尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

関西と東京ー「細雪」を読む②

2022年03月16日 22時58分36秒 | 本 (日本文学)
 「細雪」は基本的に大阪神戸が中心になる物語だが、他にも東京他いろんな場所が出て来る。三女雪子は作中で何度も見合いをするが、小説内で最初の見合いは神戸のオリエンタルホテルで行われた。明治初期に出来た神戸最古のホテルだが何度も移転していて、その時は3代目のホテル。神戸大空襲で半壊して取り壊され、移転して再建されたが、今度は95年の阪神淡路大震災で破損して廃業した。(その後、名前を継いだORIENTAL HOTEL KOBEが2010年に開業した。)次女幸子一家は神戸で映画を見たり、「ユーハイム」でお茶を飲んだり、「南京町」(中華街)にも食事に行っている。神戸界隈のモダンライフを満喫している。
(神戸オリエンタルホテル)
 そこには幾分か理解出来ない部分がある。当時は法律的に「家制度」が厳然と存在していた。家長は長女鶴子の夫、蒔岡辰雄であり、未婚の義妹雪子妙子は本家に住んで家長の監督を受けるべき立場である。しかし、二人は義兄との折り合いが悪い。妙子の「駆け落ち事件」の時の対応に不満があったし、そもそも本家の家業を継がずに銀行員を続けていることに納得していない。辰雄はいかにも銀行員的な堅物で、父譲りで芸事や芝居見物が大好きな華やか好きの姉妹とは合わないのである。そこで二人はよく芦屋の次女幸子のところへ行ってしまう。幸子が嫁に行っていれば、他家だから行きにくいだろうが、幸子も婿を取って分家しているから行きやすい。そこで阪神間モダニズムを存分に味わうことが出来るのである。

 そもそも蒔岡家は大阪・船場(せんば)に店を構える大商店だったが、父の代に贅沢をして家業が傾いた。父の法事に芸人が来たり、父に連れられ学校をズル休みして歌舞伎見物に行ったなどの興味深いエピソードが出て来る。4人姉妹だったら、長女の婿に優秀な番頭などをめあわせ家業を継がせるのが商家の常道だろう。しかし、何故か長女の夫、辰雄は銀行員として生きていく道を選んだ。蒔岡家はちょっと離れた上本町に職住分離して、家業の商権は譲ってしまった。辰雄は会社員だから転勤もあるわけだが、旧家の婿という立場を理由に一度福岡への転勤は断った。しかし、36年秋に丸の内支店長の内示を受けたときは応じることになった。

 「本家の東京移転」という(幸子らにとっては)驚天動地の出来事が上巻のメインになる。辰雄からすると、ここで応じないと後輩に出世が抜かれて面白くない。それに子どもが6人もいて、蒔岡の財産も減ってきていたのである。周りからすれば、「天子様のお膝元」を預かるわけで栄転になる。悲しんでいるのは四人姉妹だけで、喜ぶ人が多い。東京を代表する丸ビル(丸の内ビルヂング)に支店があるというんだから、そこの支店長を務める辰雄は有能な銀行マンなのである。「細雪」は基本的に「女縁」で進行するシスターフッド小説なので、辰雄は悪役扱いされているが、男の目で見た経済小説なら話は変わってくるはずだ。
(当時の丸ビル)
 長女鶴子は嘆き悲しみながら、夫に付いていくしかないが、問題は雪子、妙子である。妙子は「人形作り」で弟子も取っているのですぐには行けないと自己主張を貫くが、雪子は結局一緒に東京に行かざるを得ない。そして、鶴子が育児に時間を取られて手紙も来ないうちに、雪子は東京生活がいかにつらいかを綿々と書き綴ってくる。そもそも大森に住むはずが手違いでダメになり、結局は「場末」の新開地・渋谷道玄坂に借家を借りることになった。いやはや、道玄坂が場末だったのか。そう言えば「ハチ公物語」の渋谷は確かに新開地っぽかった。そして何よりも寒いという。「名物の空っ風」なのだそうだ。

 現在の平均気温を調べると、真冬でも芦屋よりも東京の方が高いようだ。上州(群馬県)は確かに「かかあ天下と空っ風」が名物だと言うけれど、東京が空っ風とは今はあまり言わない。多磨地区では「秩父下ろし」というが、23区ではビルが建ち並んで風の影響も変わってくる。それに地下鉄が発達して移動は地下だから地上の天気は関係ない。しかし、雪子の思いは単なる気候問題ではないだろう。原武史が言うところの「民都大阪」対「帝都東京」という問題である。宮城(皇居)があり、国会議事堂や首相官邸を有する「帝国の首都」だから、軍事色強まる武張った東京が嫌いなんだと思う。雪子というより谷崎潤一郎の思いだろう。

 しかし、戦前においては大阪の方が経済首都だったのは間違いない。北京対上海、デリー対ムンバイ(ボンベイ)のような関係である。大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれた工業都市だった。その頃阪神工業地帯は京浜工業地帯より生産額が大きかったのである。7代市長の関一(せき・はじめ)による都市再開発が進み、御堂筋の拡幅、地下鉄御堂筋線開通、大阪城天守再建などがなされた。一方の東京は1923年の関東大震災で大打撃を受け、東京の下町(日本橋人形町)生まれの谷崎は生まれた地を失ったと感じたぐらい東京は変貌する。谷崎初め多くの人が関西へ移住したのも震災のためだった。
(「細雪」中巻)
 細かく見れば関西にも階層がある。妙子の踊りの師匠が亡くなり、幸子と妙子が弔問に行くシーンがある。南海沿線の天下茶屋で、そっちはごみごみしていると感想を述べる。阪神間でも海沿いの阪神沿線よりも、六甲山に近い山側の阪急沿線の方が上になる。ちなみにその中間に省線電車(今のJR)がある。また全然知らなかったが、省線と阪神の間に阪神国道電軌鉄道という別の電車が走っていた。一家は阪急に乗って大阪へ出掛け、北浜にある三越百貨店に買い物に行く。都市上層ブルジョワジーの女性たちの世界である。東京でさえ文化果つるところなんだから、他の地方都市は住むところではない。義兄から来た豊橋(愛知県)の金持ちという雪子の見合い相手など、住む場所だけで問題外である。

 そのような都市意識は当時の経済条件という問題もあるが、同時にその頃は文化格差が大きかったことも大きい。テレビがない時代で、ようやくラジオが登場して妙子がクラシックをお風呂に入りながら聞く場面があるが、あまり蒔岡家では聞いていない感じだ。テレビによって、言葉だけでなく大衆文化の共通性が進んで行った。そして高度成長、バブル経済があって、大都市と地方の文化の差は小さくなっている。ただし、大学や大会社が地方には少ないので、若い層が大都市に集中することになる。関西の文化も今の東京に随分浸透しているが、それは蒔岡一家が好むようなものではないだろう。蒔岡家が吉本新喜劇に行ったとは思えないし、たこ焼きを食べるとも思えない。幸子は花は桜、魚は鯛という好みで、それが昔ながらの関西文化の王道なのである。
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「細雪」を読む①ー「結婚」をめぐる「女縁」と「階級」

2022年03月15日 23時04分17秒 | 本 (日本文学)
 谷崎潤一郎細雪」を読んだ。今まで読んだことがなくて、長年の懸案になっていたのだが、ついに読み始めて堪能した。今読んだのは、神保町シアターという小さな映画館で、「「細雪」と映画の中の姉妹たち」という特集上映をやっているから。「細雪」は今までに3回映画化されている。全部見ているが、この際見直してみようと思った。もうそろそろ読みたかったので、機が熟したように思ったのである。読んだのは新潮文庫版全3巻。昔出た中公バックスの1巻本を持ってるけど、字が小さいからムリだと思って買い直した。字がとても大きくて注が詳細なので、若い人と年取った人には新潮文庫がオススメである。
(「細雪」上巻)
 「細雪」は「ささめゆき」と読むぐらいのことは、読んでない人も知ってるだろう。意味は「まばらに降る雪」だというが、小説内に雪のシーンはない。重要な登場人物の蒔岡雪子の名前から思いついたというが、作者の気持ちとしては「四季折々」「人生いろいろ」を象徴する言葉ぐらいに受け取っておくべきかと思う。「蒔岡」は「まきおか」で、英語題は「The Makioka Sisters」になっている。大阪・船場でその名を知られた蒔岡家の四姉妹、上から鶴子幸子(さちこ)、雪子妙子の人生行路をまさに絵巻物のように描き出した傑作大河小説である。
(谷崎潤一郎)
 1936年から1941年にかけて、芦屋(兵庫県)、大阪東京を中心に、物語開始時点で未婚の雪子と妙子の結婚に関するあれこれが語り尽くされる。谷崎潤一郎は1941年に「源氏物語」現代語訳を完成させ、1942年から「細雪」を書き始めた。1943年には「中央公論」に2回掲載されたが、戦時下にふさわしくないと軍部に掲載を止められた。上巻は私家版として知人に配布したが、それも軍部に止められ、結局戦争終了後の1946年に上巻、47年に中巻、48年に完成した下巻を刊行して完結した。

 主な舞台は当時谷崎が住んでいた芦屋周辺、大阪と神戸の間にあって当時高級住宅地として発展していた「阪神間」になるが、他にもいろいろな土地が出て来る。登場人物も多彩で、それぞれが見事に描き分けられ、「風俗小説」を読む楽しみを満喫できる。僕はこれが谷崎の最高傑作とは思わなかったが、紛れもない傑作を読んでいると感じた。(最高傑作は「春琴抄」だと思う。)それだけに書かれている情報も膨大で、戦前の銀座に横浜のホテル・ニューグランドの支店があって高級レストランとして有名だったなんて、東京人の誰も覚えてないことまで出て来る。(検索しても出て来ない。新潮文庫の注を読んで初めて判る。)
(戦後に出た「細雪」初版本)
 しかしながら、やはり物語の中心は「結婚」である。当時の「上流階級」の常識として、女は家庭に入らなければならない。3女の雪子は冒頭時点で30歳近くになっていて、これは当時としては婚期を逃しつつある。当然「見合い」で良縁を見つけるわけだから、次第に条件が悪くなってくる。これに対し、4女の妙子は時代に先駆けているというか、よく言えば「自立志向」、悪く言えば「はねっ返り」で、一家に一人はいる困り者とされる。そもそも20歳の頃に、船場の貴金属商の3男、奥畑啓三郎と恋愛関係になって「駆け落ち」した過去がある。しかも、それが雪子と間違って新聞に報じられた。

 この「事件」が間違いであるにも関わらず、雪子の縁談に何がしかの影響を与えたらしい。一方、妙子はもはや良家からの縁談を期待できず、もともと器用な才能を生かして人形作り、さらに洋裁に打ち込むことになる。そうなると「職業婦人」になってしまうので、これは良家の子女にはふさわしくないと忌避される。「女先生」や「看護婦」は今なら立派な職業と思われているが、当時は女性が働いているということだけで、お金持ちではないことを意味するから、下層階級的なふるまいになる。夫の方も妻を働かせていると周りから非難される時代だった。そのような「階級」という意識がこの小説の前提に存在している。

 妙子は小説内で「こいさん」と呼ばれる。「お嬢さん」が大阪弁で「いとはん」、末子なので「小」が付いて「こいさん」である。駆け落ち相手の奥畑啓三郎は「啓坊」(けいぼん)である。「こいさん」「けいぼん」という呼び方が映画の中で使われると、なんとも言えない穏やかで趣のある風情が出て来る。「細雪」という小説の魅力はそこにあるが、実は裏で確固たる階級意識が描かれて批評されている。この雪子と妙子のどちらが小説の中心なのかという議論があるが、実は作家の3度目の妻、松子の一族がモデルになっている。恐らく雪子が主役として書かれたと思うが、小説内では妙子の方が生き生きとして存在感がある。

