5月になりました。 GWの中間 、、遠出もしないので 冬物のお片付けなどしています。
前回の日記に引用をあげた本、、 エイドリアン・マッキンティさんによる刑事ショーン・ダフィ・シリーズの読書は3冊目に入りました。
北アイルランドを舞台にした、 当時の政治や社会情勢、 それから当時のポピュラー音楽が事細かく物語に反映されている小説で、 第一作は舞台が1981年、 サッチャー政権下のベルファストではIRA暫定派の囚人たちのハンガーストライキが続いている。 第二作は82年、 フォークランド紛争が勃発、、 そんななかで北アイルランドでは毎日どこかで爆発や暴動や放火やテロが起きている。。 その日常が(ありえないような日常なのだけど) 地元で暮らしていた著者さんが書くのだから真に迫る、、
、、その1981年や82年の 極東の島国ではティーンエイジャーの私が生きていて、、 なんだか、、 パラレルワールドを生きているよう。。。
サッチャー首相やIRAやフォークランドや、 そんな同じ出来事が起こる時間に生きているのに、 まったく知らない別の世界がそこ(本)で動いている。。
毎朝 仕事に出かける前に、 爆弾が仕掛けられていないか車の下を覗き込むのが命を守るルーティンだなんて…。。
噛み合うのは音楽のネタが出てくるとこだけ…。。 でも、 主人公は81年当時で32歳くらいだから ずいぶんと年上。。 第二作で彼が聴くのは マーヴィン・ゲイやニック・ドレイクやヴェルヴェット・アンダーグラウンド、、 それから 《いい》ツェッペリン…笑
、、 いつブームタウンラッツやU2が出てくるだろうと思うのだけど出てこない。。 北では聴かれてなかったのかな… でもブロンディはお気に入りみたい…
***
GWに入って、 ハードボイルドの読書はひとやすみして、、 芸術新潮のバックナンバーを眺めています。 楳図かずおさんの特集号。
この春に開催されていた 楳図さんの「ZOKUーSHINGO」の美術展、、 見に行きたかったけれど行かれなかったので 雑誌でその制作の様子や 楳図さんのインタビューなど読んで 85歳で101枚の新作を描かれた凄さに感動しています。
、、と言っても 私、 楳図さんの『わたしは真悟』を知らないのです。 さきほどの話に繋がりますが、 『わたしは真悟』は82年から連載が始まったそう、、 同世代の友は読んでいたそうです、、『AKIRA』と一緒に、、って。 わたしは『AKIRA』だけ単行本化されてから…
ここでもパラレルワールドを感じます。。 自分の生きていた世界の ちょっと離れたところに、 楳図さんの『わたしは真悟』を読んで82年を生きていた君がいる。。
世界は一様ではないんだな、、と 今ごろあらためてそんな事を思っています。 世界という大きな樹があるとしたら、、 自分が生きてきた人生は 大きな幹のほんの細い面から見た世界で、、 裏側へ廻ってみればぜんぜん別の面が見える、、
近頃、、 年を重ねていくのもいいな、、と思えます。。 こうして、 小説のなかで 北アイルランドから見た自分の知らない80年代の世界を読んだり、、 楳図さんが80年代に 『わたしは真悟』を通して見ていた世界を 今から振り返ったり、、 そうすることで 別のパラレルワールドを知ることが出来るから。。
自分が生きていたあのとき、、 その時間のちょっと向こう側で あなたは、、 他の人は、、 こんなふうに生きていた、、と。
自分の生きていた時間のなかでは、 それなりに精一杯生きていたとしても やっぱり些細なことに気を取られて ちいさな身の周りで精一杯で、、 でも いろんなパラレルワールドを知ることで 同じ時間をなんども生き直すことが出来る。。 そう思うとなんだか面白い。
***
ゴールデンウイークの後半は お天気に恵まれそうですね。
よい時間をお過ごしください。
前回の日記に引用をあげた本、、 エイドリアン・マッキンティさんによる刑事ショーン・ダフィ・シリーズの読書は3冊目に入りました。
北アイルランドを舞台にした、 当時の政治や社会情勢、 それから当時のポピュラー音楽が事細かく物語に反映されている小説で、 第一作は舞台が1981年、 サッチャー政権下のベルファストではIRA暫定派の囚人たちのハンガーストライキが続いている。 第二作は82年、 フォークランド紛争が勃発、、 そんななかで北アイルランドでは毎日どこかで爆発や暴動や放火やテロが起きている。。 その日常が(ありえないような日常なのだけど) 地元で暮らしていた著者さんが書くのだから真に迫る、、
、、その1981年や82年の 極東の島国ではティーンエイジャーの私が生きていて、、 なんだか、、 パラレルワールドを生きているよう。。。
サッチャー首相やIRAやフォークランドや、 そんな同じ出来事が起こる時間に生きているのに、 まったく知らない別の世界がそこ(本)で動いている。。
毎朝 仕事に出かける前に、 爆弾が仕掛けられていないか車の下を覗き込むのが命を守るルーティンだなんて…。。
噛み合うのは音楽のネタが出てくるとこだけ…。。 でも、 主人公は81年当時で32歳くらいだから ずいぶんと年上。。 第二作で彼が聴くのは マーヴィン・ゲイやニック・ドレイクやヴェルヴェット・アンダーグラウンド、、 それから 《いい》ツェッペリン…笑
、、 いつブームタウンラッツやU2が出てくるだろうと思うのだけど出てこない。。 北では聴かれてなかったのかな… でもブロンディはお気に入りみたい…
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GWに入って、 ハードボイルドの読書はひとやすみして、、 芸術新潮のバックナンバーを眺めています。 楳図かずおさんの特集号。
この春に開催されていた 楳図さんの「ZOKUーSHINGO」の美術展、、 見に行きたかったけれど行かれなかったので 雑誌でその制作の様子や 楳図さんのインタビューなど読んで 85歳で101枚の新作を描かれた凄さに感動しています。
、、と言っても 私、 楳図さんの『わたしは真悟』を知らないのです。 さきほどの話に繋がりますが、 『わたしは真悟』は82年から連載が始まったそう、、 同世代の友は読んでいたそうです、、『AKIRA』と一緒に、、って。 わたしは『AKIRA』だけ単行本化されてから…
ここでもパラレルワールドを感じます。。 自分の生きていた世界の ちょっと離れたところに、 楳図さんの『わたしは真悟』を読んで82年を生きていた君がいる。。
世界は一様ではないんだな、、と 今ごろあらためてそんな事を思っています。 世界という大きな樹があるとしたら、、 自分が生きてきた人生は 大きな幹のほんの細い面から見た世界で、、 裏側へ廻ってみればぜんぜん別の面が見える、、
近頃、、 年を重ねていくのもいいな、、と思えます。。 こうして、 小説のなかで 北アイルランドから見た自分の知らない80年代の世界を読んだり、、 楳図さんが80年代に 『わたしは真悟』を通して見ていた世界を 今から振り返ったり、、 そうすることで 別のパラレルワールドを知ることが出来るから。。
自分が生きていたあのとき、、 その時間のちょっと向こう側で あなたは、、 他の人は、、 こんなふうに生きていた、、と。
自分の生きていた時間のなかでは、 それなりに精一杯生きていたとしても やっぱり些細なことに気を取られて ちいさな身の周りで精一杯で、、 でも いろんなパラレルワールドを知ることで 同じ時間をなんども生き直すことが出来る。。 そう思うとなんだか面白い。
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ゴールデンウイークの後半は お天気に恵まれそうですね。
よい時間をお過ごしください。