「屋上」
由希 … OL
小夏 … おそらくOL
昌子 … 女の幽霊・自殺してから、一切の感情を見せず、言葉も発しない
理央 … 超常現象オタクの女
基子 … 年配女性・ビルの管理人
宮元 … 若い男
古橋 … ビルの管理人
とあるビル。
屋上。
その縁の足元にあたる部分に、事故や自殺などがあった現場に手向けられるような花束が置かれている。
× ×
ある程度の広さ、高さがあり、人がほとんど寄り付かない。
由希の由希の声「私は会社のお使いでそのビルに行った」
路上のアスファルト。
由希の声「そこは、何かと恐ろしげで怪しげな噂がささやかれるビルだったが、私は気にしないことにした」
ビルの各所の画面。
由希の声「簡単に済む用だったはずが、ばかに時間がかかってしまった。やっと解放された時は、すっかり暗くなっていたが、ずっと吸えないでいた私はタバコを一服吸いたくなった」
オフィス、窓際、ロビー、などなど。
由希の声「近頃は、オフィスやロビーはもちろん、窓際でも吸うことができない」
屋上に出てくる由希。
由希の声「タバコをのむ人間には肩身の狭い世の中だ」
タバコとライター、携帯灰皿を出して、タバコに火をつける。
ゆっくりと一服する。
携帯を出して、かける。
由希「あ、もしもし? ケンジ?、あたし、由希。何よ、つきあい長いんだから、あたしだけでわかりなさいよ…他の女とも付き合ってるんでしょ。知ってるんだから…うそうそ。だったら、今度の日曜どこに行く?…え、なんだって?…いやよ、家でビデオなんて、倦怠期みたいで…あそこはもう行ったじゃない。…あれ、ちょっと、今どこ。…もしもし、電波遠いんだけど」
と、携帯をいったん耳から離して見る。
由希「あれ?」
「圏外」の表示が出ている。
由希「屋上で? こんなに見晴らしがいいのに?」
ふと、屋上の縁に立っているもう一人の女(昌子)に気づく。
由希の声「いつの間に現れたのか、その女の姿を見て、何か不吉な予感がした」
昌子の遠くを見ている目つきに、思わず注視してしまう由希。
昌子があまりじっと動かずに立っているので、由希はあまりじろじろ見ているのを悟られないように、昌子の視界から外れた屋上の縁から回り込むように近寄る。
それでも昌子は遠くを注視したままだ。
由希、昌子の足元に何かあるのに気づく。
花束が踏んずけられている。
由希の声「花束を踏みつけて平気って、どんな人だろうと思った」
と、昌子の方に気にとられてしまって注意がお留守になっていたタバコの火が指にまで達して、
由希「あちっ」
と、振り払ってビルの階下に投げてしまう。
由希「いけない」
あわててビルの下をうかがう。
由希の声「幸い、ビルの下には人が通っていないようだった」
そして、昌子のいたあたりに視線をやると、誰もいない。
花束はあるが、踏みつけられた跡はない。
由希「あれえ?」
あたりを見渡すが、誰もいない。
由希、改めて階下を覗くが、
由希「どこに行っちゃったんだろう」
首をひねる。
と、近くに空からぽとっと落ちてきたものがある。
見てみると、火のついたままのタバコだ。
由希「え?」
上を見てみるが、空が広がっているだけ。
拾い上げて見ると、根元まで吸っていて、口紅がついている。
由希「あたしの? そんなバカな」
と、吸殻を灰皿にしまう。
その背後でぐしゃ、という鈍い、水気のあるものが潰れるような音がする。
背後に何か倒れている。
おそるおそる振り返ると、飛び降り自殺した昌子の死体がある。
さらに空中から恐ろしい叫び声が聞こえ、さらにざわめきと、「警察を呼べ」「救急車を」といった声がすぐ近くで聞こえる。
あわてて周囲を見回そうとするが、目の前には姿が見える者は誰もいない。
まるで、飛び降り自殺の現場で聞こえる音だけが中継されているように近くで聞こえる。