 そもそもこの一族にはおかしなことがある。長女鶴子は銀行員辰雄を婿に取ったが、父の死後船場の商家を継がなかった。女ばかり4人続くのは珍しいが、ないわけではない。しかし、大阪でも知られた商売をしていた一家なのだから、家を継ぐために奉公人や同業者の次三男などを婿に取るのが一般だろう。しかも長女が婿を取ったのに、次女幸子も婿を取って「分家」を立てた。鶴子は「本家」と呼ばれる。しかも、幸子の夫も後を継がない。継いでしまって、業績が持ち直せば、企業小説にはなっても、作家の書きたかった「没落する四人姉妹」の物語にならない。だから、現実にはあり得ないような設定をしているのである。

 雪子は小説内で5回「お見合い」をする。映画ではすぐに見合いのシーンになるが、現実には仲人が紹介し、相手を調査し、会場を選ぶなど周到な手順がある。小説ではそれがくどいほど丁寧に叙述されていて、そこが風俗小説として貴重である。そのお見合いに一番熱心なのは、神戸で美容院を経営する井谷という女性である。この人は大した活躍ぶりなのだが、当時美容院で本格的にパーマを掛けるのは高額だったという。幸子も雪子も井谷美容院を利用していて、お得意という枠を越えて親しくしている。妙子の人形教室に通っていたカタリナという白系ロシア人一家とも家族ぐるみで交際する。芦屋の幸子を中心に「女縁」で小説が進行するのが「細雪」の特徴である。

 妙子の運命は別に書くとして、雪子はいったいどういう人物なのだろうか。僕にはよく理解出来ない。映画ではキャストによって、雪子と妙子の扱いが違ってくる。1回目の映画化は妙子が高峰秀子なので、自立を目指す女性像が印象に残る。2回目の映画化では雪子が山本富士子なので、当時大映の美人スターだっただけに雪子の印象が強い。だがこの時は時代が製作当時(1959年)に変えられていて、子どもたちがフラフープをしている場面から始まる。雪子はここでも縁遠いけれど、前にまとまりそうだった縁談の相手が交通事故で亡くなり、その面影が残っているとされている。戦後になると、いくら何でも家柄に拘るとか、あまりに縁談を断る合理的な理由がなかったということだろう。

 幸子の娘悦子や妹妙子が大病をしたとき、一番熱心に寝ずの看病をしたのが雪子だった。献身的で立派な女性で、なぜこのような人が結婚相手に恵まれないのか。まあ一回で結ばれてしまうと大河小説にならないが、その事情はなんとも不可解。没落しても家柄意識が抜けないなどと従来は解釈されることが多かったが、今の目で見ると「こういう人いるな」と思う。通念に従って結婚する気はあるが、性的な欲望が薄いのである。お膳立てされれば結婚するのはやむを得ないけれど、本当は特に結婚したくもないのである。当時も「同性愛」はあって、谷崎も「卍」を書いているが、当時は「無性愛者」という概念はなかっただろう。今なら結婚せずに趣味を楽しみながら気楽に生きていったのではないだろうか。
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2021年外国映画ベストテンー女性監督の活躍

2022年03月14日 21時07分59秒 |  〃  (新作外国映画)
 2021年のキネ旬ベストテン外国映画編。日本映画に続いて、簡単に外国映画も見ておきたい。結果は「ノマドランド」の圧勝だった。批評家が順位付けして、1位を10点…10位を1点として足していくわけだが、「ノマドランド」が295点、2位の「ボストン市庁舎」が159点、3位の「プロミシング・ヤング・ウーマン」が145点だから、ほぼダブルスコアである。それも道理で、見ればすぐ判る傑作だった。むしろ2位に長大なドキュメンタリー「ボストン市庁舎」が入ったのが驚き。

ノマドランド(クロエ・ジャオ) ②ボストン市庁舎(フレデリック・ワイズマン) ③プロミシング・ヤング・ウーマン(エメラルド・フェネル) ④アメリカン・ユートピア(スパイク・リー) ⑤ファーザー(フロリアン・ゼレール) ⑥ラストナイト・イン・ソーホー(エドガー・ライト) ⑦春江水暖(グー・シャオガン) ⑧パワー・オブ・ザ・ドッグ(ジェーン・カンピオン) ⑨MINAMATAーミナマター(アンドリュー・レヴィタス) ⑩少年の君(テレク・ツァン)
(「ノマドランド」) 
 4位のスパイク・リーアメリカン・ユートピア」も見ている。面白かったけど、ここでは書かなかった。デイヴィッド・バーンの伝説的といわれるコンサートをスパイク・リーが様々な手法を駆使して見事に映像化した。後追いしたのが「ラストナイト・イン・ソーホー」で、ものすごく面白かった。「ノマドランド」もドキュメンタリー的なところがあるので、純粋な作り物としての面白さでは随一かもしれない。「MINAMATAーミナマター」の評価は難しい。映画が「歴史そのまま」でなくてもいいと思うけど、ここまで重大な点で「歴史離れ」していいのだろうか。「水俣曼荼羅」や昔の土本典昭監督の記録映画を見て欲しいと思ってしまった。

 次点以下は、⑪逃げた女 ⑫17歳の瞳に映る世界 ⑬DUNE/デューン砂の惑星 ⑭最後の決闘裁判 ⑮MONOS猿と呼ばれし者たち ⑯サマー・オブ・ソウル ⑰ONODA 一万夜を越えて ⑱サウンド・オブ・メタル ⑲スウィート・シング ⑳アナザーラウンド

 10位台には見逃しが多くある。さらにその下に「水を抱く女」「1秒先の彼女」「イン・ザ・ハイツ」「コレクティブ 国家の嘘」「ミナリ」などと続いている。ベストテンというのは、多くの投票者が次点の11位だと考える作品は、誰も投票しないから結果的に0点となって選外となる。その意味では「ある人は高く評価するが、別の人は全く評価しない」というタイプの映画が10位以下に並ぶことになる。「ミナリ」とか「1秒先の彼女」のような心地よい映画はもっと上位になって欲しいなあと思う。

 11位の「逃げた女」は韓国のホン・サンス監督のベルリン映画祭監督賞受賞作である。ホン・サンスは最近各国の映画祭で受賞が続いている。毎年のように映画を発表していて、日本でも多くが公開されているが、何しろ作品数が多い。一本の映画は短いものが多く、「逃げた女」も77分である。でも正直言って僕は面白いと思ったことがないんだけど、判るような判らないような世界にハマる人がいるんだろう。

 「パワー・オブ・ザ・ドッグ」はニュージーランドのジェーン・カンピオン監督がアメリカで作った映画。ヴェネツィア映画祭銀獅子賞を獲得した。日本では配信公開で、映画館での上映は限定されていた。だからかどうか、8位は低評価過ぎると思う。米アカデミー賞では最多ノミネート作品になっている。ジェーン・カンピオンはかつて「ピアノ・レッスン」でカンヌ映画祭のパルムドールを取った女性監督である。「ノマドランド」のクロエ・ジャオもアメリカの外(中国)から来てアメリカを描いた。「パワー・オブ・ザ・ドッグ」も非アメリカ人女性監督がアメリカ西部の世界を描いている。
(「パワー・オブ・ザ・ドッグ」)
 単に女性監督だからではなく、アメリカを内側から見つめて「アメリカ的マッチョイズム」を問い直している。そこが非常に興味深い。3位の「プロミシング・ヤング・ウーマン」は女性監督がまさに差別を告発する社会派エンタメである。それも意味があるとは思うけど、「パワー・オブ・ザ・ドッグ」の方がもっと深く男性優位社会を批判的に描いている感じがする。そして「ノマドランド」になると、俗世間を超越して「生と死」を見つめている。世界の女性監督は躍進を続けている。注目せざるを得ない。
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2021年キネマ旬報ベストテン・日本映画編

2022年03月13日 20時37分45秒 | 映画 (新作日本映画)
 映画雑誌「キネマ旬報」の2021年ベストテンの紹介。昔は1月初めに一般ニュースで流れたが、ここ数年発表しなくなった。そこで例年は紹介して寸評していたと思うが、今年はいろいろあって忘れていた。3月11日に日本アカデミー賞の表彰式があって、少しテレビを見ていたら、やはり書いておこうかなと思った。賞には運不運があるし、絶対という基準は存在しない。しかし、優秀主演女優賞が、天海祐希有村架純永野芽郁松岡茉優吉永小百合なのはどうなのか。

 いくら日本アカデミー賞が業界大手のお祭りと言っても、「茜色に焼かれる」の尾野真千子が入ってないのはおかしすぎる。キネマ旬報毎日映画コンクールの主演女優賞はともに尾野真千子だった。毎日映画コンクールのノミネートは、有村架純(花束みたいな恋をした」)、加賀まりこ(「梅切らぬバカ」)、門脇麦(「あの子は貴族」)、瀧内公美(「由宇子の天秤」)で、有村架純以外は共通していない。作品本位で映画を見れば、2021年の女優賞は尾野真千子で決まりだなと見ればすぐ判る。

 キネマ旬報の日本映画ベストテンは以下の通り。今年の10本はすべて紹介した作品だったので、リンクを貼った。別にベストテンに拘っているわけではないが、長年見てているから僕が面白いなと思って紹介した映画は大体上位に来る。 

日本映画ベストテン
ドライブ・マイ・カー(濱口竜介) ②茜色に焼かれる(石井裕也) ③偶然と想像(濱口竜介) ④すばらしき世界(西川美和) ⑤水俣曼荼羅(原一男) ⑥あの子は貴族(岨出由貴子) ⑦空白(吉田恵輔) ⑧由宇子の天秤(春木雄二郎) ⑨いとみち(横浜聡子) ⑩花束みたいな恋をした(土井裕泰)

 毎日映コンの作品賞ノミネートは、「茜色に焼かれる」「空白」「すばらしき世界」「ドライブ・マイ・カー」「由宇子の天秤」だった。日本アカデミー賞の優秀作品賞は「キネマの神様」「孤狼の血LEVEL2」「すばらしき世界」「ドライブ・マイ・カー」「護られなかった者たちへ」である。僕は2021年の劇映画ベスト5は毎日映コンの5作品だと思う。「孤狼の血LEVEL2」はまだ理解出来るけど、「キネマの神様」が入って「茜色に焼かれる」や「空白」が落ちているのは作品以外の事情なんだろう。

 僕は濱口竜介監督の「偶然と想像」は話が嫌なので選ばない。シャレた設定だとか、語り口がうまいとか言っても、話の内容に共感できないのでは困る。僕は「ドライブ・マイ・カー」以上に、「ハッピーアワー」が濱口監督の最高傑作だと思っている。「ドライブ・マイ・カー」は村上春樹原作だから良いとか、だからダメという人もいるけど、多分見てないんだろう。稽古シーンは興味深いが、「ワーニャ叔父さん」を上演ということで想定通りのラストになる。僕のベストは「すばらしき世界」で、これは役所広司の演技とテーマ性に共感したのである。技術面(撮影、照明、録音など)に難があるが「由宇子の天秤」にも感心した。
(「ドライブ・マイ・カー」が8冠だった日本アカデミー賞)
 次点以下は ⑪BLUE/ブルー(吉田恵輔) ⑫護られなかった者たちへ(瀬々敬久) ⑬孤狼の血LEVEL2(白石和彌) ⑭子供はわかってあげない(沖田修一) ⑮まともじゃないのは君も一緒(前田弘二) ⑯騙し絵の牙(吉田大八) ⑰街の上で(今泉力哉) ⑱愛のまなざしを(万田邦敏) ⑲シン・エヴァンゲリオン劇場版(庵野秀明) ⑳草の響き(斎藤久志)

 それ以下の作品を挙げてみると、21位「サマーフィルムにのって」、23位「アジアの天使」、24位「ヤクザと家族」、36位「燃えよ剣」、42位「椿の庭」、49位「キネマの神様」「老後の資金がありません」、72位「いのちの停車場」、95位「竜とそばかすの姫」、106位「そして、バトンは渡された」…といった具合である。

