原田眞人の監督術原田 眞人雷鳥社このアイテムの詳細を見る |
著者が30年かけて今でいう映画オタクからいかにして脱皮してプロフェッショナルな映画監督になるに至ったかを、経験を通じての映画作りの各段階での具体的なイメージとして綴られてすこぶる面白い。日本のシナリオは情報量が少なすぎる、と批判するが、この本自体イメージと示唆豊かな名文。
プロとは単にそれを職業にしているというだけでない、自分の足で立てる連中の協力関係のことだ、とはハワード・ホークスの「コンドル」に事寄せた筆者のプロフェッショナル論。
監督になるだけだったら誰でもなれる、重要なのは監督としてのキャリアを編むことだ、とも。
監督としての作品に上出来なものが必ずしも多くないのをもって皮肉るのはよしましょう、この本でも書かれているが他人の失敗談の方が勉強になることが多いのだから。映画作りはその時その時代での大勢のコミュニケーションとシステムの産物であり、結果として傑作を生んだ過去の「巨匠たち」の映画術を逆算しても今に即役立つわけではない。黒澤明他、かつてのアイドル(偶像)だった監督たち他を、「黒澤明語る」の頃と比べてある程度醒めた目で見るようになっているのも、そうだろうなと思わせる。
とはいえ、それらの巨匠たちの肩の上に立ち、彼らのレガシー(遺産)を受け継ぎ後継者に伝えようとしている書。
「ダンス・ウィズ・ウルブス」の字幕で自殺同然に敵前に無謀な突撃をするケヴィン・コスナーのセリフ“Forgive me, Father”というのを「父さん、許して」と訳した字幕を見て卒倒しかけ、大文字でFatherといったら天にまします主のことに決まってる、「主よ、(自殺を)許したまえ」って意味だろうがと激怒するくだりがあるけれど、戸田先生の翻訳じゃないだろうね。「オペラ座の怪人」でpassion play(受難劇)を「情熱のプレイ」って訳したことあるからなあ。
これは筆者のように英語に堪能で、アメリカ映画界でも仕事しているのが重要なキャリアになっている人間だから言えること、というレベルではないので、こういう翻訳がまかり通って「治らない」いうのは、業界の体質がアンプロフェッショナルだからということになるのではないか。
本ホームページ