サイレンの音が通り過ぎる。
由希の声「救急車が来てるの?」
由希、また階下を見下ろす、。
由希の声「何にもない」
振り返る。
さっき飛び降り死体があった場所から死体がなくなっている。
由希「え?」
その代わりに、死体の位置を示す輪郭線だけが描かれている。
由希「え、え」
混乱する。
由希、習慣になった動きで携帯を出す。
だが、相変わらず「圏外」の表示のまま。
気味悪くなって、小走りに屋上から出て行こうとする。
と、ばたんと目の前で出入り口が開けられる。
生きているような、しかし青ざめた顔でいる姿の昌子が、由希の目の前にいる。
由希、思わず悲鳴をあげる。
だが、昌子は目の前で悲鳴をあげられてもまったく無視して、由希の方にまっすぐ進んでくる。
あわてて飛びのく由希。
昌子、そのままとことこと屋上の縁に歩いていく。
由希の悲鳴が凍りつく。
しばらく、さっきと同じように屋上の縁に立っている昌子。
手すりに手をかける。
伸び上がる。
由希、駆け寄ろうとする。
だが、その時は昌子の足が手すりの向こうに消えている。
由希、今度こそ逃げようと出口に突進する。
と、今度はまた別の若い女(小夏)とぶつかり、反射的に悲鳴をあげてしまう。
小夏「どうしました」
普通の人間の声なので、ちょっとほっとする由希。
由希「(ほっとした勢いで)たった今、ここで信じられないようなことがあったんです」
小夏「信じられないようなこと?」
由希「(少し落ち着いて)いえ、やっぱりあんなことはありえません」
と、言ってから、振り返る。
縁の近くに花束が置いてあるのに気づく。
由希「あの花束…」
小夏「ときどき持ってきてお供えする人がいるんです」
由希「どんなことがあったんですか、ここで」
小夏「このビルの屋上から、女の人が飛び降りたんです」
由希「やっぱり」
小夏「やっぱり?」
由希「いえ、女の人が、あそこから(と、示し)手すりを乗り越えて飛び降りたんです」
小夏「飛び降りたのは昔の話ですよ」
由希「でも、飛び降りたんです。今、目の前で」
小夏、屋上の縁にまで行き、階下を見る。
由希「それで、お供えするというのは亡くなった人の冥福を祈って」
小夏「そうですね」
由希「お知り合いの方だったんですか」
小夏「いいえ、見ず知らずです。でも、自殺するような人は死んでも死に切れなくてその場にとどまるものですから」
由希「地縛霊…」
小夏「何と呼ぶかはともかく、いったん飛び降りても、自分が死んだことに気づかないですぐ同じ屋上に戻ってきて、何度も何度も飛び降りるんです。死んだ人間にとってはこの屋上までの意識しか残っていないらしくて」
由希「それで成仏できない霊をなぐさめるために花束を持ってきていると」
小夏「ひどい人もいたんですよ。地面に叩きつけられた死体の写真を携帯で撮ったりして」
由希「そんな。ひどい」
小夏「まったく」
由希「その写真が、ネットにアップされたとかいうことは」
小夏「なんで、そう思います?」
由希「いえ、なんかありそうだから」
由希、何かの気配を感じる。
それに引きづられて見た由希、またあっとなる。
屋上に、また昌子の死骸が叩きつけられているのが見える。
由希「あの、あの」
小夏「なんでしょう」
由希「あれが(と、指差し)見えませんか」
小夏「あれって、なんです?」
由希「死体が。飛び降り死体が」
小夏「そんなものが…」
由希「あるんですっ」
小夏「見えませんが」
由希「見えない? そんなバカな」
と、携帯を出して、画面に捕らえてみる。
確かに機械の画面にも死体が写っている。
由希「ほら、写ってるでしょう」
小夏「どこに?」
由希「ほら、ここに」
小夏「どこです」
由希「え?」
と、改めて見てみると、何も写っていない。
そして、現実の屋上にも死体はない。