 吉田恵輔監督(1975~)は「空白」と「BLUE/ブルー」があって、芸術選奨新人賞を受けた。今までに「純喫茶磯辺」「さんかく」「銀の匙」「ヒメアノール」「愛しのアイリーン」などを作ってきた。長年ボクシングをやってきたということで、「BLUE/ブルー」はボクシング映画である。見るのが遅くなって、ここでは書かなかったが、ボクシング映画は大体面白い。強いけど目をやられた東出昌大と弱いけどボクシングが好きな松山ケンイチ、二人の青春。「子供はわかってあげない」の沖田修一監督(1977~)と並ぶ代表的な中堅監督だが、どちらも今ひとつ作品世界にパンチがなかった。吉田監督の「空白」は今までを打ち破るド迫力の人間ドラマだったが、まだちょっと人間配置が図式的か。今後に注目である。

 キネマ旬報では「文化映画」が貴重である。まあ僕は最近は劇映画以外はあまり見なくなってしまったが。今年は文化映画ベストワンの「水俣曼荼羅」が一般のベストテンの5位にも入っている。今までに記憶がないぐらい非常に珍しいことだとと思う。しかし、「ドライブ・マイ・カー」と「水俣曼荼羅」を同じように比較して順位を付ける基準は存在するのだろうか。よく判らないけれど、まあ原一男監督の集大成的な大作であることは間違いない。なお、2020年ベストワンだった大島新監督の新作「香川1区」は、12月24日公開だったから、2022年扱いになる。

文化映画ベストテン
水俣曼荼羅 ②くじらびと ③いまはむかし~父・ジャワ・幻のフィルム ③陶王子2万年の旅 ⑤サンマデモクラシー ⑥明日をへぐる ⑦東京クルド ⑦東京自転車節 ⑨終わりの見えない闘いー新型コロナウイル感染症と保健所ー ⑩きみが死んだあとで ⑩緑の牢獄

 「すばらしき世界」「あの子は貴族」「いとみち」が女性監督による映画だった。ベストテンに3本入るのは、例年より多いと思うが、11位から20位までには一本もない。若手女性監督はかなりいるけれど、商業的に大きな映画はなかなか任されにくい状況があるだろう。どうしても小さな独立プロ作品が多くなる。興行的に難しく、見る機会も少なくなる。しかし、小説や漫画では女性の方が活躍しているぐらいだから、10年後には女性監督が倍増しているだろう。もっとも女性監督だから必ず面白いというわけもなく、結局は作品本位の評価ということになる。
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無名塾「左の腕」を見る、仲代達矢役者七十周年記念作品

2022年03月11日 21時04分44秒 | 演劇
 ウクライナ戦争下の11年目の「3・11」。今年は無名塾の公演「左の腕」を見に行った。「ピアフ」を見たばかりだけど、あれは去年秋に申し込んでいた。その後に「左の腕」を知ったが、5日から13日である、チケットぴあや劇場で満員で、劇団に電話してようやく取れたのだった。体調を崩したら高いチケットを両方ムダにするから、本当はもっと間を空けたかった。それでも北千住のシアター1010だから行こうと思った。駅前の丸井11階にある劇場で、「1010」は「せんじゅ」だが、「○1○1」(まるいまるい)の逆でもある。いつも遠くまで出掛けるのが大変なのに、今日は30分で着くからこんなに楽なのか。

 「左の腕」は松本清張佐渡流人行」の一編で、1時間半ほどの短い劇である。舞台は江戸・深川の料理屋の一角、飴売りの老人はいつもその店の土間でお昼を食べている。娘を抱えて大変な暮らしなのを知って、料理屋ではこの父娘に仕事を世話する。働き者の父と娘に親切な人たちが現れたのである。しかし、そこに料理屋を食い物にしている悪い目明かしが現れて…。娘を妾にしようと思って、老父の秘密を探り始める。父はいつも左腕に包帯をしていて、それは昔火事にあって大やけどをしたからだというが、それを疑ったのである。ある夜、その料理屋で賭場が開かれると知って盗賊が襲ってくる…。

 原作は昔読んでると思うが、清張はいっぱい読んでいっぱい売ってしまったので、もう持ってないと思う。基本は人情時代劇で、ストーリー、あるいは「父の左腕の秘密」は誰にでも想像できる通りのものである。そのことが盗賊が襲った夜に、まざまざと明るみに出る。しかしドラマチックと言うより、設定は定番通りだろう。この父親が仲代達矢で、1932年生まれだから89歳である。もうこの年齢だから「受けの演技」だと自ら述べていた通り、悠々自適、飄飄とした、演技を越えた一本筋が通った人間の芯を見せる。

 松本白鸚大竹しのぶと恐るべき大熱演を見たあとに、今回の仲代達矢。ステーキの後に、お茶漬けをサラサラッと飲みこんだかの感じだが、その滋味が懐かしい。1時間半だから、大ドラマと言うより、掌編のエチュードという感じ。「仲代達矢役者七十数年記念」と銘打っている。しかし、舞台も映画も端役として出始めたのは1954年からで、1952年は俳優座養成所第4期生として入所した年になる。この偉大な役者を今も見られることは素晴らしい贈り物だ。仲代達矢はいろいろと凄いわけだが、何より凄いのは妻の宮崎恭子が1996年に亡くなった後も妻と共に創立した無名塾を元気に守り続けていることだ。大部分の男には出来ない。
 
 無名塾出身俳優として一番有名なのは役所広司だろう。2021年にその役所広司主演の西川美和監督「すばらしき世界」という映画があった。「左の腕」は時代劇だが、テーマは共通性がある。「刑余者」の問題である。かつて罪を犯した人間は立ち直ることが出来るのか。人はもっと寛容になるべきではないかというテーマは、争いが絶えない21世紀の世界に訴えるものだ。「赦す人」あれば、「人の弱みにつけ込む人」もある。善意がつながっていく道はあるのだろうか。静かにそう問いかけているように思った。
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トリガー条項とは何かー国民民主党の予算案賛成問題

2022年03月10日 23時14分13秒 | 政治
 ちょっと時間が経ってしまったが、国民民主党が衆議院で2022年度の当初予算案に賛成したというニュースには驚いた。他の野党が批判するように、政府提出の予算案に賛成するのは「与党と同じ」である。「内閣総理大臣指名選挙」「内閣不信任案」への対応ほど重くはないけれど、それと同等程度に重大な判断のはずである。災害対応等の補正予算に賛成することはあっても、衆院選でから半年も経ってないのに、「野党」として当選した議員が当初予算案に賛成するなど聞いたことがない。
(国民民主党の玉木代表と岸田首相)
 そういう決断をした大きな理由に「ガソリン税のトリガー条項凍結解除」という問題がある。と言われても、すぐには判る人は少ないだろう。僕もそうだが、では一度調べてみよう。まず「ガソリン税」というけど、正式には「揮発油税」「地方揮発油税」である。戦前にもあったが、戦時下でガソリンが配給になったので一時停止。1949年に復活して、その後何度かの引き上げがあった。現在の本則では「1キロリットル当たり、24,300円」だが、1993年から租税特別措置法で「1キロリットル当たり、48,600円」と税率が倍額になっていた。そして、2008年3月31日でその特別措置が切れてしまったのである。

 特別措置が延長出来なかったのは、当時は「ねじれ国会」だったからだ。2007年の参院選で自民党が大敗し、衆参で多数派が違うようになった。民主党(当時)は「ガソリン値下げ」を主張して、特別措置延長に賛同しなかった。もめたのは単に税率だけではなかった。1954年以来、ガソリン税や自動車重量税は「道路特定財源」とされていた。これは田中角栄らの議員立法で成立したもので、ガソリン税の税収はすべて道路建設に使われたのである。この「道路特定財源」化によって、全国的な道路網整備が進んだのは間違いないが、時代も変わって廃止するべきだというのが民主党の主張だった。

 細かなことは省くが、結局「道路特定財源は廃止」になり、代わりに「当分の間」特別措置(ガソリン税倍増)を延長することになったのである。そして2009年の政権交代によって、マニフェストで「ガソリン値下げ」を掲げた民主党政権が誕生した。だから特別措置は廃止するべきだったわけだが、実際に政権についてみれば諸課題が山積みで、ガソリン税の引き下げが困難になったのである。その代わりに、ガソリンの3か月の平均小売価格が1リットル当たり160円を超えたら、特例税率を停止する「トリガー条項」が設けられたのである。「トリガー」(trigger)というのは、銃の引き金のことである。精神医学では「病気を引き起こした原因」として使われる。「引き金を引く」と「銃弾が飛び出す」みたいな関係にある場合に使う。
(トリガー条項の説明)
 内容的にはレギュラーガソリンの全国平均価格が3か月連続で1リットル160円を超えた場合、ガソリン税の旧暫定税率分の1リットル25.1円を減税し、3か月連続で130円を下回れば税率を戻すというものである。ただし、さらに先があって、2011年3月11日の東日本大震災で、復興財源を確保する必要に迫られた民主党政権は、臨時特例法を制定して4月27日から、別に定める日までトリガー条項を凍結することになった。こういう細かい話はすっかり忘れていた。ガソリン税の問題は多分当時は報道を通して知っていたと思うけど。国民民主党の玉木雄一郎代表は、元財務官僚で2009年に民主党から初当選して、1年生議員ながら政調会長補佐を務めた。そういう経歴から、この問題に詳しいということなんだろう。

 従って、「トリガー条項凍結解除」は法律の改正が必要で、なかなか成立への道筋は見通せない。何故なら、地方の税収減の問題があるからだ。鈴木財務相によれば、「1年間で国1兆円、地方で0.5兆円、合計1兆5700億円の減収」だという。国税の税収減は、今行われている「補助金支給」がなくなるわけだから、プラスマイナスゼロかもしれない。しかし、地方財政の場合、5000億円の税収減は何らかの形で国が補填する必要があるだろう。その問題を考えると、「トリガー条項発動」を主張するならば、その影響を受ける地方への支援策を「予算案」に付け加える必要がある。ガソリン税引き下げによる税収減もあるから、当初の予算案を書き直す必要が生じる。当初予算案に賛成するという選択肢はあり得ない

 ここで原則を振り返っておくと、そもそも議会とは「税金の使い道」を決めるためのものだ。内閣総理大臣は衆議院の多数派から選ばれるんだから、内閣が作った予算案が成立するのが当たり前である。野党がそろって反対しても、予算は与党の賛成多数で成立する。与党をめぐる大スキャンダルなどが起こって、予算案審議が進まないなど特別な事情がない限り、予算は2月末頃に衆議院を通過する。憲法の規定で、予算案は衆議院で成立した1ヶ月後に(参議院の採決が済んでなくても)成立する。「予算成立」は、野党が採決に応じるかどうかの問題であって、無事に採決までこぎ着ければ「後は儀式」である。

 与党は別に野党に賛成して貰う必要はない。野党は自分たちが野党であることを示すために、反対票を投じる。もちろん、予算案が成立することは判っている。そういう性格の投票なんだから、そこで予算案に賛成するということは、「与党入り宣言」に近いとみなされるわけである。しかし、政治はガソリン税のトリガー条項だけじゃない。様々な問題がいくつもあって、自民・公明と違う公約を掲げて選挙したばかりなのに、何で予算に賛成できるのか、僕には全く判らない。もちろん、国民民主党がどうするかは、僕が決めることではない。与党になってもいいわけだが、支援団体の労働組合も全部賛成なのだろうか。今は民間の大企業では、組合員に自民支持者も多いというが、それでも組織全体として「与党入り」にすぐ賛成するとは僕には信じられない。
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パゾリーニ監督「テオレマ」と「王女メディア」

