前々回に少し書きました イーディス・ウォートンの『無垢の時代』という小説を読んだ後、
とても心を揺さぶられるものがあり、 続けてイーディス・ウォートンの本『夏』と、 『イーサン・フローム』の二冊を読みました。 前々回に書いたときにはまだ『無垢の時代』の読み始めで、 1870年代の同時代の『続・若草物語』と較べてみたりしていますが、 こんなにもイーディス・ウォートンという女性作家の作品に心揺さぶられるとは思っていませんでした。
岩波文庫の『無垢の時代』は今年の6月出版。 彩流社の『夏』は昨年の10月出版、ということですから、 いまイーディス・ウォートン再評価の時期なのでしょうか。 大戦前のアメリカ文学しかも女性作家については殆んど知らないということにも気づき、 イーディス・ウォートンのこれら三冊をほんとうに興味深く読みました。
『イーサン・フローム』は95年に荒地出版社から出ていますが 入手困難なので図書館から借りました。 この作品も再出版されて多くの人が読めるようになればと思います。
『夏』イーディス・ウォートン著 山口ヨシ子、石井幸子・訳 彩流社 2022年
『イーサン・フローム』 宮本陽吉、貝瀬知花、小沢円・訳 荒地出版社 1995年
***
一体なぜ、 イーディス・ウォートン作品のどこに惹きつけられたのでしょう…
これら三作品は共に「ひとときの恋愛の物語」です。。 『無垢の時代』は映画(エイジ・オブ・イノセンス)にもなったNYの上流階級の社交界の物語。 『夏』はまったく違ってニューイングランドの忘れられたような小村の物語。 親を知らない複雑な出自の娘がたまたま村に滞在した都会人の青年に恋をする物語。
一方『イーサン・フローム』もまたニューイングランド辺境の村が舞台で、貧しい男の家庭の物語。
三作品とも予想外の(『夏』『イーサン・フローム』はとりわけ衝撃的な)結末をむかえる、という構成にも驚かされましたが、 その結末がもたらす余韻、、 その結末によって考え込まずにはいられない主人公のその後や、人生の意味というもの、、 自分の年齢のせいもあるのでしょうが、 ひとときの恋の行く末も興味深いテーマではあるけれども、 その恋が成就あるいは別離、 あるいは諦めなど、 燃え盛っていた焔を失ったあとも 人はそれぞれに生きていくのであり、、 物語の結末がもたらす主人公の生き様のほうに深く深く心が揺さぶられたのでした。
そして三作品とも、 主人公がみずからの置かれた境遇にあらがい、 (見つけた恋の力を得て) 新しい生き方、新しい夢を必死に追い求める その精神的葛藤の物語という点でも共通していました。
***
三作品のなかでも『イーサン・フローム』は最も悲痛な物語、と言って良いでしょうか…。 誰もが逃げ出したいと願うような貧しい村で 病身の妻と暮らす男の物語。
ストーリーを詳しく語るのはきょうは止します。 物語の冒頭ではイーサンが52歳になっているところから始まりますが、、 「人間の残骸」…と描写されているようなイーサンの、これまでの人生にさかのぼって物語は書かれていきます。
先に書いたように『イーサン・フローム』も「ひとときの恋愛の物語」であって、 その恋から24年後のイーサンは物語冒頭で52歳の「人間の残骸」と描写されている… 確かに絶望的な、衝撃的な物語なのだけれど、、 物語を読み終えてしばし呆然となったあとで、 もう一度最初の52歳になったイーサンを描いている箇所を読み返した時、 こう書かれているのに気づきました…
鎖に引かれるように一歩ごとにひっかかる足の不自由さにもかかわらず、屈託のない力づよい表情をしていたせいだ。
「屈託のない力づよい」… この部分を手掛かりに、 イーサンの「現在」を感じ取ってみようとすると、、。 悲劇と悲惨の人生を送ってきたイーサンの、、 矜持というのか、 屈してはいない精神というものが見えるような気がして…
作者はべつに物語が終わったあとの、イーサンのこのような「現在」を想像させようなんて意図はないのかもしれません。。 私がたんに物語の絶望ゆえに一筋の救いを見つけ出したいだけなのかも… でも、、
若き日、 イーサンは工業学校で研究を夢見る若者でした。。 その夢は家庭の不幸や貧困のなかで消え去ったけれども、、 (これも書かれてはいないけれど)、、 52歳のイーサンは 荷馬車で送り迎えをする雇い人の本、、 (雇い人が置き忘れた生化学の本)、、 あれをきっとイーサンは読んだだろう…。 もしかしたらそこからまた別の… もしかしたら…
作者イーディス・ウォートンは イーサン・フロームという男の悲劇的な人生の末路だけを描きたかったのではないかもしれない、、 そう想わせる余韻が、 ほかの作品 『無垢の時代』と『夏』にも共通して存在していて、、
人生はいっときの焔のようなものではなく
燃え尽きてしまったように見える灰色のなかにも 幽かな熱は存在していて、、
このあとも人生は続くのだと、、。
三作品を読み終えたあともずっと、、 そんなことを考えていました。。 まともな読書記にはなっていませんけれど、、 イーディス・ウォートンの三作品、 いろいろ考えさせてくれる良い読書でした。
世界情勢もいろいろなことも、、 しんどいことがいっぱいです。。
せめて自分を保って、、
