主人公のフェルディナン・シュヴァル は「アウトサイダー・アート入門」椹木 野衣 で知っていたが、同書で持った印象とこの映画のとはずいぶん違う。
同書ではアウトサイダー・アートを他人に見られ、その結果何らかの反応を得て、よければ受け入れられるのを期待も考慮しないで内からの芸術的衝動だけに従って作られたアートと定義していて、従って映画のような家族との関わりは捨象されていた。
先日の「永遠の門 ゴッホの見た未来」は生前はまったく受け入れられない芸術家を描き、その孤独に即した形で良くも悪くも映画自体が通常のとっつきやすいドラマ形式を離れてしまったのとは対照的に、こちらは風変わりな父親を持って困りながらしかし愛情で結ばれた家族のホームドラマとして作られていて、ウェルメイドな作りは楽しめる一方で、フェルディナン自身の内的衝動の描写が手薄になった感は否めない。
それはフェルディナン自身の「作品」を見ればわかることだと割り切っているのかもしれない。また、郵便配達夫として生計を立てていたわけで、裕福ではなくても生活能力はあったこともホームドラマに仕立てられた所以だろう。