2022年03月09日 22時52分13秒 |  〃  (旧作外国映画)
 2022年はピエル・パオロ・パゾリーニ(Pier Paolo Pasolini、1922~1975)の生誕百年に当たる。衝撃的な死から50年近く経って、知らない人の方が多いだろう。現在「テオレマ」(1968)と「王女メディア」(1969)がデジタル化されて上映されている。日本ではどちらも1970年に公開され、それぞれキネマ旬報ベストテン6位、7位に選出された。僕はアート映画に目覚めたばかりの中学生で、どっちも見ているのである。「テオレマ」は99年に開かれたパゾリーニ映画祭で上映されたが、「王女メディア」は公開以来だから何と半世紀以上が経ってしまったことに驚くしかない。

 パゾリーニは戦後イタリアでもっとも注目された、あるいは「お騒がせ」だった人だろう。詩人、小説家、劇作家、脚本家、評論家として活躍し、映画監督にも乗り出して世界的に評価された。詩、演劇、映画を越境して活躍した人は、日本なら寺山修司が思い浮かぶ。しかし、パゾリーニはもっと政治的であり、闘争的であり、そして同性愛者だった。常にブルジョワ的な姿勢を攻撃し、ネオファシズムを敵視した。パゾリーニは、1975年11月2日にローマ郊外で暴行、轢殺された死体が発見された。公式には遺作「ソドムの市」に出演した少年との性的スキャンダルとされたが、今に至るも右翼勢力による謀殺という説が絶えない。

 久方ぶりに見た「王女メディア」から。これはマリア・カラスが出演した唯一の映画として知られている。「世紀の歌姫」で、20世紀最高のソプラノ歌手である。名前が特徴的だから僕も知ってはいたが、最初に見た時は中学生だから聞いたことはなかった。大人になってCDを買って、今も時々聞いている。出演当時は長く付き合っていたギリシャの海運王アリストテレス・オナシスがジャクリーン・ケネディ(ケネディ米国大統領の未亡人)と結婚して、マリア・カラスは「捨てられた」失意の時代だった。数年前に公開された記録映画「私は、マリア・カラス」には、その時代の苦境が描かれていた。

 ウィキペディアのマリア・カラスの項目にも「王女メディア」が出てないぐらいだから、今じゃこの出演もすっかり忘れられているのかもしれない。しかし、堂々たる主演である。ギリシャ悲劇のエウリピデスメディア」の映画化だが、事前に勉強していかなかったから、最初は戸惑うことが多かった。父の王位を奪った叔父から王位返還を約束されてイアソンは未開の国コルキスに「金の羊皮」を取りに行く。そこで王女メディアに助けられ皮を奪い取るも、叔父は約束を破って二人は隣国コリントスに逃れる。メディアが住む異国ってどこだ、奇岩怪石でカッパドキアかなと思ったら、やはりトルコでロケされたという。

 隣国の国王に見込まれたイアソンは、メディアを裏切って王の娘と婚約する。そこからメディアによる苛烈な復讐ドラマが始まる。必ずしも判りやすい描写ではなく、メディアの不思議な能力による幻想的なシーンが多い。当時は凄いアート映画だなと思って見たが、そういう「前衛」ムードが60年代末という感じ。「異国」をイメージするために、冒頭から「民族音楽」っぽい音楽が流れ、その中には日本の地唄まで出て来る。ヨーロッパ人にはエキゾチックかもしれないが、映画の中に日本語が出て来たら我々には違和感がある。衣装をピエロ・トージが担当している。「山猫」「ベニスに死す」などで知られる衣装デザイナーで見事な仕事である。ギリシャ神話に詳しくないので難しい部分があるが、間違いなく凄い映画。
(「テオレマ」公開当時のチラシ)
 「テオレマ」は完全な寓話として作られていて、まさに60年代の前衛映画である。題名は「定理」という意味だというが、見てても題名意味は良く判らない。あるブルジョワ一家に謎の男(テレンス・スタンプ)がやってきて、いつの間にか家族は彼と性的なつながりを持ってしまう。そしてある日彼は去って行き、家族それぞれが崩壊して行くのだった。映像も美しくなって(4Kスキャン版)、なんだか寓話の深みが増した気がした。パゾリーニ映画祭で再見したときは、なんだかもう意味がないような気もしたのだが、現代人の孤独と精神の不毛が今の方が身に迫るということか。

 母親はシルヴァーナ・マンガーノ(「ベニスに死す」や「家族の肖像」)、父親がマッシモ・ジロッティ、娘がアンヌ・ヴィアゼムスキー(当時ゴダールの妻で「中国女」「バルタザールどこへいく」)と国際的に知られる俳優が出ている。そんな中で家政婦を演じたラウラ・ベッティという人がカンヌ映画祭で女優賞を獲得しているのが不思議。今ならもっと性描写も描かれると思うが、なんだかスラッと通り過ぎる感じ。だからこそテレンス・スタンプ演じる男は一体何を象徴しているのかと謎が深まる。冒頭で大会社の社長が会社を労働者に渡したというニュースが出る。「労働者自主管理」という発想があった時代だが、この発想が今になって新たに意味を持ってきた感じがする。
(ピエル・パオロ・パゾリーニ)
 パゾリーニでは69年ベストワンになった「アポロンの地獄」(「オイディプス王」の映画化)やイエスの生涯を現代の目で描いた「奇跡の丘」がベストテンに入っている。それらもまた見てみたいが、それより公開以来やってないのが、70年代の映画。判らない、暗いという批判を気にして「デカメロン」(71)、「カンタベリー物語」(72)、「アラビアンナイト」(74)の艶笑シリーズを作った。その後がサド原作を現代に移した問題作「ソドムの市」。僕は「ソドムの市」はやりすぎだと思ったけど、「アラビアンナイト」ののどごしの良いウドンをツルツルッと食べるようなムードが結構良かった。これらもやって欲しいな。
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大竹しのぶ主演「ピアフ」を見る

2022年03月08日 22時29分58秒 | 演劇
 日比谷のシアター・クリエで大竹しのぶ主演の「ピアフ」を見た。2011年に初演されて大評判になって以来、13、16、18年に続く4度目の再演になる。見たいなあ、見なければと思いつつ、チケットが高いから今まで行かなかった。今回も高いわけだが、お金がないわけじゃない。旅行に行きたいと思って取ってあった一昨年の10万円(給付金)を、しばらく行けそうもないから使ったのである。シアタークリエも初めて。もともとは芸術座があった建物で、そこも森光子主演「放浪記」で一回行っただけ。地下には映画館のみゆき座があって、僕が初めて一人で行った映画館だった。再開発されて、シアタークリエは地下になった。

 パム・ジェムス作、栗山民也演出の歌入りのお芝居で、歌が多いという意味ではミュージカル的だが、セリフが全部歌だったりダンスがあるわけではない。どっちかというと、歌手を主人公にした普通のドラマで、その歌手の人生がハンパないのである。エディット・ピアフ(1915~1963)という歌手のことは大昔から知っていた。昔はラジオが主な情報源で、Jポップなんてものはまだなくて洋楽中心に流れていた。70年前後はロック系が多かったが、それ以外にも時々はビリー・ホリデイとかエディット・ピアフなんていう大歌手がいたんだと曲を掛けることがあったのである。僕はすごいなと思って、この二人のLPレコードを買ってしまった。
(エディット・ピアフ)
 ビリー・ホリデイ(1915~1959)は昨年「ビリー」という記録映画が公開され、最近も「ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ」という劇映画が上映されている。二人は生年が同じで、40代で亡くなったことも同じ。どちらも恵まれない環境に生まれ、アルコールや薬物の中毒に悩まされる人生を送った。しかし、今も語り継がれる伝説的なシンガーで、持ち歌は現在も歌われる。もう一つ共通なのは独特な声質で、映画でビリー・ホリデイを演じたアンドラ・デイがゴールデングローブ賞の主演女優賞を受けるほど似せていた。大竹しのぶは日本語歌詞で歌っているわけだが、それでも若い頃、戦時下、薬物中毒など人生の諸時期を見事に歌い分けて、何だかラスト近くでは本人かと思うぐらいだった。

 「ピアフが、大竹しのぶに舞い降りた!」とチラシにあるけれど、まさにピアフが憑依したかという感じ。大竹しのぶが朝日新聞に連載しているコラムの中で、「ある日の公演で何だか肩が重いなと思ったら、その日は美輪明宏さんが見に来ていて『ピアフが来てたでしょ』と言われた」とか書いていた。まさか!と思うけど、そう言われても納得してしまいそうな名演である。歌も「愛の讃歌」「ばら色の人生」「水に流して」など見事に聞かせる。ただ、ピアフの生涯には悲惨な出来事が多すぎて、見てるうちに何だか辛くなってくる。決してただ楽しく見られるお芝居ではない。
(公演前の記者会見)
 ピアフの人生はおおよそフランス映画「エディット・ピアフ 愛の讃歌」(2007)で知っている。主演のマリオン・コティヤールも見事な成り切り演技で、何とフランス映画なのにアカデミー賞主演女優賞を取ってしまった。悲惨な生い立ち、街で歌っていて見いだされたが恩人が殺され、ピアフも共犯を疑われる。戦時下はドイツ兵の前で歌いながら、レジスタンスに協力。戦後になってアメリカで人気が出て、米国公演中にミドル級チャンピオンのボクサー、マルセル・セルダンと知り合って大恋愛になる。しかし、セルダンは1949年に飛行機事故で亡くなった。「愛の讃歌」は彼のために(彼の生前に)作られた曲である。激しいショックを受けたピアフをマレーネ・ディートリッヒが支えた。
(映画「エディット・ピアフ」のマリオン・コティヤール)
 そこまでが第一部で、第二部はイブ・モンタンシャルル・アズナヴールなど若い歌手を見い出しては、薬物中毒になっていく。薬物だけでなく、「恋愛中毒」でもある。あれだけ素晴らしい歌を作ったのに(作れる能力を持っていたから?)、依存症から逃れられない。大竹しのぶの「憑依」は素晴らしいわけだが、人生ドラマとしては今ひとつ紋切型という感じもする。ビリー・ホリデイと違って、国家から迫害されたわけでもないし。だけど、それだからこそ「人間の孤独」が心に迫る。

 大竹しのぶは僕より2歳下だけど、ほぼ同じ頃に都立高校に通っていたから親近感を持ってきた。若い頃から映画や舞台で何度も見てるけど、浦山桐郎監督の「青春の門」(1975)の織江役から忘れがたい役柄がいっぱいある。年に一度は大竹しのぶをナマで見たいと思いつつ、しばらく見てなかった。まだまだ元気そうだから、何度も見に行けたらいいな。コロナ禍で舞台やコンサートが随分中止になってる中、今度もちゃんと見ることが出来た。関係者の苦労に感謝したい。
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西郷輝彦、西村賢太、稲畑汀子他ー2022年2月の訃報

2022年03月07日 22時16分42秒 | 追悼
 2022年2月の訃報。2月は1日に早速一番大きく報道された石原慎太郎の訃報があった。「追悼」ということではないが、石原慎太郎に関しては一回書いた。何にしても戦後日本の「重要人物」ではある。石原慎太郎とともに弟の石原裕次郎を含めて、戦後日本を考える時に落とせないのは間違いない。今後は作品分析などを緻密に行うことで、「男」を前面に押し出したホモソーシャル(同性間の緊密な結びつき)な世界を批判的にあぶり出すことが大切だ。「星と舵」には本当に驚いたものだ。

