涙が凍るほどの厳しい寒さを経験したことがあるだろうか…
その寒さの中で泣きながら歩いたことはあっただろうか…
頬の涙が凍り、 なおも溢れ出てくる涙の熱さに気づいたことなど……
、、おそらく 無い。。 凍える寒さ、 睫毛や鼻の中が凍ってしまうような寒さは子供の頃によく経験したから、 寒さというものについては解る、、 けど、 その中を(しかも夜だと思う) 涙を凍らせながら歩いた記憶など、、 たぶん無いです。。
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第三曲の詩をまず読んで 旅人の涙とわが身を振り返っての《涙》を思い出しながら、 旅人の感情の強さに 少し動揺して本文を読み始めると、、
ボストリッジさんはまったく違う観点から話を進めていきました。
ナポレオンのロシア侵攻の時代について、、 シューベルトが生きたオーストリアの「ビーダーマイヤー」と呼ばれた時代の空気について、、 そして帝政ドイツからナチス政権崩壊の戦争の時代のこと、、
、、わたしの苦手な(無知な)世界史の分野、、 なぜ「冬の旅」の歌曲の考察のなかでヨーロッパ史を説いていらっしゃるのか、、
「冬の旅」が この《歴史》の中でつくられ、 こうした歴史のなかでどのように歌われ、 人々の間にひろまり、 そして第二次大戦のさなか どのような場所でどのようにこの歌曲が歌われたり録音されたりしてきたか…
、、 歴史に無知ながらも文章を読んでいくうちに、 第1章で女性の家を出ていく《愛》の物語としての「冬の旅」だと 私がそのようにしか認識していなかったこの歌が、 時代とその状況のもとでは、 厳寒の《戦地》への旅を慰め、 あるいは鼓舞する、 兵士の思いと旅人とを重ね合わせる、、 そのような意味でも存在したことがあったのだと、、
、、そうすると 最初に読んだ凍った涙、 溢れ出る熱い涙、という《涙》の意味もまた違ってくるのです。。
ボストリッジさんは《涙》の意味を語るために 近代の戦争にまつわる歴史を紐解いていらしたわけです。。 第3曲を聴き直してみると、、 凍った旅路を熱い涙で溶かそうとするかのように歩みを進める旅人のリズムは、 マーチのような、 行軍のようなリズムにも聞こえます。
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《涙活》という最近の言葉がありますね。。 涙を思いきり流すことでストレス解消になったり、 心によい影響を与えるとか、、。 私も先日「ボヘミアン・ラプソディ」でぼろ泣きしてきたばかりですし… 泣くことはちっとも悪いことだとは思いません、、
、、が、 感情を人前で迸らせることが 文学や芸術の上で称揚される考えと 抑制をよしとする考えとがあることは私もわかります。 明治期、 西洋の近代文学が日本に入ってきた時代に起こった「明治ロマン主義」や「明星」などの新体詩で詠いあげられた抒情、、
明治ロマン主義の代表的な雑誌「文学界」の若者たちがこぞって読んだのが、 ゲーテの『若きウェルテルの悩み』、、 みな自分をウェルテルになぞらえて悲恋や悲劇の主人公になったような熱情にかられていたことは、 同人だった戸川秋骨先生の著書でも読みました。
漱石は『吾輩は猫である』の中で、 ヴァイオリンを弾く寒月さんを「ウェルテル君」と呼んだり、 新体詩をつくる新しい若者の「インスピレーション」を揶揄したりしていますね、、
「危険だね。水癲癇、人癲癇と癲癇にもいろいろ種類があるが君のはウェルテルだけあって、ヴァイオリン癲癇だ」
、、という迷亭の茶化しは、 そんな近代の新しい若者の《感情の迸り》を癲癇に象徴させて言っているわけですね、、
ボストリッジさんはもちろん、 日本のロマン主義や漱石のことなど書いていませんが、 バイロンの時代、 ビーダーマイヤーの抑制の時代、 そして戦意高揚の時代、、 と歴史のことを語り、 あるいはまた、 ロシア的、 ドイツ的、、というような民族的な気質についても思いを寄せながら、、 《涙》の意味について、 そして 「凍った涙」「その氷を溶かす熱い涙」をこぼしながら歩き続けるこの歌の旅人について 考察していきます。
この旅人は 厳寒の雪道を歩きながら こらえようとしてもこらえきれず どうしようもなく涙をこぼしているのでしょうか…?
それとも、 ふと気づくと涙を頬に凍らせていた自分、 さらにまだ熱い涙が溢れてくる自分を、、 もうひとりの冷静な自分が揶揄しながら 厳しく歩みを進めているのでしょうか…?
英国人のボストリッジさんは どのように歌うべきと考えていらっしゃるのでしょうか…
それは、、 本書で。。
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、、厳寒の地で 独り涙する…
いつか そんなときがくるような 気もする。。。