メリン神父がナチスの収容所で誰を生かし誰を殺すかを決めるのを強制されるところは、ちらっと「ソフィーの選択」の“選択”を思わせる。あそこで選択を強制するのは無神論者の医者だったが、こちらでは選択を強制された神父が信仰を捨てる。キリスト教での無神論者というのはただ神を漠然と信じなくなるというのではなく、罰する者がいなければすべては許されているとばかりにやたらと非人間的な行為につながるみたい。
シリーズ1作目はキリスト教文化圏から見た異文化の霊が悪として斥けられていたわけだが、ここではキリスト教が原始宗教から精錬されていく過程で捨てて来た禍々しい要素が、たとえばここでは堕天使ルシファーにつながる悪霊evilとして描かれていて、悪がキリスト教内部から現れていることがちょっと示唆されている。
二人の神父が互いに戦って逆さ磔(「灰とダイヤモンド」みたい)がえんえんとつづくオープニングと、イギリス軍とケニアの現地人とが戦い死屍累々となるラストとの対応は、キリスト教文化圏の内部の争いと外との戦いとをどっちも悪として見る視点を示しているよう。
最終的には神父が信仰を取り戻すわけだが、悪との戦いにはそれが必要だからという感じで、キリスト教の宣伝じみた感触は薄い。
はっきり言ってまるっきり期待しておらず、どんなバカ映画になっているかぐらいに思っていたら意外とちゃんとした作り。けたたましくCGの洪水で攻め立てるより、気持ちの悪い物の質感をしっかり出している。
画面が宗教画のように重厚かつ華麗で、撮影誰だろうと思っていたら、なんとヴィットリオ・ストラーロ。予備知識は一切持たないで見る主義なのだが、こういうサプライズの楽しみがあるから。
スタッフロールに、やたらイタリア系の名前が多い。
(☆☆☆)
本ホームページ
シリーズ1作目はキリスト教文化圏から見た異文化の霊が悪として斥けられていたわけだが、ここではキリスト教が原始宗教から精錬されていく過程で捨てて来た禍々しい要素が、たとえばここでは堕天使ルシファーにつながる悪霊evilとして描かれていて、悪がキリスト教内部から現れていることがちょっと示唆されている。
二人の神父が互いに戦って逆さ磔(「灰とダイヤモンド」みたい)がえんえんとつづくオープニングと、イギリス軍とケニアの現地人とが戦い死屍累々となるラストとの対応は、キリスト教文化圏の内部の争いと外との戦いとをどっちも悪として見る視点を示しているよう。
最終的には神父が信仰を取り戻すわけだが、悪との戦いにはそれが必要だからという感じで、キリスト教の宣伝じみた感触は薄い。
はっきり言ってまるっきり期待しておらず、どんなバカ映画になっているかぐらいに思っていたら意外とちゃんとした作り。けたたましくCGの洪水で攻め立てるより、気持ちの悪い物の質感をしっかり出している。
画面が宗教画のように重厚かつ華麗で、撮影誰だろうと思っていたら、なんとヴィットリオ・ストラーロ。予備知識は一切持たないで見る主義なのだが、こういうサプライズの楽しみがあるから。
スタッフロールに、やたらイタリア系の名前が多い。
(☆☆☆)
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