 歌手・俳優の西郷輝彦が2月20日死去、75歳。64年にデビューして、橋幸夫舟木一夫とともに「御三家」と呼ばれた。それは僕にとって同時代ではないけれど、よく知っている。しかし、鹿児島出身だから芸名が「西郷」になったというのは今回初めて知った。67年の「星のフラメンコ」が歌手としての代表作。70年代以後は俳優としての活動が多くなり、テレビドラマ「どてらい男」や「江戸を斬る」(遠山金四郎役)などで人気を得た。森繁久彌に師事して舞台でも活躍。1972年に歌手の辺見マリと結婚したが81年に離婚。その後90年に再婚した。辺見マリとの間に生まれたのが辺見えみり。
(西郷輝彦)
 2月の訃報で石原慎太郎、西郷輝彦が知名度が高いかなと思うが、個人的には作家の西村賢太に一番驚いた。2月4日夜にタクシー乗車中に意識を失い、そのまま5日朝6時32分に死去。54歳。死因は心臓疾患と発表された。2011年1月に「苦役列車」で芥川賞を受賞し、同作は森山未來主演で映画化された。僕は気になるけれど好きにはなれないなという作風で、読んでるのも「苦役列車」だけ。今どき珍しい「破滅型私小説」を書き続けたが、それには生い立ちに大きな原因があった。中卒で肉体労働をしながら、古本屋で見つけた小説を読むようになり、私小説を自分でも書き始めた。忘れられていた大正期の作家、藤澤清造を再発見し「没後の弟子」を称したことでも知られる。遺稿は読売新聞に書いた石原慎太郎の追悼文だという。
(西村賢太)
 俳人の稲畑汀子(いなはた・ていこ)が27日に死去、91歳。高浜虚子の孫、高浜年尾の子で、子どもの稲畑廣太郎も俳人という俳句4代の家系である。父の死後に「ホトトギス」主宰を受け継ぎ、「有季定型」「花鳥諷詠」「客観写生」の伝統を守る立場にたった。朝日新聞の俳壇選者を40年近く務め、同じ選者の金子兜太とは丁々発止のやり取りが繰り広げられたという。俳句のことはほとんど知らないが、代表句には「今日何も彼もなにもかも春らしく」「落椿とはとつぜんに華やげる」「空といふ自由鶴舞ひやまざるは」などがあるという。判ったような判らないようなの世界である。
(稲畑汀子)
 国際的に活躍した指揮者の大町陽一郎が18日に死去、90歳。東京芸大を経てウィーン国立音楽大に留学、ベームやカラヤンの薫陶を受けた。1968年にドルトムント歌劇場常任指揮者となりオペラやバレエなどの音楽を手掛けた。1980年に日本人で初めてウィーン国立歌劇場を指揮し、82年から84年まで専属指揮者として活躍した。国内では東京芸大オペラ科教授を務め、また東京フィルハーモニー交響楽団の常任指揮者(61年~70年)、専任指揮者(99年~)を長く務めた。オペラ以外にブルックナーやヨハン・シュトラウスなどでも知られた。著書も多くクラシック音楽普及に力を尽くした。
(大町陽一郎)
 俳優の川津祐介が26日に死去、86歳。訃報ではテレビの「ザ・ガードマン」が大きく出ていた。そうかあれに出ていたのか。僕も見てたと思うが、まだ俳優には関心がなかった。僕の印象では何と言っても、大島渚の「青春残酷物語」である。松竹の映画監督だった川頭義郎の弟だったと今回初めて知ったが、慶応大学在学中に木下恵介監督の「この天の虹」でデビューしたのもその縁だろう。この映画はこの前見たけれど、デビュー作だったのか。松竹映画では青春スターだったが、後にフリーとなって様々な役柄を演じている。昔の映画やテレビで活躍したので、古い映画を見るとよく出ているが、他にもダイエット本が売れたり、レストランを開くなど随分いろんな事をした人だった。
(川津祐介)
 漫談家(という肩書きになってる)松鶴屋千とせが17日に死去、84歳。芸名から何となく大阪の人のように思い込んでいたが、何と僕と同じ自治体に住んでいた。福島県から上京して松鶴家千代若・千代菊に弟子入りした。東京で活動した漫才師である。70年代に「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ〜」というフレーズで大いに売れた。もうほとんどの人には、わかんねえだろうな。
(松鶴屋千とせ)
 イタリアの女優、モニカ・ヴィッティが2日死去、90歳。もう時間が経ってしまって名前を聞いても判らない人が多いだろう。ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「情事」「」「太陽はひとりぼっち」の「愛の不毛三部作」で不毛の愛を印象深く演じた。アントニオーニ「赤い砂漠」も素晴らしく、監督とは公私ともにパートナーだった。他にはジョセフ・ロージー監督「唇からナイフ」やこの前見たブニュエル「自由の幻想」などがある。長く活躍したが、後期の映画はほとんど未公開なのが残念。
(モニカ・ヴィッティ)
 韓国の評論家、文学研究者、李御寧イ・オリョン)が26日死去。88歳。非常に有名な人だった割に、訃報が小さかった。ノ・テウ政権で初代文化相になったのが良くなかったのか。1982年に『「縮み」志向の日本人』を日本語で書いて大評判になった。日本の比較文化論が欧米しか念頭にない事を批判し、日本独自とされた「甘え」論なども韓国に同様の言葉があると指摘した。当時は多くの人にとって盲点を突かれた批判だったのである。他の著書は「蛙はなぜ古池に飛びこんだか」など多数。
(李御寧)
 2008年にノーベル生理学・医学賞を受けたフランスのウイルス学者リュック・モンタニエが8日死去、89歳。モンタニエはHIVの発見者として知られている。80年代初期に謎の病気だったエイズ(後天性免疫不全症候群)の原因をめぐって、世界の研究者が激しい競争を繰り広げた。モンタニエのグループは、後にHIVとして知られるウイルスを発見し1983年5月30日に「サイエンス」に発表した。しかし、その段階ではウイルスがエイズの原因とは判っていなかった。ほぼ同時にアメリカのギャロのグループがエイズを引き起こすウイルスを確認したと発表し、両者の競争は仏米の政治問題にもなった。結局、最初に同定したのはモンタニエとされノーベル賞の対象になった。その後は問題発言が多くなり、新型コロナウイルスについても人工的に作られたと主張していた。
(リュック・モンタニエ)
内山斉(ひとし)、2日死去、86歳。元読売新聞グループ本社社長。日本新聞協会会長、横綱審議委員会委員長などを務めた。
渡辺充、8日死去、85歳。外務省中近東アフリカ局長、儀典長などを務めた後、96年から2006年まで宮内庁で侍従長を務めた。
柳家さん吉、15日死去、84歳。落語家。一時期「笑点」の大喜利メンバーを務めた。
竹本浩三、18日死去、89歳。吉本新喜劇の基礎を築いた脚本家、演出家。テレビ番組「パンチDEデート」の構成なども担当した。
林聖子、23日死去、93歳。新宿の文壇バー「風紋」の元店主。太宰治「メリイクリスマス」の登場人物のモデルにもなった。
安部一郎、27日死去、90歳。柔道10段。柔道の海外普及に務め、「一本」「待て」などの用語を日本語で普及させることにつながった。
大谷羊太郎、28日死去、91歳。ミステリー作家。70年に「殺意の演奏」で江戸川乱歩賞を受賞した。

ダグラス・トランブル、アメリカの映画視覚効果技師。7日死去、79歳。「2001年宇宙の旅」「未知との遭遇」「ブレードランナー」などの特撮を手掛けた。父親は「オズの魔法使い」の特撮を担当していた。
アイバン・ライトマン、12日死去、75歳。カナダの映画監督。「ゴースト・バスターズ」が世界的に大ヒットした。
ゲイリー・ブルッカー、19日死去、76歳。イギリスのバンド、プロコル・ハルムの創設メンバーで、「青い影」が大ヒットした。
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アメリカと中国はどう対応するかーウクライナ戦争⑤

2022年03月06日 22時30分47秒 |  〃  (国際問題)
 ウクライナ戦争を5回続けたので、重大事態が起きれば別だが一端中断したい。5回目にアメリカと中国が今回の事態にどのように対応するかを考えたい。アメリカは昨年末から何回もロシアの侵攻を警告してきた。ウクライナのゼレンスキー大統領が戦争をあおると批判したぐらいである。北京五輪中にも侵攻するという情報は当たらなかったが、その後、プーチン大統領はすでに侵攻を決定したとか、数日内に侵攻があるなどとバイデン大統領が断定的に警告した。結果的にアメリカ情報は全く正しかった

 中国はアメリカの情報機関はイラク戦争で全く間違えたと批判して、ウクライナ情報も信用度は低いと述べていた。では何でアメリカは今回正しい情報をつかむことができたのか。国境地帯に大軍が集結していることは、衛星写真によって証明出来る。しかし、その大軍が国境を越えて侵攻に踏み切るかは、普通の公開情報ではつかみにくい。現地の軍の情報だけでは「重大な演習を行っている」と言われたら、それ以上の判断は出来ないだろう。だから、よほど大統領周辺の情報が伝わったのである。

 真相は何十年も明らかにならないと思うが、アメリカは携帯電話やパソコンなどを監視しているとスノーデンが告発している。しかし、これほど重大な、それも大統領個人の「決心」という重大情報を外部から把握出来るものだろうか。アメリカが確信を持って断言するということは、ロシアの相当上位の人物から正しい情報が伝えられていたと考えられる。その情報がウクライナや世界を脅す目的の情報操作である可能性もありうるが、その心配の必要がないほどの「確証」が存在したのだろう。ウクライナ侵攻によって完全に世界を敵に回して、ロシアが経済的に破滅する事を恐れる「ロシア政府内部の愛国者」がいたのではないか。あえて世界に情報を流して戦争を止めようとして失敗したのである。

 僕は現在そのように推測しているのだが、当たっているかどうかは判らない。ただ(徴兵制度によって)士気が上がらない兵士を抱える軍部や、経済制裁や資産凍結によって大損害を受ける新興財閥層に戦争を忌避する気分は存在すると思う。そこでアメリカの基本方針は、「軍事介入はしない」「経済制裁によって追いつめる」と表面的には掲げながら、「プーチン排除」を目指すのではないか。「プーチン大統領の暴走」が戦争の悲劇をもたらしている、しかし「プーチン以外が正しい道を選択するなら一緒にやっていける」ということである。
(一般教書演説のバイデン大統領)
 バイデン大統領は一般教書演説で「侵略者に代償を払わせる」と語った。侵略者とはプーチン個人ということになるだろう。現時点でロシアで大規模な反戦デモが起こり政権交代をもたらす、つまり東欧各地で起こった民主革命(カラー革命)が起きる可能性はほとんどないと思われる。だから「宮廷クーデター」方式しかありない。秋の中間選挙には間に合わないと思うが、2024年までにロシアの体制変換がない限り、制裁で原油価格が上昇するなどの経済悪化が大統領選挙に悪影響を与える。

 ウクライナが早期に「降伏」してしまい、「かいらい政権」がクリミア半島の割譲、東部2州の「独立」を認める講和条約を結んでしまうと、事態の長期化が避けられない。当面はそれを避けるために、ウクライナへの軍事的支援も拡大するのではないか。もっとも直接介入はしないとしていても、ウクライナにある米国外交施設(あるいは米国系企業の施設)が「偶発的に」攻撃されたりすれば、米国内で一気に「報復感情」が湧き上がることもありうる。ロシア軍も反米感情が高まって、偶発を装って故意に米大使館を空爆したりする可能性がある。歴史ではほんのちょっとした出来事で戦争が激化してしまったことがある。今のところ欧米は軍事的介入はしないとしているが、何があるかは予測不能と覚悟しておく必要がある。
(北京冬季五輪開会式に参加する中ロ首脳)
 ウクライナ戦争の隠れた主役は中国だろう。中国はアメリカの警告を一貫して否定してきた。それは間違いなく本気だったらしく、他の主要諸国が自国民に「退避勧告」を出した後も中国は何もしなかった。その結果ウクライナ国内には6千名の中国国民が取り残されたという。その後、どれだけ国外に脱出できたか情報はないが、中国もプーチンに欺されたわけである。最近になって、中国が五輪中は侵攻しないようにロシアに要求していたという報道があった。公には否定したものの、実際に「16日にも」というバイデンが予告した最初の日程には侵攻がなかった。パラリンピック開始までには終わっているという当初の目論みだったとすれば、ロシアが侵攻を少し延ばした可能性がある。
(五輪中の侵攻中止を要請か)
 中国もホンネでは何というバカなことを始めたのかと思っているだろう。中国としては北京冬季五輪・パラリンピックを「成功」させ、全人代を乗り切って、内外ともに平穏な環境で秋の共産党大会を迎えるというのが当初の目論みだったろう。余計な戦争を始めやがってと思うだろうが、同時にアメリカにもロシアにも与しない、あるいは「どっちにも恩を売れる」機会にしたい。一方でウクライナは「一帯一路」に重要な役割を果たす重要国と位置づけてきた。ロシアほどの重要性はないと言っても、世界にはウクライナへの同情が湧き上がっている。あまりに親ロシア的姿勢を見せてしまうと、やはり中国は人権を重視しない独自の独裁国家だという批判を呼びかねない。兼ね合いが難しいが、中国(共産党指導部)が最も重視するのは「プーチンじゃなくてもいいけれど、親欧米の民主主義国家になっては困る」という点だと思う。

