第4曲は不穏なピアノの震えではじまります。
本書第四章の初めでボストリッジさんは タイトルの「Erstarrung」という語義の説明をしています。 章の題は「凍結」ですが、 CDではタイトルは「かじかみ」となっていますし、 日本語のWikiでは「氷結」となっています、、
辞書翻訳をかければ、「凝固」「強直」「麻痺」「痺れ」「硬直」…などと出てきます。
詩の中にこの語は出てきませんので 凍り付いているもの、 硬直しているものは何であるか読み取らねばなりません、、 歌われているのは まだ緑だった季節に彼女と歩いた記憶、 そこが今は氷に閉ざされた地、、その凍結を自分の口づけで溶かしたいという熱望、 しかし……
ボストリッジさんは語義と 曲の旋律、 歌詞の音などから 第4曲に性的な欲望と抑圧を導き出します。 J・M・クッツェーの小説でシューベルトについて言及されている箇所などを引きながら…
それらを読みながら、 (え…? そこまで考えられるの?)と思ったりして、、 (内容をここに書くこともできませんし…)
でも、 詩や曲のリズムや音、、 そこからセクシャルな官能や高揚を想起させる効果は E・A・ポーの詩などにも表れます、、 ヴェルヴェット・アンダー・グラウンドの曲しかり、、 パティ・スミスの「Hoses(Land)」しかり、、 でも シューベルトで……
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そんな風に少々うろたえつつ もう一度 第1曲の「おやすみ」から聴き返してみました。 眠ったままの女性を残して家を去り、 嘲るような風見の軋みに追い立てられ、 凍った涙の頬にさらなる熱い涙を零しながらここまで歩いてきた男は、、 この第4曲で ついにいたたまれなくなって、 暖かだったありし日の彼女との思い出と面影を 氷の下から掻き出そうとするかのように大地に倒れ込み、喘ぐ姿が浮かんできます。。
不規則に何度も繰り返される 「Ich」という音は、 涙をしゃくりあげる音にも、 氷の大地に身を打ちつける男の呻きにも 聞こえます。。
Ich will den Boden küssen,
durchdringen Eis und Schnee
mit meinen heißen Tränen,
bis ich die Erde seh'.
こうした激情は、、 やはりロマン主義的な官能でしょう、、
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音楽を聴く時(私が聴くのは主にロックやポップスですが)、 作曲者やシンガーによる曲ごとのコメンタリーが観れたり 聴けたりするのは とてもとても嬉しいものです。。 新たな発見をしたり、 その想いに共感したり、、
、、だけど それに囚われてしまって(悪く言えば先入観を植え付けられてしまって) 言われたようにしか聴けなくなってしまうのでは… とたまに思うこともある。。 だから、 自分の耳や直感をいちばん大事にしたい、とは思ってる。。。
、、 ボストリッジさんの本書は(コメンタリーとして) あまりにも密度も情報量も濃い~~ので、 クラシックの歌曲をこんな風に読んで聴くのは初めてだし、 すごくわくわくもします、、 ただし それを理解して自分の感想にするのは 思いのほかとってもくたびれます、、。
、、 なので 一日一章には縛られないことにしますね、、 (不整脈でちゃうから…)
次章「菩提樹」はまた来週。。 明日はお休みします
週末はお天気が好さそうですね、、
、、 たまには のんびりして、ね…