金曜日の「芸術劇場」で、ロンドンのドゥルーリー・レーン劇場が取り上げられるとTV欄にあったので、見てみた。ドゥルーリー・レーンといえば、夏目漱石研究者ならばピンと来る筈ですが、倫敦留学時代に漱石が「眠れる森の美女」を観た劇場です。 私もそんな興味で見てみたのですが、「ロード・オブ・ザ・リング」の模様を少しやっていて、巨大な舞台装置にさまざまな光の演出で(何十億円とかって言われてましたね)、、すご~い! 観てみたい~と思いました。。 伝統的に、ミュージカルを主とした劇場なのでしょうか。
漱石は、、といえば、、
夜田中氏トDrury Lane Theatre ニ至ル Sleeping Beauty ヲ見ン為ナリ
是ハ pantomime ニテ去年ノクリスマス頃ヨリ興行シ頗ル有名ノ者ナリ
其仕掛の大、装飾ノ美、舞台道具立ノ変幻窮リナクシテ、、、(略)
(明治34年3月7日の日記より)
、、と、そのきらびやかで美しい様子を、「極楽」のようだ、とか、「キーツ」や「シェリー」の詩の描写を具現したようだ、とか、、大満足して観たようです。日記の中で漱石は「パントマイム」と書いてますが、当時のパントマイムというのは今とは正反対で、歌や踊り、装飾も華やかで、巨大セットが上下するような、時代の最先端の視覚芸術だったようですね。。。 なるほど~、現在のドゥルーリー・レーン劇場のロード・オブ・ザ・リングなんかも、漱石大大好きのような、そんな気がします。なんたってファンタジー好き、アーサー王大好きの漱石ですから。。『三四郎』の中にも、広田先生が外国の劇場について、三四郎に話す場面がたしかありましたね、、。
***
と、、そんな矢先、、今度は、新宿区の「漱石公園」に、漱石が晩年を暮らした家「漱石山房」をもとにした「ベランダ回廊」が再現された、と朝日新聞の東京欄に載ってました。「漱石山房」については、前に一度書きました。あのバルコニー風の「回廊」がとっても私には興味があって、「どうして漱石はこんな南国趣味の家に住んだんだろう、、」って前にも書いてますが、、(>>)、、じつは、この「謎」には、私流の勝手な想像がありまして、、
あ、その前に、その「回廊」とは、、こういうものです。
こちらが再現された「回廊」
こちらが「漱石山房」
漱石は、スコットランドの作家、R・L・スティーヴンソンが大変好きでした。スティーヴンソンと言えば、『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』が有名で、日本では少年少女が読む方が多いですが、『彼岸過迄』の中でも書かれてますが、スティーヴンソンの『新アラビア夜話』を漱石は大変興味深く読んでいて、中でも「自殺クラブ」に出てくる青年貴族のように、大都市の深部へ潜入して、其処で起こるどこか異常な出来事を覗いて見たい、、というわけで、ああいう短篇連作のような作品になったのですね。『ジキル…』にも通じる話ですが、、。
こういういわゆる「人間の自我の危機」みたいな作品を書いたスティーヴンソンが、肺結核療養の為もあって外国を巡り、晩年は南洋のサモアで現地の人々に慕われながら暮らした、、というのも、なんだか不思議な興味深い話です。
、、、で、、、私は「漱石山房」の写真を見た時から、勝手に、「きっとこれはスティーヴンソンの南国の家をイメージしたのかも!」と思っておりました。でも、、この家はべつに漱石が設計したわけでもなく、貸家を見つけて気に入って住んだものらしいですが、でも、、大きな芭蕉の葉といい、バルコニー風の回廊といい、その南国っぽさが気に入ったのでは?と、思ったものです。
さっき、たまたま、Robert Louis Stevenson を検索したら、wikipedia にスティーヴンソンがNYで過ごした別荘の写真が載っていました。それがとっても「漱石山房」に似てるの! 興味のある方はぜひご覧になってみて下さいな(wikipedia>>)
ところで、スティーヴンソンと言えば、我が国の中島敦がスティーヴンソンの南洋生活を描いた、『光と風と夢』という作品があるのですね。中島自身も、スティーヴンソンに憧れ、パラオの通信員(でしたか?)として南洋で暮らしたのでしたね。『光と風と夢』、、ずっと読もうと思いつつ読めていないので、近いうちに必ず読みましょう。。