 ロシアに対する経済制裁は安保理では(ロシアの拒否権で)決定できない。だから、現在言われている制裁というのは、G7が中心になって独自に課しているものである。安保理決定には拘束力があるが、それがない以上中国がロシアと貿易するのは自由である。もともと中国はここ10年以上、ロシアにとって最大の貿易相手国だった。欧米日が経済制裁を課しても、当面は中国から代替できるだろう。しかし、中国経由でロシア貿易が行われるようになり、特に高級ブランドなどが流れるようになると批判が強くなる。ブランドイメージを大切にするため、中国との取引も控える企業が出て来ると思われる。中国もロシア以外との取引の方が多いわけで、あまりロシア経済を丸抱えしたくないだろう。

 中国が安保理決議で「棄権」したのは、「欧米に賛成しなかった」というよりも「ロシアと一緒に反対しなかった」という意味合いの方が大きい。北京五輪開会式に参列したプーチンに中国は恩義があるが、今回はあまりロシアべったりではない感じも受ける。今後中国が「ウィグル」「台湾」「チベット」などで欧米に制裁を課されたとして、その時自国にどれだけ影響があるのか、その予行練習としてじっくり見ているという感じか。

 ただし、ロシアがFacebookやTwitterを使用できなくしている中で、「中ロで使えるSNS」と「中ロ以外で使えるSNS」に分かれてしまう可能性がある。ITだけでなく、様々な分野で同じように世界の分断が定着してしまうと、数年間で完全に理解不能な二つの世界が形成される恐れがある。なかなか難しい課題を抱えて、世界は今まで経験したことがないような段階に入っている。
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「核兵器シェア」という愚論、ウクライナと核兵器問題ーウクライナ戦争④

2022年03月05日 22時18分19秒 |  〃  (選挙)
 ロシアではプーチン大統領が戦況に関する報道を国内で大幅に規制する改正刑法案に署名した。ロシア軍に関する「フェイクニュース」や「信用失墜を狙った情報」を広める行為を禁止する内容で、違反者は最大で禁錮15年や罰金150万ルーブル(約140万円)を科される。これは外国報道機関にも適用されるとされ、欧米報道機関には撤退したところも出始めている。今後個人のSNS発信も規制されるかもしれない。「特別軍事行動」と述べているプーチン大統領は引っ掛からないのだろうか。
(報道規制法に署名)
 今回はウクライナ戦争と核兵器に関して考えたい。ソ連崩壊時にソ連の核兵器はロシア以外に、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンに配備されていた。各国内に配備された核兵器は、もちろん各共和国が管理していたのではなく、「ソ連軍」が管理していたわけである。しかし、突然のソ連崩壊により、それぞれの国に取り残されてしまった。その核兵器はどうなったかというと、結果的にはロシアに引き渡されることになった。1994年のブダペスト覚書によって、先の3国が核不拡散条約(NPT)に加盟し、核兵器を保有する署名国(米英ロ、後に個別に仏中も)が3国の安全を保証することで、3国は核兵器をロシアに引き渡すとされた。

 僕も今回の事態になるまで、そのことを忘れていたのだが、ロシアだけでなく米英なども全くの覚書違反ではないか。ロシアは何と言ってるかというと、ウィキペディアを見ると、2014年の政変でウクライナには革命が起こり新国家となり、その新国家の政権とは覚書は未確認だと言っているという。そんなバカなという詭弁である。もっともこのブダペスト覚書は政治的に署名されただけで、各国によって批准された条約と違う。法的な強制力があるかどうかは微妙な問題らしい。

 「あの時核兵器を放棄していなければ」と論じる人がいる。今回のロシア侵攻はウクライナに核兵器があれば防げたのだろうか。しかし、考えてみればそんなことはあり得ないと判る。何故ならば、ウクライナには核兵器を管理する能力がなかったからである。米英もNPTに反して新核保有国を認めることは出来なかっただろう。そういう問題をクリアーしたとしても、ウクライナには核兵器をリニューアルしていく技術も資金もない。無理に核兵器を所持しても、それは大昔の核兵器をただ持っているだけのことである。どんなに頑張っても、ウクライナがロシアより大量の核兵器を持つことなど不可能である。

 ウクライナが無理に核保有に固執しても、当時の国際環境からデメリットしかないんだから、ブダペスト覚書に署名したのは合理的な行動だった。実際仮にウクライナに核兵器があったとして、どのように利用できると言うのだろう。核兵器を用いれば侵攻するロシア軍を撃退できるというのは、意味がない議論だ。確かにロシア軍は壊滅できるが、代わりに自国の大地が放射線廃棄物によって恐るべき汚染に見舞われる。だから核兵器は基本的に相手国領土でしか使用できない

 ではウクライナ周辺に集中していたロシア軍には使えるか。もちろん、そんなことは不可能だ。ウクライナ側から戦端を開いて大量破壊兵器を使用すれば、世界の同情は一挙に失われる。開戦責任をすべてウクライナが負うことになる。そして、ロシアは6375発の核兵器を持つとされるから、ウクライナ主要都市は直ちにロシアによる核攻撃を受けることになる。つまり、ロシアを上回る核兵器を所有し、ロシア核基地をすべて特定して、そこに正確に核爆弾を投下して一気に無力化する能力がない限り、ウクライナに数百発の核兵器があったとしても使うことは出来ないのである。

 今の核兵器数はストックホルム国際平和研究所の年鑑に掲載された数で、提携する広島県のサイトに出ている。(「世界の核兵器保有数」参照。2021年1月時点のもので、アメリカ5800、中国320、フランス290イギリス215で、200を越えているのはこの5ヶ国だけ。要するに核兵器は事実上米ロの独占に近く、5大国以外でNPT体制を無視して核兵器を保有する国はあるけれど、全世界的にはあまり意味がないのである。(全世界的に意味がなくても、インド、パキスタンはお互いを牽制する目的だけで保有している。イスラエルも核を持たないアラブ諸国に優位に立つために保有している。)

 日本では安倍晋三元首相が「核兵器の共有(シェア)を議論すべき」と述べた。この共有というのは、NATOで導入されているものだが、「アメリカの核兵器を日本国内に配備して共同で運用する」という方式である。もちろん「非核三原則」(持たず、作らず、持ち込ませず)に反する議論だが、現実性の全くない愚論というしかない。NPT体制発足時にアメリカの核兵器はすでに西欧諸国に配備されていた。それを限定的に条約後も継続する条項で、ある時期までは秘密にされていたという。「共有」というが、アメリカ軍が管理して運用するものであって、米国の戦略を無視して配備国が核兵器を使うことは出来ない。
(核共有を主張する安倍元首相)
 有効性や戦略的効果、あるいは政治的判断は別にして、日米安保条約があるんだから「核兵器共有」は可能なのだろうか。沖縄返還以前は沖縄に核兵器が配備されていたし、日本国内の基地にも配備されていた可能性がある。しかし、それは大昔の事情であって、「日本は特別」というのなら他の国も「自国も特別」と言うだろう。アメリカに可能ならロシアも可能だとなり、例えばロシアの核兵器をシリアに配備するといった壊滅的悪影響をもたらすに決まっている。(そうなったらイスラエルはシリア基地を核攻撃する可能性が高い。)ロシアがキューバと「共有」しても良いことになる。安倍氏は「日本は特別に認められるべき」と思い込んでいるらしいが、世界を破滅に追い込む政策である。

 そもそも安倍元首相はプーチン大統領と世界でもっとも多く会談した首脳の一人である。第一次政権時代を含め、27回も会ったという。山口県に呼んだことも記憶に新しく、「ウラジーミル」などと呼んでいた。その結果、北方領土問題は何の進展もなく、なし崩し的に日本が条件を下げてしまった挙げ句、ロシアは憲法改正で「領土割譲禁止」を決めてしまった。その交渉のことは先に「安倍外交と北方領土ー「大誤算」の内情」(2021.12.20)を書いた。結局安倍氏はプーチンに欺されてコケにされたんだと僕は思っている。安倍氏がまずするべきことは、北方領土交渉をプーチン大統領とどのように交渉すべきだったか、明らかにすることではないか。「私はプーチンにこう欺された」という本を書けば世界的ベストセラーになるだろう。
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主権国家は「勢力圏」を脱する自由を持っているーウクライナ戦争③

2022年03月04日 23時06分41秒 |  〃  (国際問題)
 3月4日に、ウクライナ南部にあるヨーロッパ最大級の原子力発電所、ザポリージャ原発をロシア軍が占拠した。出火している映像があるが、原発本体ではなく訓練施設だという。原発本体を攻撃・破壊しようという意図ではないと思うが、攻撃を避けるために原発を運転する職員が避難してしまう可能性はある。電源が失われることもないとは言えない。前にはチェルノブイリ原発をロシア軍が占領したというニュースもあった。とにかく安全が確保されるのかどうか、あり得ない危機が続く。ロシア軍の攻撃は明らかな戦争犯罪であって、ロシア軍の現地司令部は原発攻撃命令は拒否するべきだった。
(攻撃されたザポリージャ原発)
 日本では今後ロシアの液化天然ガスが輸入できなくなり、原油価格も上昇が続いているから、「原発を最大限に再稼働せよ」と主張する人がいる。一方で、中国や北朝鮮など「国際法を順守しない国家」が日本を攻撃するかもしれないから、日本も軍備増強を進めよ、「敵基地攻撃能力を持て」という人もいる。おおよそ両者は重なっているのだが、自分で矛盾を感じないのだろうか。日本が戦争の危機にあるのだったら、ウクライナの事態を見れば「原発廃炉」が緊急の課題ではないかと思うが。

 今回から数回にわたって、日本国内におけるウクライナ戦争理解の間違いを考えて行きたい。まず「ロシア(プーチン)は何をするか判らない好戦国家である」「だから、いつ日本を攻撃してこないとも限らない」。この「ロシア」というところは「中国」や「北朝鮮」も代入可能で、要するに今こそ「日本の防衛力増強」に努めなければならないと訴える。そのためには「(現行憲法内で)敵基地攻撃能力を可能にする」とか「憲法を改正して国防軍を持つ」とか言い始めるわけである。

 このような議論は根本から事態の本質理解を誤っている。日本は「ウクライナ」だと思い込んでいる人が多いが、日本は歴史的には「ロシア」の方だったのである。ロシアはソ連崩壊後に、旧ソ連諸国で何度か武力を行使してきたが、原則的には旧ソ連諸国以外では武力を行使していない。(例外的に中東のシリアを事実上の勢力圏とみなして、軍事的介入を行ってきたが。)中国はウィグル族チベット族を迫害したり、香港の「一国二制度」を無視して民主化運動を弾圧した。「台湾統一」も目指しているが、香港や台湾を含めて「中国」だという認識は諸外国にも争いはない。つまり、ロシアや中国は「自らの勢力圏」で強硬に出ているのである。武力行使により民間人の犠牲を出すのは論外だが、中ロが闇雲に戦争を仕掛ける好戦国という理解は間違いだ。