由希「え、え」
と、死体のあったあたりを歩き回る。
そして携帯をまた出してみる。
由希「(けげんな顔)」
携帯の画面が、勝手にネットに接続中の表示を出している。
由希「そんな…、あたし、ウェブを見る操作なんてしていない」
と、電源を押す。
由希「切れろ、切れろ」
だが、どんどんウェブが勝手につながって、次第にアップされている画像がはっきりしてくる。
由希「…(悲鳴をあげる)」
地面に叩きつけられた女の飛び降り自殺死体の写真、おそらく誰かが撮ってネットにアップした写真だ。
ぼそぼそいう声が、携帯からする。
声「…(言葉にならないが、同じことを繰り返しているのはわかる)」
由希。
声「…(もう少しはっきりするが、まだ聞き取れない)」
由希。
声「(とぎれとぎれに聞こえるようになる)あたしは…あたしは…」
由希、恐ろしさでそれ以上持っていられなくなって、携帯を投げ捨てる。
屋上に転がる携帯。
しばらく、息を整えている由希。
小夏が、転がった携帯を拾う。
由希「あ、ありがとうございます」
と、受け取ろうとする。
小夏「(ぼそっと)しつこい女ね」
由希「え?」
自分が言われたのかと少しむっとしかける。
携帯が鳴る。
小夏、携帯に勝手に出る。
由希「(驚き)ちょっと、何を」
小夏「(何事かを聞いて)ああ、そう。うん。うん」
自分にかかってきた電話に応対している態度。
由希「人の電話に勝手に出るなんてっ」
小夏「そう…あなたと話したいそうよ」
と、携帯を差し出す。
由希「当たり前です。あたしの携帯です」
と、奪い取るように受け取る。
見ると、さっきの衝撃で壊れている感じ。
由希「(不安ながら)もしもし」
何も聞こえない。
由希「もしもし」
やはり、何も聞こえない」
由希「いやだ、壊れたのかしら」
と、いろいろいじるが、反応はない。
いったん切って、かけてみようとする。
由希「いやだ、やっぱり壊れてる。もうっ」
言ったとたん、携帯が鳴る。
由希、混乱し、おそるおそる出る。
声「あたしは…」
さっきウェブから聞こえてきたのと、同じ声だ。
由希、凍り付いて、今度は携帯を放せない。
声「あたしは…いる…あたしは…ここにいる」
由希「(声がうまく出ない)あ…あ…」
救いを求めるように小夏を見る。
あくまで冷静さを崩さないたたずまい。
由希「(小夏に)この声は、聞こえます?」
と、ババを引かせようとするように小夏に携帯をまた渡す。
小夏「もしもし」
間。
小夏「あたしはここにいる」
生で聞こえているにも関わらず、霊界から聞こえてきたのと同じ濁った声。
仰天する由希。
小夏「(人間の声に戻り)そこにいろ」
と、由希に携帯を返そうとする。
が、恐ろしさで弾いてしまう。
由希「あなたは、一体」
小夏「自殺というのは、自分勝手な行為です」
由希「(おそるおそる)そ、そうですね」
小夏「これくらい傍迷惑な行為はない」
由希「ええ、家族とか、友だちとか、身近の人がどれだけ傷つくかちょっとでも想像したら、そうそう死ねるものではありませんよね」
小夏「迷惑をかけるのは、身近な人とは限らない」
由希「?」
小夏「飛び降りた下の道路に、人が歩いている場合もある」
由希「…」
小夏「飛び降りたところに運悪く通りかかってぶつかって、命を落とした人は、死ぬに死ねないでしょう」
由希「…」
小夏「生きていたら、取り殺してやりたいくらい」
由希「…」
小夏「あの女が降ってこなかったら、あたしは死なないで済んだ」
由希「え?」
小夏「だから、成仏できなくて、いい気味」
由希「え」
小夏「なぜ、あたしは死ななければならなかった。なぜ」
凍り付いている由希。
ぐしゃ、という音。
二人の女が、折り重なって血まみれで倒れている。
がたがた震えながら、それでも近寄ってしまう。
小夏と昌子の二人だ。
