お盆休み、ですね。 それから山の日、ですね。
でも我が家はまったくの通常モードです(きょうも仕事場へ出かけた者約一名)。 わたしも休めな~~い。。
***
先月、 不忍池のことを書いた時、 横山大観、和田三造、 谷崎潤一郎という二大画伯+大作家というお三方の対談集 『鼎談 餐 』(1983年)という本があるということを書きました(>>) あれから早速、読みました。
昭和23年に、熱海の大観荘という旅館で行われた、酒肴を楽しみながらの芸術談義の記録です。 でも、本になったのは昭和58年、ですよね、、 大観先生はこの対談から十年後に亡くなられ、 和田画伯は昭和42年に、 一番若い谷崎先生も昭和40年に、 みなこの世を去られてからの本の出版、ということらしいです。
というのも、 お三方が「存命中はなるべくこの記録を世に出さぬように」と言われたそうで、、(笑)
お酒を召し上がりながらのくだけた対談でもあり、 大観先生のお人柄ゆえか、 ご自身のこと、交遊のあった方のこと、 率直な思い出話を誘われるままいろいろと語っていらして、、 (決して問題のある話ではないとは思うのですが) そんなこんなの配慮があって のちの出版、ということになったのでしょう。
このとき大観先生81歳と仰ってますが、 谷崎先生もすでに大作家でしょうけれどすっかり聞き役にまわって、 大観先生の数々の思い出などを興味深く聞いている、という感じです。
前回ちょっと知りたいなと思った、 大観先生と菱田春草との若き日のインド、アメリカ訪問の様子も、 大観先生の楽しい語り口で読むことができたし、 漱石とは同い年の大観先生、 交流もわりとあって 漱石の印象なども語っています。 今まで 大観先生の略歴など殆んど知らないでいたけれど、 美術を学ぶ前に英語を学んでいらして語学は達者だったのですね、、 タゴール来日時に大観先生のご自宅に3カ月も滞在した話も面白かったし、 何よりアメリカで春草と美術展をひらいてお金をこしらえるべく奔走する話は、もっと知りたいなぁ、、と思って、、 今度は雑誌「太陽」なども入手して見ています。
***
対談の中で、 とても印象に残ったのは… 「富士山」に対する大観先生の言葉。。 大観先生が富士を好んで描くのは知ってはいましたが、、
「写実だけでは富士は描けない」と。。 ある人(本には名前も)に「富士なんか俗だ」と言われたそうです。 それで、、
「魂のない学者では駄目だ。 大体あの富士山を文字で表わすと、 心という字が出来る。
(といいつつ指先で卓上に酒のしづくで大きく描いて見せられる)
この箇所に感動してしまいました。。 大観先生、 よく富士の裾野を右に大きくとって、 そこに朱の太陽や、 薄靄の満月や、 描いたものがありますよね、、 あの形、、「心」だったんだ… と。
そして 「すべて芸術は無窮を追う姿に他なりません」と。
お酒を召し上がって楽しいお話をしていても、 芸術に対する自分の思い、 絵画に対する信念を語られるときには、 まるで画学生のような熱い口調になって、、。 決して偉ぶらず、尊大な様子もなく、 81歳にしてこうした純粋さが言葉の端々に感じられて それがすごく印象的でした。
***
でも、、 大観先生、、 ちょうど春草と渡航していた明治35年ごろからのしばらくは とても辛いことが重なっていたのでした。 奥さまも外遊の留守中に亡くされて、 まだ小さいお子さんも外国滞在中に亡くされて、、 お父さんも、妹も、、 そしてともに苦労した友、春草も明治44年に、、 たいせつな人を次々に亡くされて、、 たくさん悲しい経験をされたのでしょうけれども
(対談の中ではそういうお話はされていません。あとから年譜などで知ったものです)
対談は、、 楽しいお話ばかりで 最後に大観先生のご長寿にあやかって乾杯でおひらき。。 いいお話でした。
(和田画伯、 谷崎先生のこと、、書いていませんが、 『春琴抄』の絵物語という雑誌掲載があったらしく、 それを和田画伯が描いた話など、、 大観先生よりは少なめですが語られています)
***
今年の春、 野間美術館で大観先生の鶴を見たとき、 鶴の顔がいわさきちひろ、、って書きましたけど(>>) 大観先生の描く動物や童子の眼って可愛いんですよ。 かわいいというか、 優しい、、
漱石が文展を見に行って、「気の利いた様な間の抜けた様な趣」と評した、 大観先生の「瀟湘八景」はこちら>>
この中の、雁が飛んでいる画を漱石が、、「蚊のやうにとんでゐる」、、って(笑) たしかに雁というより蚊、なんですけど、、(笑・ちゃんと他の部分では褒めています)
別冊太陽に、 漱石が大観先生に贈った漢詩の書(掛け軸)を床の間に飾って、 そこで描いている写真が載っているのですが、 その書は戦災で焼けてしまったのですって。。。
漱石先生も もう少し長生きされたら、 きっと大観先生の鷹揚なお人柄とはとてもウマが合って きっと良い交流がつづいたでしょうに、、、 と思うのでした。
***
立秋も過ぎ、、 今日は涼しい朝でした。
今朝は曇っていましたが 朝、 美しい夏雲を見るとそれだけで気持ちも高まります。 この部屋から見た この夏の空を…
楽しい夏休みをお過ごしください。。
でも我が家はまったくの通常モードです(きょうも仕事場へ出かけた者約一名)。 わたしも休めな~~い。。
