星のひとかけ

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生への視点: 鴨居玲展と ロバート・ハインデル展

2015-07-19 | アートにまつわるあれこれ
この7月、 思いがけず二人の(ある意味)対照的な画家の回顧展を見ました。

先に見たのは

『没後30年 鴨居玲展 踊り候え』@東京ステーションギャラリー
(会期明日まで) 美術館サイト>>



ステーションギャラリーは改築前から好きな場所。 あの赤レンガの壁に囲まれたギャラリーで、 過去にバルテュスや ビュフェを観ました。

鴨居玲という方のことは殆ど知りませんでした。 絵は本かサイトで数点見たくらい。 、、上記サイトにも載っている 『私』という作品が、 クールベ(私の大好きな画家の筆頭)の『画家のアトリエ』と構図が同じで、、 それを意図している事は明らかなのに、絵の中のクールベがいつものように少しふんぞり返って 自慢げなのに対して、 『私』の中の鴨居さんは背を丸め、何かに怯えたように見える。 、、それは何故だろうと、、

鴨居玲展、、 観てみたいかな、、と思っていたところ、ある日たまたま帰宅してTVをつけたらBS日テレで鴨居玲展のことをやっていて、、 先に内容を見るのはどうかと思いつつ 見てしまいました。。(番組サイト>>

南米・パリ・スペイン・日本、、 転々としつつ、 そこで暮らす老人や酔っ払いといった人物を対象に描きながら、 何故かみな鴨居自身の〈顔〉になっている。 だからすべてが〈自画像〉に見える。

自画像を描き続ける画家って、、(想像するに、、)つねに「自分とは何?」という疑問を抱きつつ、 でもどうあがいても「自分という確信」が持てず、 だけど本当は自分そのものをあまねく理解してくれる「自分以外の誰か」を きっと永遠に求めている すごく淋しがりやなのではないかと。。 悪く言えば、 自分独りでは立ち続けられない甘えん坊(だから誰かに解って欲しくて自分を描き続ける)。。 プラトンの言う、 人間がもともとひとつだった、半分ずつに分かれた自分の〈片割れ〉を求め続けている、という〈愛〉の概念、、 それと似たものを感じました。

そして、 鴨居玲は末っ子で溺愛されて育ったらしいですが、 自分の兄が戦死し、 自分の近しい人の存在が突然、 奪われるようにこの世から消える〈死〉に出会ったがために、 死への恐怖が心に刻まれてしまった、、と。 
スペインなどで、 老婆や飲んだくれの土地の人間に惹かれたのも、 死など怖れることなく日常を謳歌して (いくらダメな酔っ払いだとしても)、 そうやって悠々と年齢を重ねて死んでいく、、 その単純でエネルギッシュな〈生〉に惹かれたからなのではないかしら、、

狂言のように鴨居は、何度も自殺未遂を繰り返したそうですが、 それもわざわざ「これから自殺する」と知人に告げたりして、、 本当は死が怖くてたまらないから、 自殺を企てて〈死〉を自分の手で翻弄することで、〈死〉に打ち勝ったような気持ちになっていたのではないかと思うのです、、

やがて日本に戻って定住し、 本来なら最も安定した暮らしになる筈なのに、 鴨居は描く対象物を失ってしまう。 そして、 新たな画題として裸婦画などに取り組むのだけれど、、 これが、、 全くもって生気が無い。 勿論、絵は巧みだし、描けているのだけれど、、

「こんなに味も素っ気も無い色気も何にも無い裸婦画を見たのは初めてだわ」と私が言うと、

「描いてて (こんなんやっても詰まんねぇなぁ)感がありありだよね」と友人。

結局、 追い詰められるように再び自画像の中に自己を求め続けて、 だがそんな時、 心筋梗塞に襲われ入院。。 いままで怖れていながら、 どこか弄んで遠のけていた〈死〉がとつぜん現実味を持って自分に迫る。 情けないとも言えるのだけど、 鴨居はやはり死が怖くて堪らなかったのだと思う、 逆に言えば生きていたくてしょうがなかったのだと思う。

最終的に彼は自死を選んでしまう。 それは心筋梗塞みたいに死が襲ってくるのが怖すぎて、死ぬくらいなら死んだ方がマシ、という矛盾しているけれど どうしようもなく一途な生への欲求だったのじゃないかな、、と想像する。。

絵の事を何にも書いてないけど、 絵と向き合いつつ考えていたことを書いてみました。 会場が若いカップルで一杯だったのも、 みんな「自分とは何」「生きる意味って何」というのを考えている真っ最中の若者だからなのかな、とも思いました。 鴨居さんは、、 苦しんだ人ではあったかもしれませんが、 きっと彼に接した人にとっては愛すべき男として心に刻まれた人だったのでは、、とも想像します。

 ***

昨日は、『没後10年 ロバート・ハインデル展 光と闇の中の踊り子たち』@横浜そごう美術館 (会期26日まで)美術館サイト>>



ハインデルの絵は、ネットやポスターで見た時は、 お洒落なリビングやカフェに飾るのが似合いそうな、 そんな美しいバレエダンサーのスケッチだな、、という印象だったのですが、、 現物を見て そんな軽々しいものではなく、 むしろ衝撃的で 印象がずっと深くなりました。

イラストレーターという経歴から始まるハインデルのスケッチは、 人物を描くにしても、 全部は描かずに、 顔と手の一部とか、 肩のラインが消えたままとか、 膝頭だけの脚とか、、 描いていない余白がとても多いのに、 はっとするほど対象物を的確に捉えていて、 躍動的な身体の実体・実感が伝わってきて、 デッサンの力と存在感の確かさにまず驚かされました。

バレリーナを描いた油彩では、 カンバスの生地と油絵具と、さらにその上にパステルで陰影やラインを描いていて、 油の質感や色の美しさに、 加えてパステルの透明感とイマジネーション、 その組み合わせにも感動。 油彩とパステルってこんなに合うのか、、と。 そして、 光や空気が透明感に満ちて、その中で躍動するダンサーの肉体の生命力、、 ハインデルがダンサー達を見て感動したように、 見る者も身体の美しさ・力強さに感動、です。

こんなにも生命感に溢れているハインデルの絵ですが、 その発端には〈死〉があったこと。。 長男の死という喪失からハインデルは、 人間の命の力に希望を託すようにダンサーの肉体を描き、その力をもらい、そしてまた自己の絵画で人に力を与え、生の力を確かめ信じているように思えました。

私は見なかったけれど、「美の巨人たち」の番組でハインデルを取り上げたことがあったようです(番組サイト>>) 
長男の死を経て、 ハインデルが絵に託そうとした想い、 人間の生の力、、 人類への期待、、

、、鴨居玲は自ら命を絶ってしまいましたが、 ハインデルは肺気腫に冒されながら、 最後まで描き続けた生涯でした。

 ***

偶然にも 同時代の二人の画家、 それも人間と向き合い、 人間を描く画家ふたりを観た訳ですが、 とても対照的な描き方です。 でも、 闇も、 光も、 どちらにも美しさはある。 鴨居玲展にも 〈踊り〉という語が入っているように、 人間を愛し求め、 生の力を求めることは、 両方の画家とも共通しているのかも、、 そう思います。

、、当初の予想外に圧倒的な力を持っていた ハインデルに私はより魅力を感じました。 鴨居玲にも忘れられない作品はたくさんあったけれど。。

ハインデルの実物の画の質感・透明感・強さ。。 またいつか見てみたいな。。。
 
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