない。多磨地区では「秩父下ろし」というが、23区ではビルが建ち並んで風の影響も変わってくる。それに地下鉄が発達して移動は地下だから地上の天気は関係ない。しかし、雪子の思いは単なる気候問題ではないだろう。原武史が言うところの「民都大阪」対「帝都東京」という問題である。宮城(皇居)があり、国会議事堂や首相官邸を有する「帝国の首都」だから、軍事色強まる武張った東京が嫌いなんだと思う。雪子というより谷崎潤一郎の思いだろう。
しかし、戦前においては大阪の方が経済首都だったのは間違いない。北京対上海、デリー対ムンバイ(ボンベイ)のような関係である。大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれた工業都市だった。その頃阪神工業地帯は京浜工業地帯より生産額が大きかったのである。7代市長の関一(せき・はじめ)による都市再開発が進み、御堂筋の拡幅、地下鉄御堂筋線開通、大阪城天守再建などがなされた。一方の東京は1923年の関東大震災で大打撃を受け、東京の下町(日本橋人形町)生まれの谷崎は生まれた地を失ったと感じたぐらい東京は変貌する。谷崎初め多くの人が関西へ移住したのも震災のためだった。
(「細雪」中巻)
細かく見れば関西にも階層がある。妙子の踊りの師匠が亡くなり、幸子と妙子が弔問に行くシーンがある。南海沿線の天下茶屋で、そっちはごみごみしていると感想を述べる。阪神間でも海沿いの阪神沿線よりも、六甲山に近い山側の阪急沿線の方が上になる。ちなみにその中間に省線電車(今のJR)がある。また全然知らなかったが、省線と阪神の間に阪神国道電軌鉄道という別の電車が走っていた。一家は阪急に乗って大阪へ出掛け、北浜にある三越百貨店に買い物に行く。都市上層ブルジョワジーの女性たちの世界である。東京でさえ文化果つるところなんだから、他の地方都市は住むところではない。義兄から来た豊橋(愛知県)の金持ちという雪子の見合い相手など、住む場所だけで問題外である。
そのような都市意識は当時の経済条件という問題もあるが、同時にその頃は文化格差が大きかったことも大きい。テレビがない時代で、ようやくラジオが登場して妙子がクラシックをお風呂に入りながら聞く場面があるが、あまり蒔岡家では聞いていない感じだ。テレビによって、言葉だけでなく大衆文化の共通性が進んで行った。そして高度成長、バブル経済があって、大都市と地方の文化の差は小さくなっている。ただし、大学や大会社が地方には少ないので、若い層が大都市に集中することになる。関西の文化も今の東京に随分浸透しているが、それは蒔岡一家が好むようなものではないだろう。蒔岡家が吉本新喜劇に行ったとは思えないし、たこ焼きを食べるとも思えない。幸子は花は桜、魚は鯛という好みで、それが昔ながらの関西文化の王道なのである。