由希の声「逃げないと、逃げないと」
恐ろしさで足が動かない。
じりじりと這ってくる小夏。
足首をつかまれる。
小夏「あの日、私はデートに行くところだった。彼が探してきたイタリアンの店につくはずだった。なじみのない場所だったので、携帯を見ながら歩いていた。そして、このビルのそばで立ち止まった。彼から電話が入ったからだ」
もう片方の足首をなんとかあとずさる由希。
小夏「彼の声は聞けなかった」
じりじりと由希に追いすがる。
小夏「なんで、あたしが」
追いすがる。
小夏「見も知らない女に」
にじり寄る。
小夏「理由もなく」
由希、突然身体が動くようになり、出口に殺到する。
飛び込むと、中は真っ暗。
何も見えない。
由希の声「ダメだ、何も見えない」
真っ暗。
由希の声「助けてっ」
答え、なし。
由希「助けてっ」
やはり、答えなし。
由希の声「明かりは、明かりは」
間。
由希の声「そうだ、ライターがある」
ごそごそいう音。
しゅっ、しゅっとライターをする音がして、炎があがる。
が、すぐ風がきて大きく揺らぐ。
由希の声「風が…」
だんだん周囲が明るくなる。
が、見えてきたのは、屋上の風景だ。
由希の声「そんな…」
建物の中に飛び込んだはずが、また外に出てしまった。
由希「そんな、いやあっ」
絶叫する。
なんとか気を取り直して出口に向かおうとするが、怖くて足がすくむ。
どこに向かえばわからなくなって、右往左往する。
呼び出し音が鳴り響いて、立ち止まる。
見ると、投げ捨てた携帯が鳴っている。
動けない由希。
そろそろと近づいて、拾い上げる。
着信を見ると、「ケンジ」と出ている。
由希「もしもし、ケンジ、助けて。もしもし、もしもし」
答えはない。
もう片方の耳に、小夏の口が接近してささやく。
小夏「恋人と話せればよかったねえ」
気がつくと、由希の体は小夏に組み付かれて動けなくなっている。
由希「助けて、助けて、助けて」
ふと、上を向いて、思い切り悲鳴をあげる。
身体が砕ける音とともに、暗転。
× ×
日のある時間。
年配女性、基子が花束を持って屋上の縁に置く。
男の声「私にも花を供えさせていただけませんか」
振り向くと、花束を持った宮元の姿がある。
基子「どなたでしょう」
宮元「このビルから飛び降り自殺した女の人がいたでしょう」
基子「その人と、何かご関係が」
宮元「いいえ、下の道路を歩いていて、その自殺した人にぶつかって自分も死んでしまった人がいて、その彼女とつきあっていた者です」
基子「あら、存じませんで、本当にお気の毒なことでした」
宮元「(花を示して)よろしいでしょうか」
基子「どうぞどうぞ」
宮元「本当は、下の道路に供えたいんですが、よく警官が見回りにきて撤去を命じられるので」
基子「困りますねえ、石頭は。そうなんですよ、道路には置かせないの」
宮元、持っていた花束を基子のものと並べて置く。
基子「あたしはこのビルで管理人しているのだけれど、こうやってときどき花を手向けてるんです。お気の毒で」。
宮元「わざわざ、恐れ入ります」
基子「いえ、そんな」
宮元「彼女は、このビルの下で歩いていて亡くなりました。ちょうど、電話をしていた時、上から降ってきた女にぶつけられて」
基子「その時、お話されていたのですか」
宮元「ひどい死に様でした」
基子「姿を見られたのですか」
宮元「ええ」
基子「それは、どうも…なんというか…」
宮元「彼女は、ぼくのものになるところでした」
基子「ご結婚の約束を?」
宮元「愛してました、心から」
基子「それは…(深くため息をつく)」
宮元「彼女がいなければ、生きていても仕方ない、そう思います」
基子「そんなこと考えちゃいけない。彼女もあなたが生き続けることをきっと望んでいます」
宮元「そうでしょうか」
基子「そうですとも」
