昨日書いた 『今晩はテレーズ』につづいて、 今回はエルザ・トリオレが第二次大戦中に書いた『最初のほころびは二百フランかかる』についてです。
前作につづいて 何の知識もなく、 この変わったタイトルの小説についても 何も知らないまま読み始めました。 昨年11月に、この小説について一度書きましたが、 そのときに引用したのが 小説のいちばん最初の文章でした。 同じものをもう一度引用します。
この上もない大混乱だ。鉄道も、人の心も、食糧も…… 明日にはよくなるというのだろうか、冬にはなにかが変わるだろうか、あとひと月でけりがつくのか、それとも百年このままだろうか? 平和への期待はみんなの頭上に、剣のようにぶらさがっている……
(エルザ・トリオレ「最初のほころびは二百フランかかる」 広田正敏・ 訳 新日本出版社 1978年)
このページの終わりのほうには つぎの文章があります。
「上陸だと言っても、結局、大したことはないんじゃないかな?」と誰かが言った。六月になっていた。……
歴史に詳しい人なら、上記の部分を読んだだけで何を意味しているのかきっとお分りになるのかと思うのですが、 戦争史も、戦争映画も、ちっとも知らない私は、小説のほとんど最後まで読み終える頃まで、 何について書かれているのかろくにわからないまま読んでいました。
最後のほうになって、 記憶の奥の方から 《ノルマンディー上陸作戦?》ということばが浮かんできて、 それのことなのかな… と。 そうして Wikipedia (>>)でその日付などを見て、 あぁ…‼ と驚いたのでした。
…だが、そうは言っても、いろいろと曖昧な私設情報の中に紛れこんで、「最初のほころびは二百フランかかる!」という暗号が流されたのはありがたかった。ああ! この言葉はなぞなぞではなく、おとぼけでもなかった。…略… 外国語のスピーチに挿入されたフランス語さながらに。その意味はこうだ。「行動に移れ!」
上記は冒頭2ページ目の文ですが、これを読んでいた私にはまだ何もわかっていません。。 ノルマンディー上陸 といったら、写真でみたことのある あの巨大なホバークラフトみたいな船で兵士たちが海岸から上陸してくる、 それしか知りませんでしたし、 フランス国内でなにが起きていたかなど これまで想像したこともなかったのです。
この『最初のほころびは二百フランかかる』という小説は、 1944年の11月に書かれ、1945年度のゴンクール賞を受賞しました。 ドイツ占領から解放されたのは1944年8月。 そのころのフランス国内での文学活動や、 レジスタンスの文学については、 エルザ・トリオレのパートナーである ルイ・アラゴンの Wikipedia (>>)のほうに書かれていました。
前回書いた エルザ・トリオレの最初の小説『今晩はテレーズ』のなかで おもむろに描写され私が驚いた 巡視隊や警官隊の暴力、ファシズムの影… そこへ向けたエルザの眼は その後、 弾圧に抵抗する文学へと向かっていき、 第二次大戦中も地下出版の活動をつづけ、1944年のパリ解放とともにおそらく堰を切ったようにこの『最初のほころびは二百フランかかる』を仕上げ、発表したのでしょう。
レジスタンスの文学・・・ たしかに内容は《ノルマンディー上陸作戦》に向けて密かに行動を進める市民・農民らを描いているのですが、 まったく説明のない文章と短いセンテンスで、 いきなり酔っ払いの場面になったり、 とある農家の寝室が描かれたり、 いったい何がおこっているのか分らないまま読者を先へ読ませていくという手法は 先の『今晩はテレーズ』と同様で、その点がエルザ・トリオレの巧みさのひとつなのかもしれません。
翻訳が収められている『世界短篇名作選 フランス編2』では、 このエルザ・トリオレの作品の直前に 夫であるルイ・アラゴンの『一九四三年の告解者』という短編が載っているのですが、 (絶版なので少し内容を明かしてしまいますが) 或る教区の司祭がいつものように信者の告解を聞き終えたところに 警官とドイツ人がやって来る。教会に逃げ込んだ者を探しているという。司祭は懺悔室に見なれない男の足がのぞいているのに気づく・・・ さて司祭はどうするか。。 という なんというか非常に率直なレジスタンスの文学作品でした。
アラゴンの作品と比べると、 エルザの作品はとても分かりにくい小説ではあるものの、イマジネーションの広さ、場面展開の意外性、、 実際に起こった出来事を書いていながら事実の羅列に終始しない、 作家としての力量を感じます。
…空の物体は依然として宙をただよう。それが徐々に下降し、近づいてくる。頭の上にやってきた。みんなの頭を圧し潰しそうだ!…
…さあ、探し出さなくては。 …略… こっちへ走り、あっちへ走り、やっと蒼白く光る、くらげのようなその影が、くねくねとした巨大な形で地面に落ちている地点までたどりつく。…
…終った。コンテナーは全部からっぽになった。積み重ねてあるパラシュートを分配する。…略… 明るいところで見ると、変なものだ。全部が全部、白いわけではない。薄い緑色のや、ピンクのもある……絹のすばらしいブラウスやドレスになるだろう。タオル地なら、布巾類になるだろう。それらは、チョコレートやたばこも含めて、協力者たちへの景品なのだ。
少し長い引用をしてしまいましたが、エルザの短文による映像表現の巧さや、 レジスタンスの市民らの様子を女性ならでは視点で切り取っているのがよくわかります。
占領から解放された直後にこれを読んだら フランスの人々はきっと涙してしまいそうです。 ゴンクール賞をとったのも成程、と思いました。
ところで、、 ノルマンディー上陸作戦の《暗号》は、 ウィキによるとヴェルレーヌの詩「秋の日のヴィオロンのためいきの…」 が使われたそうなのですが、エルザが書いている「最初のほころびは二百フランかかる」というのが どこかで使われた暗号なのかどうなのかは ちょっと調べたもののよく判りませんでした。 もし本当だったら、「秋の日の…」よりもセンスの良い暗号だと思いませんか?
