prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「チェンジリング」

2009年03月15日 | 映画
「ダーティハリー」シリーズでの警察上層部の官僚主義の描写はまだ劇画かマンガみたいなところがあったが、今回はリアリスティックな調子で怒りを誘う。
警察の判断で一方的に精神病院に強制入院させられるところなど、共産圏の出来事かと思わせる。

事件の解決に関わる刑事のさりげない紹介に始まって、しばらく頼りになるのかならないのかわからない不安定な感じから、ちょっとだけ形式的な「手続き」を離れて子供の話を聞こうとしたところからとんでもない方向に話が向かっていくあたりのスリルは無類。

オープニング間もないアンジェリーナ・ジョリーが息子の手を引いて路面電車を降りるときの手の引き方がさまになっていて、この演技と演出は信用できるなと思わせる。
それにしても、ますますイーストウッド作品は一種倫理的になってきたみたい。
アンジーが夫とどういう事情で別れたのか詳しくはわからないが、夫が「責任」を逃げたからだと息子に教える。無責任という点は警察や市長も同様だろう。

権力の腐敗の一方で、ジョン・マルコヴィッチの牧師や、警察が探してきた子供は別人だと証言するのを引き受ける教師と歯医者といったまともな市民がいるのが救い。

失踪する子供と取替えっ子(チェンジリング)になる子供、それからもう一人事件に大きく関わっていく子供が、それぞれ倫理的に厳しく責められる。子供がこれくらい厳しく扱われる映画も珍しいのではないか。不在の失踪した息子がイノセントでいつづけるなのとコントラストをなしているよう。

マルコヴィッチの牧師はプロテスタントの「長老派」だというが、越智道雄の「ワスプ(WASP)―アメリカン・エリートはどうつくられるか」 (中公新書)によると、アメリカ社会のプロテスタントの中でランクが高い(といっていいのか)順に、監督派、統一キリスト教会、長老派、メソディスト、ルーテル派、パブティストと続くので、つまりどちらかというランクの高い方に属するらしい。

取り替えられた子供が割礼を受けている、ということはユダヤ人であることを示していると考えていいだろう。
(☆☆☆★★★)


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