本題というべきアポロ11号による月面着陸映像が実はフェイクだった(のかもしれない)という「カプリコン1」的モチーフが出てくるのが中盤過ぎと割と遅くて、それまではスカーレット・ヨハンソンのいかにも海千山千の広告屋とチャリング・テイタムの元空軍パイロットで元宇宙飛行士候補のNASAスタッフの喧嘩友達式のロマンスが発展していくクラシックなラブストーリーが占める。
クラシックな味わいは音楽や服装もそうだし、ワイプといった技術的処理にも見られる。
アポロ計画の時は「宇宙飛行士の妻」というカテゴリーがあるくらいで、宇宙飛行士はもちろんNASAのスタッフも全員男。
ちなみにソ連の女性宇宙飛行士のワレンチナ・テレシコワがボストーク号宇宙を飛んだのは1963年、アメリカ初の女性宇宙飛行士サリー・ライドがチャレンジャー号で飛んだのは1983年と単純にどっちがフェミニズム的に“進んでいる”かという比較はできないにせよ20年も遅れた。
その中で広告屋(個人営業に近いが)を女がつとめるというのは、隙間に食い込む余地がある時代という意味で適切なのかもしれない。
「ネットワーク」で超敏腕テレビプロデューサーをフェイ・ダナウェイがやっていたのも当時とすると時代の先取りだったか。
月面着陸を撮るカメラが初め重くて乗せられないと渋られるなど、映像の価値が今では考えられないくらい軽かったらしい。
電器屋の店頭から盗まれるテレビに堂々とSONYの文字があるのも時代ですな。
映像が頭から虚構と捉えられていた時代の産物ということになるか。
1969年の月面着陸のちょっと後、1970年の大阪万博の展示の多くがみどり館のアストロラマなどの映像だったことに対して朝日新聞だったかがそういう映像=虚構といった発想の論評をしていたと思う。
月面着陸のフェイク映像と本物の映像とがクライマックスで交錯するあたり、本物とされている再現映像もまたフェイクには違いないというのに目眩がする。
ロバート・ゼメキスの初期作「抱きしめたい」のクライマックス、本物のビートルズはテレビカメラのモニターで、そっくり同じ振り付けをロングに引いたサイズで役者にやらせたのを同じ画面を収めて見せた演出をちょっと思い出した。
フェイク映像を演出する監督がしきりとスタンリー・キューブリックと比較されるのが可笑しい。
月面着陸映像はキューブリックが撮ったのだなどという妄説は実際にある。
その監督が連れてきたカメラマンが東欧系らしい。ヴィルモス・ジグモンド(スィグモンド)やラズロ・コヴァックスなど東欧から亡命してきた才能が頭角を現すのは1970年前後だったなと思う。