宮元「それにしても、死ぬのなら一人で死ねばいいのに。迷惑にもほどがある。死んでいなければ殺したいくらいです」
基子「そんなこと言ってはいけません。お気持ちは想像もつきませんが」
宮元「だけれど、あの死に様を見ると。首が折れて、ねじれて、ほとんど肩に食い込んでいました」
基子「ひどい」
宮元「しかも、その死に様を携帯で撮っている男がいたんです」
基子「え」
宮元「信じられません」
基子「本当に」
宮元「不謹慎にもほどがある」
基子「まったく」
宮元「私は、追いました。でも逃げられました」
基子「つかまえてやればよかったのに」
宮元「まったく」
基子「どんな罪になるのかわからないけれど(ちょっと変なことに気づく)あの」
宮元「はい」
基子「彼女が亡くなる、その場に居合わせたのですか」
宮元「そうです」
基子「その時、あなたが彼女と電話されていたわけでしたね」
宮元「え?」
基子「いえ、すぐ近くにいるのに電話しているというのがちょっと。あたし、機械が苦手で携帯とか使いつけないもので」
宮元「携帯で待ち合わせしていて、背中合わせになっていて気づかないなんてこともありますよ」
基子「そうでしょうけど」
宮元「…でも、携帯で電話していたのは僕じゃありません」
基子「そうでしたか」
宮元「僕は、彼女と一度も話したことありません」
基子「え?」
宮元「ただ、見守っていただけです。遠くから。それから後をつけて」
基子「でも、彼女がいなければ生きていても仕方ないって」
宮元「もちろんです」
基子「話したこともないのに」
宮元「愛するのに、言葉はいりません」
基子「(言葉がない)でも、あなた…もしかすると、ストーカー?」
宮元「幸福とは、愛されることよりも、愛することにあります」
基子「なんて…」
宮元「彼女が亡くなってから、ますます僕は彼女を愛するようになりました。愛する対象がこの世にないからこそ、なおさら愛をつのります」
基子「ちょっと…」
と、気持ち悪くてたまらず、その場を離れようとする。
宮元、追いかけて基子の手をつかむ。
基子「何するんですか、放して下さい」
宮元「あなたはいい人だ。わかります。こうやって花を手向けて下さっている」
基子「一緒にしないで下さい」
宮元「私は、ここに死ぬつもりで来ました。彼女のもとに行こうと」
基子「さっき聞きました」
宮元「彼女のためなら、なんでもする」
基子「何ができるんです」
宮元「あなたのような人が一緒にいてくださったら、彼女も安心だ」
基子「まさか」
宮元「なぐさめて、成仏させてやってください」
と、縁に引きずっていく。
基子「やめて、放して」
抵抗するが、力ではまったくかなわない。
二人、立ち止まる。
縁に、女が立っている。
ゆっくりと振り向く。
小夏だ。
宮元「あなたは…」
だが、それがすぐ恐怖にとって代わる。
宮元「君は、死んだはずだ」
小夏。
基子「え、え」
小夏、宮元に近づく。
宮元、後ずさる。
小夏、さらに近づく。
宮元、怖気づく。
基子「(横から)愛してたんじゃなかったの」
宮元「ひ、ひ、」
その顔には恐怖しかない。
基子「愛してるんだったら、行きなさいよ」
宮元、がたついている。
基子「彼女が死んだら、生きていけないって、さっき言ったじゃない」
宮元、がたついている。
基子「なんだい、さんざんお題目並べておいて(表情が一変する)ここはね。人が飛び降りただけじゃないの、ここで変な死に方をした女もいるの。この屋上で。ここは呪われてるんだ。こんな呪われたビルの管理なんて引き受けて、とんでもない災難だよ」
小夏、黙って見ている。
基子「だからお祓いするつもりでいたけれど、もうムリ」
宮元、逃げ去ろうとして、倒れる。
自分の足元を見ると、別の女がしがみついている。
基子ではない。
