ただし、それが単純に「勝ち抜いて」いく話であるより、音楽によって他人とつながっていく(連弾のシーンが典型)こと、天才はたとえ世界に自分一人しかいなくなってもピアノがあればピアノを弾くだろうと作中で語られるような孤絶した存在であるとともにやはりそれは現実にはありえないことで、才能(ギフト)は天才に恵まれるものであるとともに他者に音楽の歓びを贈与するものでもあるのを示す。
ピアノのコンペの話とするとタイトルがそのものずばり「コンペティション」というリチャード・ドレイファス、エイミー・アーヴィング主演、ジョエル・オリアンスキー(イーストウッドの「バード」の脚本の作者)監督脚本の映画があったが、実はその結末のつけ方が似ている。年齢制限が絡むのも一緒。ちなみに演奏シーンで徹底的に役者が演奏の指の動きを動きに関してはフルショットで長時間にわたって見せきるという形でショーアップしていたのがアメリカ映画式。
真似や影響ということではなく、才能の多寡の差というのはこういうものなのだろうと思わせる。
役者がどこまでピアノの演奏を再現できるのかと思って見ていたら、全員弾いているのを顔と入れ込みで撮っているカットを用意しているのは立派。
ただ一人ではなく四人もいるのでかえって一部だけ撮って後は吹替であろうことが見当がつきやすい。
演奏される課題曲がプロコフィエフとかバルトークみたいにいかにもポピュラーなクラシックから、やや現代的なとっつきにくいかもしれない曲になっているのが、日本の観客と音楽シーンの成熟ということかもしれない。
最初から音楽をがんがん鳴らすのかと思うと、初めにゴールドベルク変奏曲などいかにもな名曲を流すだけで一次予選は音楽なしで第二次予選になってからカデンツァを比較する曲の導入部がちょっとドビュッシーみたいだと思ったら、そのドビュッシーの「月の光」がもろに出てきて、これが先述の連弾のきっかけになる。この音楽の使い方の計算は相当周到なもの。
エンドタイトルで監督(兼脚本・編集)の名が他のメインスタッフと同じ並びと大きさで流れていくのにちょっと驚く。
ところどころに入る黒馬をはじめとするイメージカットはどうもしっくりこない。