どこまで製作時に意識できたかよくわからないが、劇中映画「太平洋のサムライ」は、同時期に公開されている石原慎太郎製作総指揮の「俺は、君のためにこそ死にに行く」にあてつけているとしか見えないし、事実映画の外で作り手同士で言い争いになっている。もちろん撃墜王・坂井三郎の自伝
「大空のサムライ」![](http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=prisosblog-22&l=as2&o=9&a=4769820011)
のもじりでもあるだろうし、第一「困った時の特攻隊(と、忠臣蔵)」という言葉が映画界にはあるくらいで、それら全部に対する反論でもあるだろう。
単純に言って、特攻で死んだ人のおかげで今日本で我々が平和に暮していられる、という政治家好みのリクツは私にも理解できない。生き延びていた方が、よっぽど日本のために役に立てたろう。
特攻隊員が靖国に祀られるのを望んでいるなどと考えるのは想像力不足で、むしろぶっ壊しにかかるのではないか、という笠原和夫の意見の方が説得力がある。
村田雄浩扮するヒロインの親戚が「英霊を忘れないためにって、俺たちのことも忘れるなよ」と言うが、実際、特攻に使われた韓国人というのもいるのだ。それどころか、憲兵をつとめた韓国人もいる。たとえば姜 尚中 の自伝「在日」では、叔父が半島で日本軍憲兵だったとある。タテマエとしては韓国人も「帝国臣民」だったのだから不思議はないのだが。
日本軍軍属になっていた韓国人を描いたのは「戦場のメリークリスマス」(1983)以来だろう。ただ、日本以外のシーンはどうも図式的な印象が強く、下半身が吹っ飛んでいるといったどぎつい描写の割に(その手の描写にアメリカ映画で慣らされているせいもあって)リアリティが薄く、「戦争美化」に対するアンチにはなりえていないと思う。
南方の描写で大きな石の貨幣が出てくるのは、園山俊二の原始人マンガか、と思ったくらいだし、ベトナム戦争の捉え方も、ニューシネマの時代ならいざ知らず、アメリカ=悪・南北統一=善という描き方では今ではとても説得力がない。
ラサール石井扮する「太平洋のサムライ」のゼネラル・プロデューサーが「西郷どんの犬」で大当たりを飛ばし興収30億なんてぶち上げているのは、奥山和由の「ハチ公物語」あたりにあてつけている感じ。「男たちの大和」の角川春樹にもか。
物語の設定は1974~75年だが、78年の公開された「スター・ウォーズ」の興収が30億くらいなのだから、いくらなんでも多すぎ。微妙に今の金銭感覚が入っている。
芸能界に在日が多いというのは常識だが、それを陰に隠れてこそこそ噂するのではなく、はっきり描いたという点で 突き抜けた 、と言える。現にカミングアウトしている在日の芸能人がこの映画にも何人か出ている。
見ていてユダヤ人に対する言説を口に戸を立てタブーにすること自体が差別になることを描いたアメリカ映画「紳士協定」(1947)をちょっと思い出した。非ユダヤ人の監督とユダヤ人のプロデューサーが組んだ、という意味で、日本人の監督と在日のプロデューサーが組んだこの映画の作りにも近い。
日本人が在日の敵と味方にはっきり分かれて異動がない、というのはドラマ的に物足りないし、クライマックスもやや頭で作った感じ。
(☆☆☆★)