宮元にしがみついている女が顔を上げる。
由希だ。
宮元「(驚愕して)誰だ、おまえ」
小夏が、ちょっと上の方をうかがう。
宮元「放せ、放せっ」
しがみついて放さない由希。
基子、宮元と由希をこれ以上大きく開けられないほど目を見開いて見ている。
それらのカットバック。
ぐしゃ、という音。
立ち上がる由希。
見ている基子。
宮元が、降ってきた昌子に押しつぶされて絶命している。
基子、笑い出す。
基子「まただ、まただ、まただ」
踊るような足取りでそのあたりをぐるぐる回る。
基子「これで、また警察が来る。悪い噂がたつ。テナントも出て行く。もうやってられない。仕事探さなきゃ」
正気ではない。
いつのまにか、小夏も由希も昌子も消え去り、宮元の死体と基子だけになっている。
(O・L)
夜。
出入り口がそうっと開けられる。
姿を現したのは、理央(22)。
手に、ビデオカメラを持っている。
そこら中を、なめるように撮って回る。
男(古橋)の声「こら、何してる」
振り返る理央。
古橋「ここは立ち入り禁止だぞ。こんな時間に。出て行きなさい」
理央「お願いです。ちょっとだけ」
古橋「ちょっとではない。ここではいろいろ悪いことが起きて閉鎖されているんだ。おそらく、もうすぐビル自体が閉鎖になる」
理央「だったら、今しかチャンスないじゃありませんか」
古橋「チャンスって、何のチャンスだ」
理央「霊が現れるのを見られるチャンスです」
古橋「そういうことを面白半分で」
理央「面白半分じゃありません。まじめです。本当に霊はいるんです」
古橋「そういう問題じゃない」
理央「おじさんは、このビルの管理人さん?」
古橋「前の管理人が急にやめて、正式な人が決まらないまま、閉鎖になりそうだけれどね。それじゃ俺がやるしかないかと。やりたい仕事でもないが」
理央「だったら、ムリに責任とることもないでしょ。ちょっとだけ」
古橋「…しょうがないな」
理央、許可されるより早く、さっさとまたカメラを回しだす。
古橋「(監視するようにくっついて回る)どんな噂、聞いてる?」
理央「この屋上から人が飛び降りたんでしょう」
古橋「それだけ?」
理央「噂では、下を歩いていた人にその飛び降りた人がぶつかって、二人とも死んでしまったと」
古橋「それから?」
理央「それを携帯で撮った人がいて」
古橋「ふん」
理央「ネットにアップしたんだけれど」
古橋「ふん」
理央「当然、すぐ削除されて」
古橋「ふん」
理央「だけれど、削除されたはずの画像が、どうかするとネットをさまよっていると見えてしまうことがあるって」
古橋「そんなこと、あるわけないだろ」
理央「あるんです」
古橋「なんで、そんなことわかる」
理央「見たから」
古橋「見た?誰が」
理央「あたしが」
古橋「なんで、それがその画像ってわかる」
理央「見ればわかります」
古橋「理屈になってない」
理央「でも、そうなとしかいいようがないんです。携帯のウェブでクリックしたページに移るちょっと前、全然関係ない画像が一瞬だけ見えただけなんだけど、見ると同時にこれ、霊の映像だ、と確信したんです。バックしても、どこにも見つからなかったんだけど」
古橋「だからなんで」
理央「たとえば、暗い中に猫がいたとして、それ見て猫だと信じるのになんでっていちいち考えます?」
古橋「猫と霊は違う」
理央「なんていうのかな。霊が写った画像っていうんじゃないんです。画像そのものが霊っていうか」
古橋「だって、画像は削除されたんだろ」
理央「だから、現実のデータとしては削除されたんだけれど、霊そのものは生き続けているっていうか、説明しにくいんだけれど、見てから霊だって判断したんじゃなくて、聞きたくない音でもいやでも頭の中に飛び込んでくるみたいに、頭の中に霊だということがいきなり飛び込んできたみたいなんです。誰の霊かってことも含めて」
