今年最初のお出かけは NHKホールへ。
トゥガン・ソヒエフ指揮 NHK交響楽団
ショスタコーヴィチ/交響曲 第7番 ハ長調 作品60「レニングラード」
(いつものように クラシック素人の日記です)
昨年の1月、 ソヒエフさん&N響の演奏を初めて聴いて、 「カルメン」と「ラ・ヴァルス」に感極まって、すぐに次週の「ロメオとジュリエット」にも行くことにして…
あれから1年。 再びソヒエフさん&N響の演奏を体験するのをとても楽しみにしていました。 A、B、Cの各プログラムが発表された時、本当にどれに行くか迷ったのですが、 やはり 今のこの情勢下でソヒエフさんが指揮をなさるのなら「レニングラード」を聴きたい、と。。
ショスタコーヴィチについても 歴史についても詳しくない私が「レニングラード包囲」について知ったのは、 以前に書いた小説『包囲』ヘレン・ダンモア著(読書記>>)を読んでから、のことでした、、 あのときはまだロシアのウクライナ侵攻は起きていなかった。
2022年2月になって、 いろんなロシアの音楽家たちが自分の態度を明らかにすることを迫られて、、 私は当時まだソヒエフさんの事をよく知らなかったけれど、 昨年の公演での誠実かつ熱情あふれる指揮ぶりを拝見してから 現在のソヒエフさんが「レニングラード」という曲をどんな想いで演奏なさるのだろう…と 関心の一方で不安のような感じも抱いていました。 だから前回の日記から繋がるのですけど、 ゲルギエフ氏が振った「レニングラード」の事を想ったりして、、 前日まで緊張してたのです…
***
感想を… 先にひと言で言ってしまうと、、 「美しかった~!」
こんなにも美しいところがいっぱいの曲だったんだ… という思いと、 ショスタコーヴィチの現代っぽさというか新しさも随所に感じられましたし、、 弦楽器の美しさには涙しそうに感動しましたし、 管さんのソロパートもみな素晴らしかった。。
ソヒエフさんの導き出す7番には、 悲劇や恐怖やあるいは戦意高揚のような激しさよりも、 人間の営みのドラマとか喜びとか やすらぎとか力強さ、、 そういったもののほうを感じた気がします。
第一楽章の戦争の主題のあとの阿鼻叫喚のような混沌の旋律になっても 音色はそれぞれがとても澄みわたっていたし、 第三楽章のあの鞭が出てくる辺りは すごくシンコペーションを効かせていて、 こんな現代っぽい音楽をショスタコーヴィチは随所に忍ばせていたんだなと気づかされましたし…
もちろん美しいばかりではなくて、 管さんのソロの時には もうひとつの別の旋律が聞こえて、 明と暗のふたつの別々の音楽が流れていると感じるところも幾つもあって、、
最も恐ろしかったのが、 第一楽章の小太鼓さんが入ってくるところで、、 他の指揮者さんの動画も見ていたのですけど、 多くは タタタ・タン! と跳ね上げるようなリズムで、 踵を打ち鳴らして行進するパレードのような印象を受けるのですが、 今回は 極めて静かに平板に タタタタ… とほんとに小さく鳴らされていて、、 その前の日常の楽し気な情景と重なるようにそれが始まって、、 まるで遠くに聞こえる銃声? と一瞬耳をそばだてるような、、 それが背筋が寒くなるほどぞっとして怖かったです。
だから 先ほどの二重の音楽と同様に、 日常と恐怖は隣り合わせなのだろうし、 最終楽章の高まりはどちらがどちらに勝利したという壮大さではなくて、 人の暮らしの回復、 ふたたび自由な日々を取り戻すことを諦めないこと、、そういう力強さなのだろうと… そんな風に感じていました。
***
昨日、 N響のサイトにソヒエフさんのインタビュー動画があったのを知り、 それを見て いろいろ成程と思いました。 第二次大戦の音楽、というだけではない、 我々が歴史から学ばなければならない「注意喚起」というソヒエフさんの言葉、、
https://www.nhkso.or.jp/concert/202501A.html?pdate=20250119
ソヒエフさんがロシアの侵攻で ロシアとフランス双方の楽団を辞任した、という経緯をちゃんと読んだ記憶がなかったので、 あらためてその時の記事とソヒエフさんの声明を読みました。
ソヒエフがトゥールーズ・キャピトル管とボリショイ劇場の音楽監督辞任(ぶらあぼ)
トゥガン・ソヒエフからのメッセージ(KAJIMOTO)
、、どちらかの側に立つ、 どちらかを選ぶ、、 それが出来ないから両方を辞任する、、 その選択はとてもつらいものだったでしょう。。 でも私たちはそういう時、選択を迫るのですよね 態度を明らかにしろと。。 一市民、一観衆、、という立場でさえ。。 その恐ろしさ。。
前回の日記にも書いた藤田嗣治。 フランスで成功すれば非国民のように言われ、 帰国して従軍すれば、 戦争画を描いて戦争に加担したと糾弾される。。 同じようなことが今後 世界の音楽家に起こらないように、、と思います…
戦争は日常の顔をしてやってくるものだし、、
ファシズムは大衆とともに生まれるものなのだから、、
怖ろしさは私たち自身の態度のなかにもあるのだと… ソヒエフさんの仰る「注意喚起」という言葉に気づかされました。
***
ソヒエフさんとN響さんの誠実かつ熱意あふれる演奏 すばらしかったです。 できれば全プログラムに行きたかったです。 TV放映からじるらじるで聴けたらいいな、と願ってます。
ソヒエフさん 来年の1月もいらっしゃるかしら。。 できればサマーミューザなどでもあの笑顔にお目にかかりたいものです… ♪