 ミャンマーではクーデタによって軍事政権が誕生し、民主主義が圧殺されている。それに対して、国際社会は「制裁」を課しているが、ASEANも「内政不干渉」の原則からなかなか解決への見通しが立たない。中国のウィグル問題も「内政不干渉」のもとに、なかなか外部から解決を見通せない。しかし、ロシアの場合はソ連崩壊前後に、15の構成国がすべて「独立」した。(バルト三国は崩壊前に独立を達成。)それは今のロシアからみると、あってはならなかった間違いに見えているかもしれない。しかし「覆水盆に返らず」である。それぞれが国連に個別に加盟したのだから、国連憲章の適用を受ける主権国家になったわけである。
(旧ソ連の構成国)
 旧ソ連構成国にもいろいろある。突然の「独立」で国家運営の準備も何もないまま独り立ちさせられ、「失敗国家」になった国が多い。旧共産党幹部がそのまま新国家の首脳に転じて、独裁者になった国も多い。そうじゃない国では、権力を私物化した指導者が追い落とされると、次に登場した指導者も権力を私物化することの繰り返し。そんな国が多かった。ジョージアやウクライナもそのような国だったと言えるだろう。中央アジアのイスラム諸国のように、自国防衛のためにロシアの武力を必要とする国もある。

 カザフスタン騒乱の記事で書いたように、CSTO(集団安全保障条約)という仕組みがあって、ロシアカザフスタンアルメニアベラルーシキルギスタジキスタンの6ヶ国が加盟している。しかし、キリスト教文化圏の中でウクライナジョージアモルドバは参加していない。(もちろん事情が別のバルト三国は、すでにEUにもNATOにも加盟している。)中央アジアで参加していないのはウズベキスタントルクメニスタンアゼルバイジャンの3国。

 これら旧ソ連諸国は、ロシアから見れば自国の「勢力圏」と思っている。ここで勢力圏と言っているのは、昔の「帝国秩序」と言い換えても良いだろう。帝国秩序の崩壊過程で、長い長い騒乱が起きる。南北朝鮮間の問題、台湾をめぐる問題、これらは「大日本帝国の崩壊」によって生じた問題が、75年以上経っても解決していないのである。それどころか、イラクやシリアの戦乱は長い目で見れば100年以上前の「オスマン帝国の崩壊」によって列強が人工的に国境線を引いたことに遠因がある。

 1922年に成立したソ連(ソヴィエト社会主義共和国連邦)は、社会主義と称していたが「ロシア帝国」の「帝国秩序」を受け継いで少数民族を抑圧した体制だった。本来高度に発達した資本主義の矛盾から革命に至るはずが、中央アジアなどは資本主義どころか農業社会でもない遊牧民族が突如「社会主義」に巻き込まれた。その「帝国」秩序がソ連末期の混乱の中で、突然何の準備もなく崩れた。今の日本でもアジア周辺諸国を下に見て、支配者然としてかつての過ちを直視出来ない人がいる。ロシアで「旧ソ連圏」は自分の勢力圏であって譲れないと思う政治家がいるのも、日本を思い起こせば想像出来る。

 日本はロシアの勢力圏だったことが一度もない。それどころか中国文明に対しても一定の独自性を持ち続けた。逆に近代になってアジアで唯一の「帝国主義国」として中国を侵略したわけである。どこの国の「勢力圏」でもなかった「帝国」が、無謀な対米英戦争を起こして無惨に敗北した。「連合国」のポツダム宣言を受諾したので、日本はアメリカだけでなく、イギリスや中国やソ連など多くの国に敗北したことになる。しかし、日本軍を打ち破った軍事力は圧倒的にアメリカ軍の力だった。それはイギリスやソ連も認めざるを得なかったから、日本の占領はアメリカ軍が中心になった。そして占領終了後も日米安全保障条約を結ぶことで、アメリカ軍が戦後75年を経ても日本に駐留し続けている。

 そういう経緯を振り返り、特に沖縄の米軍基地問題を思えば、戦後日本は「アメリカの勢力圏」だと考えられる。ウクライナ問題で判ることは「ロシアが攻めてくる危険性」ではない。アメリカの勢力圏である日本を攻撃すれば、ロシアが負う傷の方が大きい。しかし、日本は主権国家なのだから、日本の防衛政策を自国の有権者が決める権利を持っている。「日米安保条約を廃棄して、中国と同盟を結ぶ」ことも可能なはずである。そのような反米親中政権が選挙によって合法的に成立し、日米安保条約廃棄を通告したものの、アメリカ軍が撤退せず日本政府を武力で打倒しようと東京に向かって進軍中。あえてウクライナ戦争を日本に当てはめれば、以上のような事態のはずである。

 もちろん、そんな事態は起こらない。日米安保条約を廃棄するという主張はあっても、その後は「中立」をイメージしているだろう。「勢力圏」を変えるという主張を掲げる政党はないし、あっても政権を取るとは考えられない。ウクライナの人々がロシアに抵抗して「真の独立」を求めている姿を見て思うのは、果たして「日本は真に独立しているのだろうか」ということだ。沖縄県で米軍からコロナ禍が広まった(と思える)のを見ても、日米地位協定の改定程度のことも提起できないのでは、日本は独立しているのかと思う。沖縄の現状に何の思いも寄せずに、中国が攻めてくるなどと言い募るのは、「独立」よりも「従属」を求めることだ。
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「開戦責任」問題、歴史修正主義的発想を批判するーウクライナ戦争②

2022年03月03日 23時02分26秒 |  〃  (国際問題)
 ロシアでは毎日のように反戦デモが行われている。ヴェトナム反戦運動がアメリカで盛り上がるまでにはかなり長い時間が掛かった。今回はまだ少数勢力ではあるけれど、開戦当初から厳しい政治環境の中で反戦デモが各地で起こっている。ロシア軍に被害が出ていることをロシア当局も認めざるを得なくなっている。演習だと言われて訓練中の息子が死体となって帰ってきた母親は、プーチンを支持するか、それともプーチンに怒りをぶつけるか。両国の間には深いつながりがあるが、だからこそ戦争という手段に訴えたプーチン政権には疑問を感じるロシア国民も多いだろう。
(ロシアで起こった反戦デモ)
 プーチン演説では「ロシアと自国民を守るためにはこの手段しか残されていない。ドンバスの共和国はロシアに助けを求めており、迅速な行動を取る必要がある。」と「自衛」を主張している。ウクライナ東部で「ロシアに希望を持つ100万人の人々へのジェノサイド(民族大量虐殺)を止めなければならない。ドンバスの人民共和国の独立を認めたのは、こうした人々の望みや苦痛が理由だ。」「NATOの主要国はウクライナの極右勢力とネオナチグループを支援し、こうしたグループは、クリミアの人々がロシアに再統合するという選択を、自由にすることを決して許さないだろう。」「ロシアがこうした勢力と衝突することは避けられない。それは時間の問題で、核兵器の所有すら要求している。われわれはこれを認めない。」と述べる。

 今までのあらゆる戦争と同じくロシアは「自衛戦争」を主張するが、それはどこまで正当性を持つのだろうか。ウクライナ東部で「虐殺」があったという主張は、僕は最近になって初めて聞いたが、それは本当なのか。仮にそのような虐殺があったとしても、それは東部を攻略する理由にこそなれ、首都キエフを直接攻撃する理由になるのだろうか。そこでウクライナ政府そのものの批判を繰り広げる。そもそもウクライナは国家としてダメなのだと言っているが、特に2014年の政変(マイダン革命)以後は「ネオナチ」が勢力を握ると決めつける。しかし、仮に隣国が「ネオナチ」政権だったら、侵攻して打倒しても許されるのか
(ウクライナ東部の地図)
 このような疑問がプーチンの主張にはいっぱい思い浮かぶが、日本では案外「ウクライナやアメリカにも責任がある」などと言っている人がいる。交渉ごとでは両者にそれぞれ幾分かの責任があるものだろう。その意味では戦争の前段階でウクライナ側の対応が適切だったか、やがて検証が必要だろう。しかし、今回はウクライナを取り巻くようにロシア軍が「演習」と称して大軍を配置していた。それは「武力による脅し」であって国連憲章違反である。アメリカも様々に関わっているのかと思うが、しかし、ロシア軍に侵攻を命じられるのはロシア軍最高司令官のプーチン大統領だけである。アメリカだろうが、他のどこだろうが、ロシア軍には命令できない。ロシア軍の行動にロシア以外は責任を持たない。

 今回日本の衆参両院では、「ロシアによるウクライナ侵略を非難する決議」が採択されたが、これは両院とも全会一致ではなかった。「れいわ新選組」が反対したのである。「ロシア軍による侵略を最も強い言葉で非難し、即時に攻撃を停止し、部隊をロシア国内に撤収するよう強く求める立場」としながらも、「一刻も早く異常な事態を終わらせようという具体性を伴った決議でなければ、また、言葉だけのやってる感を演出する決議になってしまう」と言っている。しかし、日本の国会決議に即時的有効性があるわけがない。こういう考え方に立てば、あらゆる国会決議に反対しなければならない。

 ホームページにある「声明」には「今回の惨事を生み出したのはロシアの暴走、という一点張りではなく、米欧主要国がソ連邦崩壊時の約束であるNATO東方拡大せず、を反故にしてきたことなどに目を向け、この戦争を終わらせるための真摯な外交的努力を行う」とある。恐らくこの「ロシアの暴走、という一点張りではなく」という部分に反対の真意があるのだと思う。しかし、そう考えることには大きな問題があると僕は考える。ちょっと前に、ウクライナのNATO加盟を認めるのは「挑発」にすぎると僕も書いたが、それは戦争以前である。ウクライナの「中立化」が意味を持ったのはロシアの侵攻までだ。現にロシア軍が攻撃しているとき、ウクライナ国民は「中立化」を望むだろうか。ウクライナ国民に押しつける「中立」とは、実はロシアに対する従属ではないのか
(東部地域の戦闘とされる画像)
 ロシアが主張する「東部地域の虐殺」は、ロシアによるフェイクニュースだろう。そもそもドネツク、ルガンスクの「人民共和国」とは、ロシアがでっち上げた「偽国家」である。ウクライナ側からすれば「反乱軍占拠地域」である。停戦協定はあったものの、軍事的衝突は起こっていただろう。ウクライナ軍と衝突すれば、武力組織に死傷者が出ることはある。それを「虐殺」と誇張しているのだと思われる。「虐殺」という以上は民間人への無差別的な攻撃があったと証明しなければならない。

 今まで歴史上で「虐殺」が起こったとき、被害者名までは特定できないとしても、場所と時間は特定されていた。イラクのフセイン政権がクルド人に行った毒ガス攻撃。アメリカ軍がヴェトナム戦争中に起こした虐殺事件。「満州事変」や日中戦争中に日本軍が起こした幾つもの虐殺事件。詳細が不明のものもあるが、おおよその日時や場所は判明している。そしてナチスドイツがウクライナに侵攻したとき、キエフのバビ・ヤール渓谷で起こしたユダヤ人大虐殺事件。これは1941年9月29日から30日にかけて行われ、一晩で10万人が殺害されたと言われる。ホロコーストの中で一日で殺害された最大人数とされる。ソ連崩壊後、バビ・ヤール地区に多くのユダヤ人追悼碑が建設されたが、今回ロシア軍は同地区を空爆し被害が出ているらしい。どっちがナチスだよと思う。