古橋「ふーん」
理央「だって、ここの噂は知っていたけれど、あの変な画像がそれの霊だって、なんでわかるんです」
古橋「それはこっちが聞きたいよ」
理央「でも、わかったんです」
古橋「画像が語りかけてきたとか」
理央「そう、そんな感じです」
古橋「霊感があるって言いたいのかい」
理央「いえ、そんな」
古橋「妙に霊感があるって自慢げに言いたがる女がいる。知ったような顔をして。俺は好かん」
理央「そんなんじゃありません」
古橋「ふん」
理央「あれ」
古橋「?」
ビデオカメラの画像が断続的に奇妙に歪んでいる。
理央「何かしら」
いったん、カメラを止めて巻き戻す。
理央「見て」
一緒に見る。
屋上にうつぶせに倒れている人の手がカメラの動きにつれてフレームに入り、また出て行く。
理央「あのあたりだけれど」
対応するあたりを見てみるが、誰も倒れてなどいない。
理央「ほら、おかしいでしょ」
古橋「よくわからないな。もう一回巻き戻して」
巻き戻して、再生する。
理央「あれ」
古橋「手など、写ってないじゃないか」
理央、さらに巻き戻して、再生する。
時々ストップしたりするが、何も発見できない。
古橋「気のせいだよ」
理央「そんなはずはない。あなたも見たでしょう」
古橋「見たような気はするけど」
理央「だったら、見たのよ」
古橋「写ってないんじゃなあ」
理央「カメラと人間と、どっちを信用するの」
古橋「無茶言うな。私もカメラは好きだが、けっこうカメラはうそつくぞ」
理央「あなたは霊魂の存在など信じていないんでしょう」
古橋「そうだよ」
理央「その人にも見えた」
古橋「ような気はする」
理央「だったら」
古橋「(面倒そうに)もう一回やってみたら。だけど、それで気が済んだら帰るんだ」
理央「わかった」
と、またカメラを回す。
丹念に、なめるように屋上中を写す。
誰もいない空間をなめていくビデオ映像。
古橋が写って、外れて行く。
ふっと気づいた理央、視線をファインダーから外して、実物を見る。
古橋が立っている。
ビデオを巻き戻してみると、古橋の後ろに、一人の女の影らしきものが写っている。
実物の古橋の後ろには、何も見えない。
理央、そこをストップして、
理央「見て」
と、古橋を呼ぶ。
理央「ほら、何か女の影みたいなのが写っているでしょう」
古橋「うーん」
理央「ほら、実際には何もない」
古橋「そうだな」
理央「ほらっ」
古橋「何、喜んでるんだ」
理央「証拠よ、証拠」
古橋「そうか?」
理央「もちろんっ」
古橋「もう一度見せて」
理央「(喜色満面)ええっ」
と、もう一度見て、みるみる表情を曇らせる理央。
ビデオの中の古橋の姿の後ろに写っている女の影が二つに増えている。
古橋「確かに、写ってるな」
理央「でも」
古橋「なに」
理央「さっきは後ろにいたのが一人だったような気が」
古橋「それが?」
理央「おかしい」
古橋「そりゃ、おかしいとは思うさ。なぜかはわからんけど」
理央「なんで。いったん写したものが変わるなんて」
古橋「どうしたら満足するんだ」
理央「わからなくなってきた」
古橋「じゃあ、またあの辺撮って見たらどうだ。それでだめなら帰るんだぞ」
理央「そうする」
と、また同じあたりにカメラを向ける。
じいっと我慢して撮るが、何もこれといったものは写らない。
無人の画が続くだけ。
古橋の声「どうだ」
理央「だめ。何も写っていない」
と、はっとして声のあった方を見る。
カメラを向けている方に、いつのまにか古橋が立っている。
だが、カメラにはその姿は写っていない。
理央「えっ」
改めてファインダーを確かめるが、現実には見える古橋がいない。
理央「そんな、ばかな」
古橋「そうだ、こんなに話したのに、まだ自己紹介もしていなかったな。私は古橋という。このビルの昔の管理人だ」
