prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「前科者」

2022年02月05日 | 映画
有村架純の保護司が担当しているもう少しで保護観察期間が終わる受刑者森田剛がどうやら警官を襲って拳銃を奪い連続射殺事件を起こしているらしい、というお話とすると、作り過ぎではあるけれどサスペンスドラマとして成立するが、すぐ真犯人を割ってしまうのでサスペンスにならない。

なぜ期間が終わるまで待てないのかという理由づけも納得できるものではなく、むしろ終わるのを待った方がいいはずで、また、警察が受刑者周囲の人間関係についてまるで知らないってことあるか。

更正できるかどうかには、いわゆる世間一般が受け入れるか、あるいは受け入れないかが極めて重要だと思うのだが、一般市民がここではほとんど出てこない。コンビニの上司に自動車整備工場の社長くらい。後者は受刑者の身元引受人に近いのだから、受刑者がおとなしくしていられるかどうか無関心ではいられないはずだが、ほぼ描写としてはスルー。

保護司は無報酬なのでコンビニでバイトしているというヒドい待遇なのだが、そのあたりの生活実感やそれでも犯罪者の更正に尽くす熱意の描出も通りいっぺん。制度批判くらいあっていいのではないか。

細かいこと言うが、森田が一人暮らしのアパートの自室に帰ってきていきなり開けて入るので、あれ鍵かけてないのかと訝しく思った。
しばらく後で中に他に人がいたのがわかるのだが、だから鍵かけてなかったと腑に落ちるには描写そのものが曖昧。それにこの場合、中の人間を他人に見せてはまずいので、むしろ鍵かけないとまずくないか。

二度目の殺人が通りすがりの人間をいきなり撃つみたいに見せる(つまり無差別殺人に見える)必要あるか?
普通に狙った相手を撃つように描かないから後で説明するのが無理やりに見える。

つまりはお話作り過ぎ。それで作り物のサスペンスを盛り上げるだけの技術があるわけでもない。
普通に更正できるかどうかで十分ドラマもサスペンスも作れるのではないか。
原作マンガはいくらか読んでいたが、一話一話もっとすっきりしていたぞ。原作者が脚本書いているのだが。

その犯行の動機にしても、邦画では毎度のことながら回想シーンで説明するのって、誰か回想シーン禁止令出さないかと思うくらい。

リリー·フランキーの家周辺のクライマックスが終わった後でもう一回サスペンス風の展開付け加えるの蛇足だし、その後ハナシ終わっているのに長々しいセリフでなぜ保護司になったか語るだけでなくそれを受けてまた長々と喋るのはもう勘弁してほしい。そういうのはもっと前に言ってくれ。
悪い意味でテレビドラマみたい。

保護司と刑事が元同級生で元恋人という設定は、はっきり言ってジャマ。これも、またですかと言いたい。

有村架純が役でブサイクに作っているのかと思うと、ブサイクに撮ってしまっているのではないかと疑いたくなる。商業映画でそれはないでしょ。

正直、ここまでボロクソに言う出来だとは思わなかったぞ。