たとえばカラヴァッジョの光の表現の例として「エマオの聖餐」を置き、そのすぐ後にカラヴァジェスキのキリスト生誕の画を置く、とエマオではキリスト自身が光を斜め上から受けた陰影の濃い姿として描かれているのに対し、生誕図ではキリスト自身が光を放っているように周囲の人間たち下からの光を受けている、といった違いが興味深かったりする。
画題とするとメデューサをあしらった盾に始まってダビデとゴリアデのようにやたらと首をはねる画が並ぶ中で、カラヴァッジオの「ホルフェルネスの首を斬るユーディト」はなかったりする。単に揃わなかっただけかもしれないが、不在が逆に気になったりする。
この展覧会の売りである「法悦のマグダラのマリア」は実物を見ると顔色の悪さがただ事でなくて、死期が迫っているのをまざまざと感じさせる。
カラヴァッジョ展
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