理央、戦慄して凍りついたまま聞いている。
古橋「さっきも言ったように、私はカメラが趣味でね。このビルの屋上から飛び降り自殺があった時、かけつけてとっさに持っていた携帯で写真を撮った。騒ぎがあって外に出たら、二人の若い女性が折り重なって死んでいた。そこで持っていた携帯で現場写真を撮った。こんなチャンスはそうそうないからな。だがその時、おかしな男がすごい剣幕でつかみかかってきた。まるでファンの記念写真を勝手に盗み撮られたような親衛隊といった勢いだった。私は、当たり前だが、死んだ二人とは何も面識もなかった。だが、身に危険を感じて逃げた。走って、ビルに逃げ込んだ。奴は、ビルに入ったとは思わなかったんだろう、ついてこなかった。それから、警察が来て、私にも聴取を行った。現場の写真を撮らなかったか、撮ったという目撃者もいるのだがと聞かれたんで、知らないと答えて、携帯のファイルも自主的に開いて見せた。こういうこともあろうかと、写真はもうウェブにアップして携帯本体の分は消去しておいたんだ。調べたって、何も出てこない。だが、あとでウェブの分をいくら見てみても、どこにもないんだ。くやしかったよ。必死になって探したが出てこない。どこにまぎれたのか。今でもどこにあの写真があるのか、私にはわからない。理不尽な話さ。あきらめきれない。まあ、昔は写真撮ると、命をとられるなんて思ってたそうだ。いつまでも歳をとらないまま、命を保っているんだからそう思ってもムリはない。写真に吸い取られた命が、この世のものともつかない世界であちこち行き来しているっていうのは、まあ想像してみて気持ち悪くはないイメージだ。霊なんて信じない俺が考えてもな。そうしてどこかにまだ二人がいて、また再会できるんじゃないかって思ったりもするんだ」
理央「あなたは死んだのよ、写真に撮った二人の恨みをかって」
古橋「バカを言うな。死んだ覚えなどない。こうやってぴんぴんしている。殺されても死なないと思うくらいだ。第一、恨みをかう理由などない」
理央の背後にいつの間にか、小夏・由希・昌子らしき影が立っている。
戦慄して、黙り込む理央。
振り返れない。
小夏「あの男は今でも生きていると思っている。どう死んだのかも覚えていない。どうあたしたちに嬲り殺されたかも。そして、永遠にこの場所から離れられない。ビルが取り壊されても、ビルの管理人を続ける。本当は嫌い続けている仕事を続ける。ありもしない、何にもならない仕事を続ける。あの世にも行けず、永遠に。どんな恨みをかったのかも、どんな恨みを持ってたのかも忘れて。理由のない、行き場のない恨みほど深く、終わりもない。でも時々、嬲り殺しの苦痛は思い出させてあげる。何度でも、嬲り殺してあげる。ただし誰にやられているのかはわからせないで。だって、あたしたちに会いたがってるんだから、会ってやらない。どっちが苦しいのか。生きているのか死んでいるのかわからないヘビの生殺しが永遠に続くのと、嬲り殺しが永遠に続くのと。でもどっちか選ぶことはない。どっちも味あわせてあげてるから」
理央、振り向く。
理央の背後の霊たちはいなくなっている。
古橋「どうした」
理央「帰ります」
古橋「そう? 急がなくて、いいんだよ」
その顔が突然、すさまじく歪み、激痛の絶叫が轟きわたる。
理央、出口から出て行こうとする。
溶暗…。
理央の悲鳴。
ビデオカメラが誰もいない屋上に転がっている。
理央がその中でしゃべっている。
「私は今、心霊スポットにいます。本当にここに霊がいるのかどうか、これから見てみたいと思います。うーん、あたしの霊感にびんびん来てます…」
(終)
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