映画の本質はサイレントで、言葉は少ない方がい良く、「純粋」映画に余計な言葉を乗せるのがいいことなのか、という思い込みがどこかにあって、サイレント映画に生で音楽をつけた上映や現代の弁士による活弁をつけるにしても不純な感じがしていたのだが、それをライブの語り芸のひとつとして捉えたのがありそうでなかった視点。今またライブ体験としての映画館が一部で見直されているのとも通じる。
サイレント映画というと古臭い、と思ったら大間違いなのは知っていて、実は本物のサイレント映像表現の方が今見るとピュアな分、新しくすら見える。
そこまでは再現しなくて、劇中のサイレント映画を新しく撮り下ろしている(映画全体はデジタル撮影だが、ここはフィルム撮影)わけだが、ノスタルジックな再現であるよりむしろ当時のアヴァンギャルドなわけのわからなさ、通常のつながりを無視してつないでもなぜか成立してしまう、という微妙な、あえていうとわかりにくい線でまとめている。
サイレント映画というと古臭い、と思ったら大間違いなのは知っていて、実は本物のサイレント映像表現の方が今見るとピュアな分、新しくすら見える。
そこまでは再現しなくて、劇中のサイレント映画を新しく撮り下ろしている(映画全体はデジタル撮影だが、ここはフィルム撮影)わけだが、ノスタルジックな再現であるよりむしろ当時のアヴァンギャルドなわけのわからなさ、通常のつながりを無視してつないでもなぜか成立してしまう、という微妙な、あえていうとわかりにくい線でまとめている。