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先月、 不忍池のことを書いた時、 横山大観、和田三造、 谷崎潤一郎という二大画伯+大作家というお三方の対談集 『鼎談 餐 』(1983年)という本があるということを書きました(>>) あれから早速、読みました。
昭和23年に、熱海の大観荘という旅館で行われた、酒肴を楽しみながらの芸術談義の記録です。 でも、本になったのは昭和58年、ですよね、、 大観先生はこの対談から十年後に亡くなられ、 和田画伯は昭和42年に、 一番若い谷崎先生も昭和40年に、 みなこの世を去られてからの本の出版、ということらしいです。
というのも、 お三方が「存命中はなるべくこの記録を世に出さぬように」と言われたそうで、、(笑)
お酒を召し上がりながらのくだけた対談でもあり、 大観先生のお人柄ゆえか、 ご自身のこと、交遊のあった方のこと、 率直な思い出話を誘われるままいろいろと語っていらして、、 (決して問題のある話ではないとは思うのですが) そんなこんなの配慮があって のちの出版、ということになったのでしょう。
このとき大観先生81歳と仰ってますが、 谷崎先生もすでに大作家でしょうけれどすっかり聞き役にまわって、 大観先生の数々の思い出などを興味深く聞いている、という感じです。
前回ちょっと知りたいなと思った、 大観先生と菱田春草との若き日のインド、アメリカ訪問の様子も、 大観先生の楽しい語り口で読むことができたし、 漱石とは同い年の大観先生、 交流もわりとあって 漱石の印象なども語っています。 今まで 大観先生の略歴など殆んど知らないでいたけれど、 美術を学ぶ前に英語を学んでいらして語学は達者だったのですね、、 タゴール来日時に大観先生のご自宅に3カ月も滞在した話も面白かったし、 何よりアメリカで春草と美術展をひらいてお金をこしらえるべく奔走する話は、もっと知りたいなぁ、、と思って、、 今度は雑誌「太陽」なども入手して見ています。
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対談の中で、 とても印象に残ったのは… 「富士山」に対する大観先生の言葉。。 大観先生が富士を好んで描くのは知ってはいましたが、、
「写実だけでは富士は描けない」と。。 ある人(本には名前も)に「富士なんか俗だ」と言われたそうです。 それで、、
「魂のない学者では駄目だ。 大体あの富士山を文字で表わすと、 心という字が出来る。
(といいつつ指先で卓上に酒のしづくで大きく描いて見せられる)
この箇所に感動してしまいました。。 大観先生、 よく富士の裾野を右に大きくとって、 そこに朱の太陽や、 薄靄の満月や、 描いたものがありますよね、、 あの形、、「心」だったんだ… と。
そして 「すべて芸術は無窮を追う姿に他なりません」と。
お酒を召し上がって楽しいお話をしていても、 芸術に対する自分の思い、 絵画に対する信念を語られるときには、 まるで画学生のような熱い口調になって、、。 決して偉ぶらず、尊大な様子もなく、 81歳にしてこうした純粋さが言葉の端々に感じられて それがすごく印象的でした。
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でも、、 大観先生、、 ちょうど春草と渡航していた明治35年ごろからのしばらくは とても辛いことが重なっていたのでした。 奥さまも外遊の留守中に亡くされて、 まだ小さいお子さんも外国滞在中に亡くされて、、 お父さんも、妹も、、 そしてともに苦労した友、春草も明治44年に、、 たいせつな人を次々に亡くされて、、 たくさん悲しい経験をされたのでしょうけれども
(対談の中ではそういうお話はされていません。あとから年譜などで知ったものです)
対談は、、 楽しいお話ばかりで 最後に大観先生のご長寿にあやかって乾杯でおひらき。。 いいお話でした。
(和田画伯、 谷崎先生のこと、、書いていませんが、 『春琴抄』の絵物語という雑誌掲載があったらしく、 それを和田画伯が描いた話など、、 大観先生よりは少なめですが語られています)
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今年の春、 野間美術館で大観先生の鶴を見たとき、 鶴の顔がいわさきちひろ、、って書きましたけど(>>) 大観先生の描く動物や童子の眼って可愛いんですよ。 かわいいというか、 優しい、、
漱石が文展を見に行って、「気の利いた様な間の抜けた様な趣」と評した、 大観先生の「瀟湘八景」はこちら>>
この中の、雁が飛んでいる画を漱石が、、「蚊のやうにとんでゐる」、、って(笑) たしかに雁というより蚊、なんですけど、、(笑・ちゃんと他の部分では褒めています)
別冊太陽に、 漱石が大観先生に贈った漢詩の書(掛け軸)を床の間に飾って、 そこで描いている写真が載っているのですが、 その書は戦災で焼けてしまったのですって。。。
漱石先生も もう少し長生きされたら、 きっと大観先生の鷹揚なお人柄とはとてもウマが合って きっと良い交流がつづいたでしょうに、、、 と思うのでした。
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立秋も過ぎ、、 今日は涼しい朝でした。
今朝は曇っていましたが 朝、 美しい夏雲を見るとそれだけで気持ちも高まります。 この部屋から見た この夏の空を…
楽しい夏休みをお過ごしください。。