最初見た時はとにかくわけがわからないなりにムリヤリに見通し、次にはどういう構造でできているかはわかり、それから極端に形式美に傾いているようで意外な生々しさが満ちているのがわかってきた。
オープニングの芝居の朗読から始まるが、演劇が半ば観客に向かい半ば劇中の「自然」に従う虚実皮膜の構造を大幅に取り入れているように思える。
能のように徹底して俳優の肉体を拘束することで逆にその生々しさを引き出している。特にデルフィーヌ・セイリグ(公開時29歳)の骨格のしっかりした身体が全体に動きが少なく豪華な衣装でくるまれている分かえってエロスを感じさせる。
「メロ」「恋するシャンソン」「巴里の恋愛協奏曲」など、舞台の映画化が時代を下るにつれて増えて、しかもムリに「映画的」にせず舞台そのまんまの映画化するようになる。
撮影・美術・衣装・編集と細部まで統一されたトータルな造形美は、一個の美術品として見ごたえあり。
有名な人間には影があるが木にはないショット、パースペクティヴを考えるとああいう風に画面の奥と手前で平行に影ができるというのはありえないわけで(地面に影を塗料で描いて撮影された)、太陽光で木に影ができている別のショットと比較するとそれははっきりしている。
人間の影は人間に従い、木の影は自然の光に従う。
アラン・レネは子供の時喘息だったそうだが、御歳九十歳になった現在でも現役といっていいのだからわからないもの。