なんというか、えーっ、これが高倉健? これが金田一耕介? これが横溝正史? これが悪魔の手毬唄?とびっくりしっぱなし。1961年の製作で、市川崑による映画化は1977年だから、今になってみると意外と間が空いていないのだが、市川版による横溝映画のイメージがひとつのスタンダードになってから見るとすごい落差。
東映ではなくニュー東映の製作で、会社のマークが本家の海の波ざっぱーんに対して火山の煙もくもくというのが今になると珍しい。
金田一役は当時30歳の高倉健で、サングラスをかけてスポーツカーに乗り襟を高く仕立てたノータイのスーツにカラーシャツ、といういでたちで登場、ずっと後の「神戸国際ギャング」あたりで辛うじてこんな恰好をしているのだが、今の健さんのイメージ抜きで見たらすごいいかがわしく見えるのではないか。
しかもいきなり隣に座った学生がどこの大学か言い当てるというシャーロック・ホームズばりの推理(ポケットに大学の紋章が入った封筒が突っ込んであるのを見ただけじゃないのか、という気がしますが)を開陳するという調子で、実際にこんな奴いたらどれくらい胡散臭がられるか。
手毬唄も村に伝わる古い唄ではなく、ラジオやテレビから流れる歌謡曲、という扱いなのだから戸惑う。見立て殺人とか殺し場そのものが見せ場になっている趣向などもなし。かなり(当時の感覚としては)スマートに仕立てようとしたと思しく、スマートというのは土俗的なおどろおどろしい道具立てを排することだったらしい。
原作が出版されたのが1959年だが、どの程度売れたのだろう。後年の角川文庫みたいな売れ方ではないとは思うが。

本ホームページ
悪魔の手毬唄〈1961年〉@ぴあ映画生活
東映ではなくニュー東映の製作で、会社のマークが本家の海の波ざっぱーんに対して火山の煙もくもくというのが今になると珍しい。
金田一役は当時30歳の高倉健で、サングラスをかけてスポーツカーに乗り襟を高く仕立てたノータイのスーツにカラーシャツ、といういでたちで登場、ずっと後の「神戸国際ギャング」あたりで辛うじてこんな恰好をしているのだが、今の健さんのイメージ抜きで見たらすごいいかがわしく見えるのではないか。
しかもいきなり隣に座った学生がどこの大学か言い当てるというシャーロック・ホームズばりの推理(ポケットに大学の紋章が入った封筒が突っ込んであるのを見ただけじゃないのか、という気がしますが)を開陳するという調子で、実際にこんな奴いたらどれくらい胡散臭がられるか。
手毬唄も村に伝わる古い唄ではなく、ラジオやテレビから流れる歌謡曲、という扱いなのだから戸惑う。見立て殺人とか殺し場そのものが見せ場になっている趣向などもなし。かなり(当時の感覚としては)スマートに仕立てようとしたと思しく、スマートというのは土俗的なおどろおどろしい道具立てを排することだったらしい。
原作が出版されたのが1959年だが、どの程度売れたのだろう。後年の角川文庫みたいな売れ方ではないとは思うが。

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悪魔の手毬唄〈1961年〉@ぴあ映画生活