とても心を揺さぶられるものがあり、 続けてイーディス・ウォートンの本『夏』と、 『イーサン・フローム』の二冊を読みました。 前々回に書いたときにはまだ『無垢の時代』の読み始めで、 1870年代の同時代の『続・若草物語』と較べてみたりしていますが、 こんなにもイーディス・ウォートンという女性作家の作品に心揺さぶられるとは思っていませんでした。
岩波文庫の『無垢の時代』は今年の6月出版。 彩流社の『夏』は昨年の10月出版、ということですから、 いまイーディス・ウォートン再評価の時期なのでしょうか。 大戦前のアメリカ文学しかも女性作家については殆んど知らないということにも気づき、 イーディス・ウォートンのこれら三冊をほんとうに興味深く読みました。
『イーサン・フローム』は95年に荒地出版社から出ていますが 入手困難なので図書館から借りました。 この作品も再出版されて多くの人が読めるようになればと思います。
『夏』イーディス・ウォートン著 山口ヨシ子、石井幸子・訳 彩流社 2022年
『イーサン・フローム』 宮本陽吉、貝瀬知花、小沢円・訳 荒地出版社 1995年
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一体なぜ、 イーディス・ウォートン作品のどこに惹きつけられたのでしょう…
これら三作品は共に「ひとときの恋愛の物語」です。。 『無垢の時代』は映画(エイジ・オブ・イノセンス)にもなったNYの上流階級の社交界の物語。 『夏』はまったく違ってニューイングランドの忘れられたような小村の物語。 親を知らない複雑な出自の娘がたまたま村に滞在した都会人の青年に恋をする物語。
一方『イーサン・フローム』もまたニューイングランド辺境の村が舞台で、貧しい男の家庭の物語。
三作品とも予想外の(『夏』『イーサン・フローム』はとりわけ衝撃的な)結末をむかえる、という構成にも驚かされましたが、 その結末がもたらす余韻、、 その結末によって考え込まずにはいられない主人公のその後や、人生の意味というもの、、 自分の年齢のせいもあるのでしょうが、 ひとときの恋の行く末も興味深いテーマではあるけれども、 その恋が成就あるいは別離、 あるいは諦めなど、 燃え盛っていた焔を失ったあとも 人はそれぞれに生きていくのであり、、 物語の結末がもたらす主人公の生き様のほうに深く深く心が揺さぶられたのでした。
そして三作品とも、 主人公がみずからの置かれた境遇にあらがい、 (見つけた恋の力を得て) 新しい生き方、新しい夢を必死に追い求める その精神的葛藤の物語という点でも共通していました。
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三作品のなかでも『イーサン・フローム』は最も悲痛な物語、と言って良いでしょうか…。 誰もが逃げ出したいと願うような貧しい村で 病身の妻と暮らす男の物語。
ストーリーを詳しく語るのはきょうは止します。 物語の冒頭ではイーサンが52歳になっているところから始まりますが、、 「人間の残骸」…と描写されているようなイーサンの、これまでの人生にさかのぼって物語は書かれていきます。
先に書いたように『イーサン・フローム』も「ひとときの恋愛の物語」であって、 その恋から24年後のイーサンは物語冒頭で52歳の「人間の残骸」と描写されている… 確かに絶望的な、衝撃的な物語なのだけれど、、 物語を読み終えてしばし呆然となったあとで、 もう一度最初の52歳になったイーサンを描いている箇所を読み返した時、 こう書かれているのに気づきました…
鎖に引かれるように一歩ごとにひっかかる足の不自由さにもかかわらず、屈託のない力づよい表情をしていたせいだ。
「屈託のない力づよい」… この部分を手掛かりに、 イーサンの「現在」を感じ取ってみようとすると、、。 悲劇と悲惨の人生を送ってきたイーサンの、、 矜持というのか、 屈してはいない精神というものが見えるような気がして…
作者はべつに物語が終わったあとの、イーサンのこのような「現在」を想像させようなんて意図はないのかもしれません。。 私がたんに物語の絶望ゆえに一筋の救いを見つけ出したいだけなのかも… でも、、
若き日、 イーサンは工業学校で研究を夢見る若者でした。。 その夢は家庭の不幸や貧困のなかで消え去ったけれども、、 (これも書かれてはいないけれど)、、 52歳のイーサンは 荷馬車で送り迎えをする雇い人の本、、 (雇い人が置き忘れた生化学の本)、、 あれをきっとイーサンは読んだだろう…。 もしかしたらそこからまた別の… もしかしたら…
作者イーディス・ウォートンは イーサン・フロームという男の悲劇的な人生の末路だけを描きたかったのではないかもしれない、、 そう想わせる余韻が、 ほかの作品 『無垢の時代』と『夏』にも共通して存在していて、、
人生はいっときの焔のようなものではなく
燃え尽きてしまったように見える灰色のなかにも 幽かな熱は存在していて、、
このあとも人生は続くのだと、、。
三作品を読み終えたあともずっと、、 そんなことを考えていました。。 まともな読書記にはなっていませんけれど、、 イーディス・ウォートンの三作品、 いろいろ考えさせてくれる良い読書でした。
世界情勢もいろいろなことも、、 しんどいことがいっぱいです。。
せめて自分を保って、、