是枝裕和演出。
「二十四の瞳」や大島渚や伊丹万作や「怪獣使いと少年」などの引用による、日本人の加害者性の忘却の指摘は、正直今更としか思えなかった。乱暴な言い方をするが、そんなことはみんな(知識としては)知ってるよ、と言いたくなる。
ワインゼッカー演説が日本とは違いドイツは戦争責任を認めているからエラい、という(おなじみの)扱いに対しては、あれは「ナチス」に責任を押し付けて「ドイツ」は免責する一種の政治的アクロバットなのだ、という説もある(木佐芳男『〈戦争責任〉とは何か』)、と思ったりして、どうも物足りなかった。
むしろ作者の台湾育ちでシベリア抑留経験者である父親の過去を追うくだりが、台湾の靖国と言われた台湾神社跡の階段を昇っていくとなぜか野良犬がうろうろしていたり、カラオケで北島三郎の「まつり」の訛りのある日本語の歌声が聞こえてくる、意味付けが先行しないで“画”が物をいう触発力があった。
ウィーンのユダヤ人墓地で見捨てられた墓石が倒れて草むしている、映画の方の「夜と霧」風に“忘却”を記録した映像も印象的。
だけど、これあまり「憲法」と関係ないのではないか。
「二十四の瞳」や大島渚や伊丹万作や「怪獣使いと少年」などの引用による、日本人の加害者性の忘却の指摘は、正直今更としか思えなかった。乱暴な言い方をするが、そんなことはみんな(知識としては)知ってるよ、と言いたくなる。
ワインゼッカー演説が日本とは違いドイツは戦争責任を認めているからエラい、という(おなじみの)扱いに対しては、あれは「ナチス」に責任を押し付けて「ドイツ」は免責する一種の政治的アクロバットなのだ、という説もある(木佐芳男『〈戦争責任〉とは何か』)、と思ったりして、どうも物足りなかった。
むしろ作者の台湾育ちでシベリア抑留経験者である父親の過去を追うくだりが、台湾の靖国と言われた台湾神社跡の階段を昇っていくとなぜか野良犬がうろうろしていたり、カラオケで北島三郎の「まつり」の訛りのある日本語の歌声が聞こえてくる、意味付けが先行しないで“画”が物をいう触発力があった。
ウィーンのユダヤ人墓地で見捨てられた墓石が倒れて草むしている、映画の方の「夜と霧」風に“忘却”を記録した映像も印象的。
だけど、これあまり「憲法」と関係ないのではないか。