…だから、もう言わないことだ。「われわれは弱すぎる。武器がない。黙って皆殺しになるしかない」などと。それは間違っている。…略… 無抵抗は戦争を長びかせ、もっと血を流すことになるだけだ。めいめいが自分なりにレジスタンスを支援していただきたい。その手段がどんなささやかなものでもいい。つまらぬ任務などは存在しない。…
本文中の 家々に撒かれたレジスタンスのビラの文言の一部です。 エルザ・トリオレの小説から80年後の今、 これを読んでいるということがとてもつらいです。
なぜこんな戦争が起きるのだろう…という戦争が起きていることが 今、とてもむなしいです。
エルザ・トリオレの 『最初のほころびは二百フランかかる』について、 現在読もうとしてもなかなか読めませんし、 この作品について検索しても殆んど何も出てきません。 世界がずっと平和なら、忘れられてしまっても良かったかもしれませんが、、 残念ながら世界はそうではありません。
私はこの作品の内容をまったく知らずに読み始めたので、 最初に書いたように何の事を書いているのかちっともわからず、、 そして読み終えて、 それから現実の今に戻って、、 悲しい溜息がでる思いでした。 その想いが多少なり伝われば… と、たくさんの引用をしてみました。
エルザ・トリオレ「最初のほころびは二百フランかかる」 広田正敏・ 訳 『世界短篇名作選 フランス編2』 新日本出版社 1978年
エルザ・トリオレの この15年後の作品『ルナ=パーク』については またの機会に。。
前作につづいて 何の知識もなく、 この変わったタイトルの小説についても 何も知らないまま読み始めました。 昨年11月に、この小説について一度書きましたが、 そのときに引用したのが 小説のいちばん最初の文章でした。 同じものをもう一度引用します。
この上もない大混乱だ。鉄道も、人の心も、食糧も…… 明日にはよくなるというのだろうか、冬にはなにかが変わるだろうか、あとひと月でけりがつくのか、それとも百年このままだろうか? 平和への期待はみんなの頭上に、剣のようにぶらさがっている……
(エルザ・トリオレ「最初のほころびは二百フランかかる」 広田正敏・ 訳 新日本出版社 1978年)
このページの終わりのほうには つぎの文章があります。
「上陸だと言っても、結局、大したことはないんじゃないかな?」と誰かが言った。六月になっていた。……
歴史に詳しい人なら、上記の部分を読んだだけで何を意味しているのかきっとお分りになるのかと思うのですが、 戦争史も、戦争映画も、ちっとも知らない私は、小説のほとんど最後まで読み終える頃まで、 何について書かれているのかろくにわからないまま読んでいました。
最後のほうになって、 記憶の奥の方から 《ノルマンディー上陸作戦?》ということばが浮かんできて、 それのことなのかな… と。 そうして Wikipedia (>>)でその日付などを見て、 あぁ…‼ と驚いたのでした。
…だが、そうは言っても、いろいろと曖昧な私設情報の中に紛れこんで、「最初のほころびは二百フランかかる!」という暗号が流されたのはありがたかった。ああ! この言葉はなぞなぞではなく、おとぼけでもなかった。…略… 外国語のスピーチに挿入されたフランス語さながらに。その意味はこうだ。「行動に移れ!」
上記は冒頭2ページ目の文ですが、これを読んでいた私にはまだ何もわかっていません。。 ノルマンディー上陸 といったら、写真でみたことのある あの巨大なホバークラフトみたいな船で兵士たちが海岸から上陸してくる、 それしか知りませんでしたし、 フランス国内でなにが起きていたかなど これまで想像したこともなかったのです。
この『最初のほころびは二百フランかかる』という小説は、 1944年の11月に書かれ、1945年度のゴンクール賞を受賞しました。 ドイツ占領から解放されたのは1944年8月。 そのころのフランス国内での文学活動や、 レジスタンスの文学については、 エルザ・トリオレのパートナーである ルイ・アラゴンの Wikipedia (>>)のほうに書かれていました。
前回書いた エルザ・トリオレの最初の小説『今晩はテレーズ』のなかで おもむろに描写され私が驚いた 巡視隊や警官隊の暴力、ファシズムの影… そこへ向けたエルザの眼は その後、 弾圧に抵抗する文学へと向かっていき、 第二次大戦中も地下出版の活動をつづけ、1944年のパリ解放とともにおそらく堰を切ったようにこの『最初のほころびは二百フランかかる』を仕上げ、発表したのでしょう。