 日米戦争でも、同じように「日本は被害者だった」「自衛戦争だ」「アメリカの謀略だった」などと言う人がいる。真珠湾攻撃についても、ルーズヴェルト大統領は知っていたとか、自国を戦争に参加させるため日本を挑発したなど、いろいろと言う人がいる。そりゃあ、アメリカはいろいろ情報活動を行っていたに違いないが、だからといって日本は自国で決断して米英に宣戦布告したのである。当たり前のことだが、ルーズヴェルトは帝国海軍連合艦隊に命令できない。真珠湾攻撃を承認できるのは、大元帥(昭和天皇)だけである。今回も裏で何があろうが、国連憲章違反の攻撃を命じられるのは、プーチン大統領だけだという冷厳たる事実は動かしようがない。「どっちもどっち」は歴史修正主義につながる発想である。右だけでなく左にも歴史修正主義がある。
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ロシアの「誤算」、侵攻の現状をどう考えるかーウクライナ戦争①

2022年03月02日 22時29分20秒 |  〃  (国際問題)
 これからしばらくウクライナ戦争について考えてみたい。ところで、ウクライナでは紛れもなくロシアの侵略による戦争が起こっているにもかかわらず、マスコミなどでは「ウクライナ情勢」などと呼ぶことが多い。その言葉自体がおかしいだろう。24日に全面侵攻が始まって、当初は「キエフは2日で制圧される」などと言われていた。それはまんざら間違いでもないようで、ロシアのRIAノーボスチ通信という国営通信社がウェブ上に「ロシアと新たな世界の到来」という予定稿を26日に載せてしまった。

 予定稿というのは、新聞記者などが事前に用意しておく原稿で、選挙の時など「バイデン勝利」「トランプ勝利」など両方用意する。決まってから書いては遅くなるから、どっちになってもいいように両方書いておくという。死亡記事なんかでも、大々的な記事になると思われる高齢者はもう書いてあるとか言われる。事情はロシアでも同じなんだろう。26日にはゼレンスキー政権が崩壊して、ロシアは世界に大々的に「新秩序」をお披露目出来るはず。だからウェブに予定稿を載せる日を26日に設定しておいたと推測出来る。掲載後すぐに気付いて削除されたというから、この推定は確かなのではないか。

 ロシア軍がキエフを攻撃し、世界は1939年のマドリードのようにキエフの状況に一喜一憂した。(まあスペイン内戦はもちろん同時代には知らないけれど。)しかし、現実には3月2日現在キエフは陥落していない。ロシアには「誤算」があったと言われている。週末には「停戦交渉」も行われた。ロシアとウクライナの求めるものは正反対なので、交渉の進展はなかなか見込めない。ロシア代表団の顔ぶれからしても、ロシアは本心では停戦する気はないと考えられる。大軍をあまりにも一気に動員して補給も大変になっていたという。この間キエフやハリコフが攻撃されているのを見ても、ロシアは時間稼ぎをしていると思われる。
(キエフのテレビ塔が攻撃された)
 このロシアの「誤算」をもたらしたのは何だろうか。まずはゼレンスキー大統領の求心力が回復したことが最大の理由だと考えられる。アメリカは亡命を勧めたとも言うが、仮にゼレンスキー大統領が国外に脱出していたら、アフガニスタンのガニ政権のように簡単に崩壊していた可能性もある。ゼレンスキー大統領の政治的手腕には今まで疑問も多かったが、今回の戦時指導で国民の支持率は91%と伝えられる。毎日のように「自撮り映像」を投稿し、首都に止まっていることを発信している。
(ゼレンスキー大統領)
 上の画像の背景の建物は「怪物屋敷」と呼ばれるウクライナ大統領公邸だという。もともと1901、02年に建てられた高級マンションで、「キエフのガウディ」と呼ばれたポーランド人建築家が設計し、イタリア人彫刻家が怪物の彫刻を施した。ウィキペディアに日本語で「怪物屋敷」の項目があるぐらいだから、ウクライナではほとんどの人が知っているんじゃないか。紛れもなく首都で呼びかけている事が伝わるから、軍の士気も高まるはずである。

 ウクライナ軍の実情はよく知らないが、2014年のクリミア事態以後、NATO諸国の援助を受けてかなり増強されてきたとも言う。「祖国防衛」だから士気も高いと伝えられる。一方、ロシア軍は演習と言われて、そのままウクライナで実戦に巻き込まれた若者が多く、士気も今ひとつだという話だ。補給線も途絶えて「略奪」も起こっているらしい。ウクライナ側もそれなりに準備してきて、主要道路の橋を爆破してロシア軍戦車を通さないようにしていると言う。「と言う」「らしい」としか僕には書けないが、ウクライナ軍が健闘しているのは確かだろう。もっともロシア軍の方が圧倒的に多いので、このままではいずれ数日中にキエフも制圧されるという見通しもある。東部にある第二都市ハリコフも攻撃を受けている。南部の黒海沿いからも侵攻を受けていて、少しずつウクライナの都市が陥落したという報道が多くなってきた。
(ハリコフの状況)
 この間、ウクライナへは世界中で同情が高まっている。戦闘はウクライナで起こっていて、ロシアで起こっているわけではない。ウクライナ軍がロシアに攻め入ったのではなく、ロシア軍がウクライナに攻め入ったのである。民間人の被害も増大している。ロシアは軍事施設しか攻撃していないと言っているが、信じることは出来ない。それを信じろと言うのなら、ロシア軍への報道機関の従軍を認めるべきである。ロシア側から自由に報道出来ないのだから、信じろと言われても無理である。ロシア軍は残虐兵器を使用したとか、病院や学校を砲撃したという報道もある。食料や医療品が不足して来ているとも言われる。

 ロシア軍の車列に身を投げ出して進行を妨害するウクライナの人々。それを見て、ヨーロッパでも支援の動きが広がるだろう。すでに武器の援助、特にミサイルや軍用機も支援が始まっている。しかし、それをどのように運搬するのだろうか。ウクライナ戦争が東ヨーロッパに波及する可能性も考えて置くべきだろう。またキエフに対する食料空輸なども検討するべきだ。もっともロシア軍に撃墜される可能性があるから、ウクライナ上空の制空権を確保する必要がある。キエフを直接支援出来るルート(陸上でも)を確保するように、周辺諸国もうごくのではないか。日中戦争における「援蒋ルート」のようなものである。

 ロシア軍侵攻に対してNATO軍の介入はしない方針ではあるが、正規軍は出さないにしても様々な支援は行われると思う。フランスやドイツも何とか戦争を止めようと首脳外交を繰り広げていたが、結果的に嘘をつかれた形になって怒っているという。どのような形になるかは現時点では見通せないが、1956年のハンガリー1968年のチェコスロヴァキアのようにウクライナを見殺しにしてはならないという声がヨーロッパで高まることが考えられる。そうなると、現在何をするか判らないプーチンが核兵器を使用する可能性もある。第二次世界大戦後、最大の危機にあると思って警戒しなければいけない。

 日本はロシアに「満州事変の愚」を伝えなければいけないと思う。リットン調査団報告の採択をめぐって、国際連盟総会で日本だけが反対した。(棄権はタイだけ。)それに対して、日本の松岡洋右代表は連盟脱退を告げて、帰国時には英雄扱いされた。しかし、それこそが日本の暗黒時代の始まりであり、国と国民を存亡の淵に追いやった。ロシアも国連安保理におけるウクライナ問題の決議案で孤立した。棄権が中国、インド、アラブ首長国連邦の3ヶ国だった。何でインド、UAEが棄権したのか、よく判らないけれど。ロシアの反対は「拒否権」になるから、決議案は否決になる。しかし、自国しか反対票がなかったのは、かつての日本と同じである。世界がこれほど反対しているのは、それなりの理由があると判断しなければならない。そうでなければ、かつての日本のように国を危うくするのだとロシアに伝えるのは、日本人の歴史に対する責任だと考える。
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死刑冤罪の哀しみ、イラン映画「白い牛のバラッド」

2022年03月01日 22時40分42秒 |  〃  (新作外国映画)
 イランの「白い牛のバラッド」という映画が上映されている。2021年のベルリン映画祭で評判になった映画だが、テーマが「死刑冤罪」なのだから凄い。イラン映画はかつてアッバス・キアロスタミらの巨匠が素晴らしい作品をたくさん作った。近年は検閲が厳しくなって、なかなか映画祭でも上映されない。アカデミー外国語映画賞を2回(「別離」「セールスマン」)受賞したアスガー・ファルハディが一人気を吐く状態が続いていたが、最近社会派の監督が続々と登場し始めていて要注目だ。

 「白い牛のバラッド」はベタシュ・サナイハマリヤム・モガッダムの二人が共同で脚本、監督にクレジットされている。共同監督はドキュメント作品に続いて2作目。さらに女優でもあるマリヤム・モガッダムは主演もしていて、大変豊かな才能をうかがわせる。世界的な女性監督の活躍がイランでも見られることが素晴らしいと思う。イラン事情も様々に描かれているが、国内では結局公開が禁止されたという。監督たちは配信映画の時代に、検閲を意識してテーマで妥協することをあまり気にしていないらしい。

 主人公のミナマリヤム・モガッダム)はテヘランの牛乳工場で働くシングルマザーである。さらに耳が聞こえない娘ビタを抱えて苦しい生活を送っている。1年前に夫のババクを死刑で失い、今もなお喪服をまとっている。そんなミナがある日裁判所に呼び出され、夫が実は無実だったことが判ったと告げられる。証人が二人いたため有罪が認定されたが、その二人の利害が対立して片方が真実を告げたのだという。事件や裁判は全く描かれないので細かくは判らないけれど、ババクも全くの無関係ではなく被害者ともめていて、その中で陥れられたということらしい。
(主人公ミナ)
 そう言われても、今さら夫は帰ってこない。賠償金は出ると言われるが、納得できないミナは裁判所の正式な謝罪を求める。夫の父親は孫の親権を求めていて、一緒に暮らそうと夫の弟が何度も現れるがミナは断り続けている。そんな中で夫の旧友というレザが現れ、昔の借金があったので返すという。レザが来たことを大家に見られて、知らない男を家に上げたと非難され出ていくように言われるが、たまたまレザとあって都合のいい物件を紹介される。引っ越しの手伝いなどをするうちに、ミナ親子は次第にレザと親しくなっていくのだが…。後半はこのレザという男は何者なのかをめぐって進行する。
(左からレザ、ビタ、ミナ)
 合間合間に裁判所内部の事情も描かれるが、証人二人で有罪認定というのはもともとコーランにある考えらしい。だから、有罪を下した判断は「やむを得ない間違い」であって、それも「神の計らい」とされるらしい。イスラム体制下のイランでは、裁判所の決定は宗教的権威を持っているのではないかと思う。イランは中国に次いで死刑執行数が多い国だが、死刑制度も宗教的に公認されているようだ。だから、この映画でも冤罪の苦しみは強烈に描かれているが、死刑制度そのものを告発する考え方は見られない。そこで、制度をめぐる討論にはなっていかず、ミナをめぐる感情の揺れを描くメロドラマになっていくのがちょっと残念。
(白い牛のイメージ)
 題名がよく判らないが、冒頭とラストに拘置所の庭に白い牛がいる映像が出て来る。何らかの宗教的なシンボルかと思うが、説明されないので不明である。ミナが働く牛乳工場は近代的な設備が整っているし、レザだけではなくミナも車を運転する。制裁下にありながら、それなりに発展している感じもあるが、随所随所にイスラム体制の現実も描かれる。イスラムでは歓迎されない犬を飼っている家も出て来る。ミナもペットだから可愛いと言っている。家ではビタがいつも大きなテレビで映画のDVDを見ている。ミナを演じるマリヤム・モガッダムは実に見事に繊細な感情を演じていて、脚本、監督も兼ねるのだから見事なものだ。スカーフを取って、口紅を塗るシーンなどとても感心した。イラン事情も考えさせる映画だった。
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