梶原一騎について「英雄伝説の世界」と評した人がいて、つまり最初から選ばれたキャラクターだけが機能していてその他は単なる捨て駒にしかならない世界観のことを評したわけだが、それがここにもそっくり当てはまる。
主人公以外のキャラクターはことごとく主人公との関わり(それももっぱら損得)でだけ成り立っていて、それ自体独自に生きて動くことが基本的に許されていない。ドラマの作り方とすると迫力はあるけれど、ずいぶんいびつで、女の子の切り捨て方などひどいもの。
チャーリー・パーカーがシンバルを投げつけられた挿話が才能を開花させる方法のひとつのシンボルになっているわけだが、別に不必要な屈辱を与えられなくても才能開花させた人も多いのではないか。努力するのと他から屈辱を与えられるのとは別で、それが意図的なのかどうかごっちゃになっている。
事故にあっても根性で演奏会場でかけつけるってスポ根そのまんまの非合理的な意地の張り方。フレッチャーの自分の損になるに決まっている罠のかけ方といい、終盤展開が混乱している。こういう視野狭窄な世界に一種の魅力があるのはわかるが、クライマックスも音楽の快楽とは別のところに行っている感。
もっともそういった欠点が一方でいびつな迫力につながっているのは確か。
鬼コーチ役のJ.K.シモンズはテレビのLAW & ORDERの刑事事件にあたって精神鑑定にあたる精神科医・スコダ博士をセミ・レギュラーとしてずうっと出ていた人だが、あそこで見せた話す相手と距離感を保ちながらじっくり話を聞く姿勢とは似ても似つかないほとんどサイコなくらい相手を追い込んでいく迫力に恐れ入る。
(☆☆☆★★)
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