スティーヴンソンと、夏目漱石と、中島敦、、、それぞれとても似たものを秘めた作家だと、思えます。。。 面白いですね~。
漱石は、、といえば、、
夜田中氏トDrury Lane Theatre ニ至ル Sleeping Beauty ヲ見ン為ナリ
是ハ pantomime ニテ去年ノクリスマス頃ヨリ興行シ頗ル有名ノ者ナリ
其仕掛の大、装飾ノ美、舞台道具立ノ変幻窮リナクシテ、、、(略)
(明治34年3月7日の日記より)
、、と、そのきらびやかで美しい様子を、「極楽」のようだ、とか、「キーツ」や「シェリー」の詩の描写を具現したようだ、とか、、大満足して観たようです。日記の中で漱石は「パントマイム」と書いてますが、当時のパントマイムというのは今とは正反対で、歌や踊り、装飾も華やかで、巨大セットが上下するような、時代の最先端の視覚芸術だったようですね。。。 なるほど~、現在のドゥルーリー・レーン劇場のロード・オブ・ザ・リングなんかも、漱石大大好きのような、そんな気がします。なんたってファンタジー好き、アーサー王大好きの漱石ですから。。『三四郎』の中にも、広田先生が外国の劇場について、三四郎に話す場面がたしかありましたね、、。
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と、、そんな矢先、、今度は、新宿区の「漱石公園」に、漱石が晩年を暮らした家「漱石山房」をもとにした「ベランダ回廊」が再現された、と朝日新聞の東京欄に載ってました。「漱石山房」については、前に一度書きました。あのバルコニー風の「回廊」がとっても私には興味があって、「どうして漱石はこんな南国趣味の家に住んだんだろう、、」って前にも書いてますが、、(>>)、、じつは、この「謎」には、私流の勝手な想像がありまして、、
あ、その前に、その「回廊」とは、、こういうものです。
こちらが再現された「回廊」
こちらが「漱石山房」
漱石は、スコットランドの作家、R・L・スティーヴンソンが大変好きでした。スティーヴンソンと言えば、『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』が有名で、日本では少年少女が読む方が多いですが、『彼岸過迄』の中でも書かれてますが、スティーヴンソンの『新アラビア夜話』を漱石は大変興味深く読んでいて、中でも「自殺クラブ」に出てくる青年貴族のように、大都市の深部へ潜入して、其処で起こるどこか異常な出来事を覗いて見たい、、というわけで、ああいう短篇連作のような作品になったのですね。『ジキル…』にも通じる話ですが、、。
こういういわゆる「人間の自我の危機」みたいな作品を書いたスティーヴンソンが、肺結核療養の為もあって外国を巡り、晩年は南洋のサモアで現地の人々に慕われながら暮らした、、というのも、なんだか不思議な興味深い話です。
、、、で、、、私は「漱石山房」の写真を見た時から、勝手に、「きっとこれはスティーヴンソンの南国の家をイメージしたのかも!」と思っておりました。でも、、この家はべつに漱石が設計したわけでもなく、貸家を見つけて気に入って住んだものらしいですが、でも、、大きな芭蕉の葉といい、バルコニー風の回廊といい、その南国っぽさが気に入ったのでは?と、思ったものです。
さっき、たまたま、Robert Louis Stevenson を検索したら、wikipedia にスティーヴンソンがNYで過ごした別荘の写真が載っていました。それがとっても「漱石山房」に似てるの! 興味のある方はぜひご覧になってみて下さいな(wikipedia>>)
ところで、スティーヴンソンと言えば、我が国の中島敦がスティーヴンソンの南洋生活を描いた、『光と風と夢』という作品があるのですね。中島自身も、スティーヴンソンに憧れ、パラオの通信員(でしたか?)として南洋で暮らしたのでしたね。『光と風と夢』、、ずっと読もうと思いつつ読めていないので、近いうちに必ず読みましょう。。
スティーヴンソンと、夏目漱石と、中島敦、、、それぞれとても似たものを秘めた作家だと、思えます。。。 面白いですね~。