原題はただのEMPEROR。天皇をエンペラーというのは、なんだか違和感がある。
皇帝というと絶対的権力を持ち全てを支配する者、という印象なのだが、日本の天皇は古代においてすら絶対的支配から遠かったし、明治以後の理念としての絶対性とは裏腹に実際の権限を持っていたとはいいにくい。
形式的には陸海軍を統べる立場だったはずなのに、実際には権限を行使しないことと、逆に最終的に聖断を下すことで権威を保ったともいえる。
その権威というのが天皇自身に集中するわけではなく、皇祖皇宗からの連続性や日本全体のかたちといったもの、極端にいえば「なんとなく」といったものにとらえどころなく拡散していってしまう。まことに説明しにくいシステムであり、しかも天皇主義者が懸命に話せば話すほどわからなくなる。
かたちを守る、という点では一貫しているといえるだろうか。そのためには昭和天皇自身の処罰も甘んじて受けると告げるあたりはいわゆる合理的思考からは出てこないし、あなたまかせのようでついに崩れない。
アメリカ側のもくろみ、として天皇を処刑したら日本が叛乱を起こすとかアカが入ってくるとかを恐れていたというのは一定の説得力を持つが、どうもそれだけで説明できるものでもない。そのあたりの説明しにくいところになんとか分け入ろうとして道半ば、といった感じ。
夏八木勲がすごくやせて登場。いきなり御製を朗誦するかなりとっぴな感じのシーンの一種浮世離れした感じが強く出た。
ラブロマンスの箇所でがくっとつまらなくなる。天皇と直接関係ないじゃない。しかもドラマの半分を占める。
天皇の戦争責任に関して有罪の証拠を探すのではなく無罪の証拠を探す、というのも法的には奇妙な気がする。あることではなくないことを要求するのは、悪魔の証明ではないか。
イラク戦争を始める前にアメリカは戦後処理を日本をモデルにして行おうと考えていると聞いた時、正気かと思ったものだが、たとえばイラク人から見たら天皇というのはどう見えるのだろう。イスラムの絶対性とは対極にあるような気がするのだが。
日本は、あるいは天皇は戦争責任をとっていないから、戦後処理が曖昧なままになっているとか総括ができないとか聞かされると、戦争責任なんてはっきりさせられるものなのか、仮にはっきりしたところで後はずっと問題なしで無事済むのかというと、相当に怪しいものだと思わざるをえない。
昭和天皇とマッカーサーの写真を撮るシーンでシャッターは一度しか切られないが、実際は目をつぶったり口を開けたりでNGになったのが二点ある、と「マッカーサー元帥と昭和天皇」(集英社新書 (0013))にある。
会談シーンの天皇の態度に意外なくらいぐっとくる。そういう作劇とはいえ片岡孝太郎がほとんどワンシーンだけの出演で全編の印象を締めた。日本人出演者が変な日本人に見えず、英語を含めてそれぞれまともな芝居をしているのは好感が持てる。
焼け跡のスケールは日本映画ではできないレベル。
焼け跡で、二つばかり小さな畝を作って何やら作物を育てているのが見えるのには感心した。
飲み屋で日本人に絡まれてぶちのめされる場面があるけど、当時のひょろひょろした栄養状態(そんなに栄養状態悪く見えない)の日本人が三対一とはいえ進駐軍に手を出したかな。それに高級将校が一人で飲みに出かけるものかな。
日本家屋のセットは以前に比べるとずっとまともになったけれど、障子がタイルみたいに見えたりする微妙に変な感じ、というのはまだいくらか残る。
(☆☆☆★)
本ホームページ
公式サイト
終戦のエンペラー@ぴあ映画生活
皇帝というと絶対的権力を持ち全てを支配する者、という印象なのだが、日本の天皇は古代においてすら絶対的支配から遠かったし、明治以後の理念としての絶対性とは裏腹に実際の権限を持っていたとはいいにくい。
形式的には陸海軍を統べる立場だったはずなのに、実際には権限を行使しないことと、逆に最終的に聖断を下すことで権威を保ったともいえる。
その権威というのが天皇自身に集中するわけではなく、皇祖皇宗からの連続性や日本全体のかたちといったもの、極端にいえば「なんとなく」といったものにとらえどころなく拡散していってしまう。まことに説明しにくいシステムであり、しかも天皇主義者が懸命に話せば話すほどわからなくなる。
かたちを守る、という点では一貫しているといえるだろうか。そのためには昭和天皇自身の処罰も甘んじて受けると告げるあたりはいわゆる合理的思考からは出てこないし、あなたまかせのようでついに崩れない。
アメリカ側のもくろみ、として天皇を処刑したら日本が叛乱を起こすとかアカが入ってくるとかを恐れていたというのは一定の説得力を持つが、どうもそれだけで説明できるものでもない。そのあたりの説明しにくいところになんとか分け入ろうとして道半ば、といった感じ。
夏八木勲がすごくやせて登場。いきなり御製を朗誦するかなりとっぴな感じのシーンの一種浮世離れした感じが強く出た。
ラブロマンスの箇所でがくっとつまらなくなる。天皇と直接関係ないじゃない。しかもドラマの半分を占める。
天皇の戦争責任に関して有罪の証拠を探すのではなく無罪の証拠を探す、というのも法的には奇妙な気がする。あることではなくないことを要求するのは、悪魔の証明ではないか。
イラク戦争を始める前にアメリカは戦後処理を日本をモデルにして行おうと考えていると聞いた時、正気かと思ったものだが、たとえばイラク人から見たら天皇というのはどう見えるのだろう。イスラムの絶対性とは対極にあるような気がするのだが。
日本は、あるいは天皇は戦争責任をとっていないから、戦後処理が曖昧なままになっているとか総括ができないとか聞かされると、戦争責任なんてはっきりさせられるものなのか、仮にはっきりしたところで後はずっと問題なしで無事済むのかというと、相当に怪しいものだと思わざるをえない。
昭和天皇とマッカーサーの写真を撮るシーンでシャッターは一度しか切られないが、実際は目をつぶったり口を開けたりでNGになったのが二点ある、と「マッカーサー元帥と昭和天皇」(集英社新書 (0013))にある。
会談シーンの天皇の態度に意外なくらいぐっとくる。そういう作劇とはいえ片岡孝太郎がほとんどワンシーンだけの出演で全編の印象を締めた。日本人出演者が変な日本人に見えず、英語を含めてそれぞれまともな芝居をしているのは好感が持てる。
焼け跡のスケールは日本映画ではできないレベル。
焼け跡で、二つばかり小さな畝を作って何やら作物を育てているのが見えるのには感心した。
飲み屋で日本人に絡まれてぶちのめされる場面があるけど、当時のひょろひょろした栄養状態(そんなに栄養状態悪く見えない)の日本人が三対一とはいえ進駐軍に手を出したかな。それに高級将校が一人で飲みに出かけるものかな。
日本家屋のセットは以前に比べるとずっとまともになったけれど、障子がタイルみたいに見えたりする微妙に変な感じ、というのはまだいくらか残る。
(☆☆☆★)
本ホームページ
公式サイト
終戦のエンペラー@ぴあ映画生活