トゥガン・ソヒエフ指揮 NHK交響楽団
ショスタコーヴィチ/交響曲 第7番 ハ長調 作品60「レニングラード」
(いつものように クラシック素人の日記です)
昨年の1月、 ソヒエフさん&N響の演奏を初めて聴いて、 「カルメン」と「ラ・ヴァルス」に感極まって、すぐに次週の「ロメオとジュリエット」にも行くことにして…
あれから1年。 再びソヒエフさん&N響の演奏を体験するのをとても楽しみにしていました。 A、B、Cの各プログラムが発表された時、本当にどれに行くか迷ったのですが、 やはり 今のこの情勢下でソヒエフさんが指揮をなさるのなら「レニングラード」を聴きたい、と。。
ショスタコーヴィチについても 歴史についても詳しくない私が「レニングラード包囲」について知ったのは、 以前に書いた小説『包囲』ヘレン・ダンモア著(読書記>>)を読んでから、のことでした、、 あのときはまだロシアのウクライナ侵攻は起きていなかった。
2022年2月になって、 いろんなロシアの音楽家たちが自分の態度を明らかにすることを迫られて、、 私は当時まだソヒエフさんの事をよく知らなかったけれど、 昨年の公演での誠実かつ熱情あふれる指揮ぶりを拝見してから 現在のソヒエフさんが「レニングラード」という曲をどんな想いで演奏なさるのだろう…と 関心の一方で不安のような感じも抱いていました。 だから前回の日記から繋がるのですけど、 ゲルギエフ氏が振った「レニングラード」の事を想ったりして、、 前日まで緊張してたのです…
***
感想を… 先にひと言で言ってしまうと、、 「美しかった~!」
こんなにも美しいところがいっぱいの曲だったんだ… という思いと、 ショスタコーヴィチの現代っぽさというか新しさも随所に感じられましたし、、 弦楽器の美しさには涙しそうに感動しましたし、 管さんのソロパートもみな素晴らしかった。。
ソヒエフさんの導き出す7番には、 悲劇や恐怖やあるいは戦意高揚のような激しさよりも、 人間の営みのドラマとか喜びとか やすらぎとか力強さ、、 そういったもののほうを感じた気がします。
第一楽章の戦争の主題のあとの阿鼻叫喚のような混沌の旋律になっても 音色はそれぞれがとても澄みわたっていたし、 第三楽章のあの鞭が出てくる辺りは すごくシンコペーションを効かせていて、 こんな現代っぽい音楽をショスタコーヴィチは随所に忍ばせていたんだなと気づかされましたし…
もちろん美しいばかりではなくて、 管さんのソロの時には もうひとつの別の旋律が聞こえて、 明と暗のふたつの別々の音楽が流れていると感じるところも幾つもあって、、
最も恐ろしかったのが、 第一楽章の小太鼓さんが入ってくるところで、、 他の指揮者さんの動画も見ていたのですけど、 多くは タタタ・タン! と跳ね上げるようなリズムで、 踵を打ち鳴らして行進するパレードのような印象を受けるのですが、 今回は 極めて静かに平板に タタタタ… とほんとに小さく鳴らされていて、、 その前の日常の楽し気な情景と重なるようにそれが始まって、、 まるで遠くに聞こえる銃声? と一瞬耳をそばだてるような、、 それが背筋が寒くなるほどぞっとして怖かったです。
だから 先ほどの二重の音楽と同様に、 日常と恐怖は隣り合わせなのだろうし、 最終楽章の高まりはどちらがどちらに勝利したという壮大さではなくて、 人の暮らしの回復、 ふたたび自由な日々を取り戻すことを諦めないこと、、そういう力強さなのだろうと… そんな風に感じていました。
***
昨日、 N響のサイトにソヒエフさんのインタビュー動画があったのを知り、 それを見て いろいろ成程と思いました。 第二次大戦の音楽、というだけではない、 我々が歴史から学ばなければならない「注意喚起」というソヒエフさんの言葉、、
https://www.nhkso.or.jp/concert/202501A.html?pdate=20250119
ソヒエフさんがロシアの侵攻で ロシアとフランス双方の楽団を辞任した、という経緯をちゃんと読んだ記憶がなかったので、 あらためてその時の記事とソヒエフさんの声明を読みました。
ソヒエフがトゥールーズ・キャピトル管とボリショイ劇場の音楽監督辞任(ぶらあぼ)
トゥガン・ソヒエフからのメッセージ(KAJIMOTO)
、、どちらかの側に立つ、 どちらかを選ぶ、、 それが出来ないから両方を辞任する、、 その選択はとてもつらいものだったでしょう。。 でも私たちはそういう時、選択を迫るのですよね 態度を明らかにしろと。。 一市民、一観衆、、という立場でさえ。。 その恐ろしさ。。
前回の日記にも書いた藤田嗣治。 フランスで成功すれば非国民のように言われ、 帰国して従軍すれば、 戦争画を描いて戦争に加担したと糾弾される。。 同じようなことが今後 世界の音楽家に起こらないように、、と思います…
戦争は日常の顔をしてやってくるものだし、、
ファシズムは大衆とともに生まれるものなのだから、、
怖ろしさは私たち自身の態度のなかにもあるのだと… ソヒエフさんの仰る「注意喚起」という言葉に気づかされました。
***
ソヒエフさんとN響さんの誠実かつ熱意あふれる演奏 すばらしかったです。 できれば全プログラムに行きたかったです。 TV放映からじるらじるで聴けたらいいな、と願ってます。
ソヒエフさん 来年の1月もいらっしゃるかしら。。 できればサマーミューザなどでもあの笑顔にお目にかかりたいものです… ♪