「スター・ウォーズ」サーガは最初に製作されたエピソード4からすべて劇場で見ているわけだが、かといってそれほど思い入れがあるわけではなく、本当に好きなのは「帝国の逆襲」だけと言っていい。
最も中途半端なところで終わった同作が一番満足感が高いというのも不思議な気がするが、お話といったものは完結するより続いていくものとして人を引き付けるのではないか。
最終作としてきれいにまとまったことは確かだが、まとめるために何者でもなかったキャラクターが何者かになるというドラマであるより、初めから何者かである一種の特権を付与することになった。
そのため、キャラクターが進化するよりは回帰する、特権的な存在である自己を発見するといったニュアンスが濃くなって、見ているこちらが自分を投影する余地が薄くなった。これは「ジェダイの帰還」(公開当時のタイトルは「ジェダイの復讐」)にも言えた、話をまとめるための方便感があれほどではなくても、繰り返された感。
端的に言って、作品世界が小さくなってしまうのだ。
キャリー・フイッシャーが自然に歳を重ねた感じでその年月がサーガが辿った年月に重なり、実際の死と作中の死と共にビリングのトップに来るのも自然に思える。
エンドタイトルのジョン・ウィリアムズの名に全9作をすべて担当しきった偉業を思い、感無量。
画作りでは思いきったアップの遥か後方に飛行物体がゆらめく陽炎の向こうに見えるといったメリハリの付け方と共に、どう考えてもCGなのに陽炎の空気感が自然に出ているのに驚く。「アラビアのロレンス」ばりだと思っていたら流砂が出てきたのにやはりと思う。