双子の保育園児の女の子が、片方だけメガネをかけていて微妙に左右対称になっていない、微妙にずれているのが出来すぎなくらい映画的。
焼けかけた跡が残っている8ミリフィルムになお姿をとどめている家族の姿が、惨禍にあいながらなお受け継がれ存続していく命を思いがけず形にして見せる。
焼けかけた跡が残っている8ミリフィルムになお姿をとどめている家族の姿が、惨禍にあいながらなお受け継がれ存続していく命を思いがけず形にして見せる。
8ミリフィルムを編集機にかけてテープでつなぐなど、ほとんど見られなくなった光景だろう。
流産した次男の、まことにわずかな量の遺骨が残っているのは粛然とする光景。
さんざん映像では見慣れているはずの京都の街や自然が意外なくらい新鮮。
被災者というと震災などの大災害の被害者のイメージがまず浮かぶが、普通の(というのも何だが)火事でも被災した人にとっては深刻なダメージであることがありありとわかる。
本物の火傷の跡が痛々しくも、治っていく過程も本物であることが記録されている。
薬の袋に「原正孝」と本名が書いてあるのが当たり前なのだけれど、何か不思議な感じ。
数日は公民館にいられても、その後は出なくてはいけないなど、本当に被災した時の経緯も実は全然知らなかったことがわかる。