レジスタンスの文学・・・ たしかに内容は《ノルマンディー上陸作戦》に向けて密かに行動を進める市民・農民らを描いているのですが、 まったく説明のない文章と短いセンテンスで、 いきなり酔っ払いの場面になったり、 とある農家の寝室が描かれたり、 いったい何がおこっているのか分らないまま読者を先へ読ませていくという手法は 先の『今晩はテレーズ』と同様で、その点がエルザ・トリオレの巧みさのひとつなのかもしれません。
翻訳が収められている『世界短篇名作選 フランス編2』では、 このエルザ・トリオレの作品の直前に 夫であるルイ・アラゴンの『一九四三年の告解者』という短編が載っているのですが、 (絶版なので少し内容を明かしてしまいますが) 或る教区の司祭がいつものように信者の告解を聞き終えたところに 警官とドイツ人がやって来る。教会に逃げ込んだ者を探しているという。司祭は懺悔室に見なれない男の足がのぞいているのに気づく・・・ さて司祭はどうするか。。 という なんというか非常に率直なレジスタンスの文学作品でした。
アラゴンの作品と比べると、 エルザの作品はとても分かりにくい小説ではあるものの、イマジネーションの広さ、場面展開の意外性、、 実際に起こった出来事を書いていながら事実の羅列に終始しない、 作家としての力量を感じます。
…空の物体は依然として宙をただよう。それが徐々に下降し、近づいてくる。頭の上にやってきた。みんなの頭を圧し潰しそうだ!…
…さあ、探し出さなくては。 …略… こっちへ走り、あっちへ走り、やっと蒼白く光る、くらげのようなその影が、くねくねとした巨大な形で地面に落ちている地点までたどりつく。…
…終った。コンテナーは全部からっぽになった。積み重ねてあるパラシュートを分配する。…略… 明るいところで見ると、変なものだ。全部が全部、白いわけではない。薄い緑色のや、ピンクのもある……絹のすばらしいブラウスやドレスになるだろう。タオル地なら、布巾類になるだろう。それらは、チョコレートやたばこも含めて、協力者たちへの景品なのだ。
少し長い引用をしてしまいましたが、エルザの短文による映像表現の巧さや、 レジスタンスの市民らの様子を女性ならでは視点で切り取っているのがよくわかります。
占領から解放された直後にこれを読んだら フランスの人々はきっと涙してしまいそうです。 ゴンクール賞をとったのも成程、と思いました。
ところで、、 ノルマンディー上陸作戦の《暗号》は、 ウィキによるとヴェルレーヌの詩「秋の日のヴィオロンのためいきの…」 が使われたそうなのですが、エルザが書いている「最初のほころびは二百フランかかる」というのが どこかで使われた暗号なのかどうなのかは ちょっと調べたもののよく判りませんでした。 もし本当だったら、「秋の日の…」よりもセンスの良い暗号だと思いませんか?
…だから、もう言わないことだ。「われわれは弱すぎる。武器がない。黙って皆殺しになるしかない」などと。それは間違っている。…略… 無抵抗は戦争を長びかせ、もっと血を流すことになるだけだ。めいめいが自分なりにレジスタンスを支援していただきたい。その手段がどんなささやかなものでもいい。つまらぬ任務などは存在しない。…
本文中の 家々に撒かれたレジスタンスのビラの文言の一部です。 エルザ・トリオレの小説から80年後の今、 これを読んでいるということがとてもつらいです。
なぜこんな戦争が起きるのだろう…という戦争が起きていることが 今、とてもむなしいです。
エルザ・トリオレの 『最初のほころびは二百フランかかる』について、 現在読もうとしてもなかなか読めませんし、 この作品について検索しても殆んど何も出てきません。 世界がずっと平和なら、忘れられてしまっても良かったかもしれませんが、、 残念ながら世界はそうではありません。
私はこの作品の内容をまったく知らずに読み始めたので、 最初に書いたように何の事を書いているのかちっともわからず、、 そして読み終えて、 それから現実の今に戻って、、 悲しい溜息がでる思いでした。 その想いが多少なり伝われば… と、たくさんの引用をしてみました。
エルザ・トリオレ「最初のほころびは二百フランかかる」 広田正敏・ 訳 『世界短篇名作選 フランス編2』 新日本出版社 1978年
エルザ・トリオレの この15年後の作品『ルナ=パーク』については またの機会に。。