prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「七人のマッハ!!!!!!!」

2007年06月10日 | 映画
サッカーをはじめ、色々なスポーツの選手たちが特技を生かしてテロリストと戦うというマンガみたいな趣向だが、出演者が身体を張って今では香港映画でもやらないような決死的スタントを演じているのが何より見もの。
ただ、すごいには違いないが、サービス精神とか芸人根性というより、なんだか命が安く扱われているみたいで、どうもひっかかる。
女性が戦うのは当然として、子供や片足のない身障者まで飛び跳ねてぶんぶん手足を振り回して戦うのだから驚く。

核ミサイルを発射しておいて、あとどうなったのか描くのを忘れてしまうという雑なマネも逆になかなかできないと思う。
(☆☆☆)



「えんがわの犬」

2007年06月09日 | 映画
日本映画らしい筋らしい筋なしでぼうーっと見せて、なんとなくいい気分になるという映画。手持ちカメラを使ったり、ディフュージョンを多用したりといったところで映像センスが先行するのが昔と違うところだが。

松重豊の役がエンド・タイトルを見ると老人の息子とその同級生の二役、というのは意味がよくわからない。ラスト近くのシーンを見ると、息子は死んでいるのでは?老人の目が見えないからわからないってこと?
(☆☆☆)


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「毛皮のエロス ダイアン・アーバス 幻想のポートレート」

2007年06月08日 | 映画
ダイアン・アーバスの名前はスーザン・ソンタグの「写真論」で見たことがある程度で、身近にいる特殊な人間の写真ばかり撮っていた人だということくらいしか知らなかったが、役の選び方に才覚を見せるニコール・キッドマンがやると聞いて期待していた。

ロバート・ダウニー・Jrの多毛症の男は、どうも昔の(「ハウリング」前の)狼男みたいだなあと思っていると、Diane Arbusのダイアンという名前が初めのうちディアナと呼ばれているが、これギリシャ神話の月の女神の名前だと気づいた。
男はいわば狼男が月の光に照らされて変身するように、ヒロインに照らされて隠されていた姿を現した、ということなのだろう。初めのうち、何かを通して覗き見るようなカメラアングルを多用しているのも、隠されたものに迫っていく展開をわかりやすく示している。
室内になぜか小さなプールがあったり水も多用され、ラスト男が海に出て行くのも、一見貞淑な妻に見えたダイアンの隠されていた女性性が顕れていくのとシンクロしている。
凡庸な商業写真家の旦那が妻が、異世界に入っていくに従って自分もヒゲを生やしていくのが、なんだか可笑しい。

多毛症男は「スター・ウォーズ」のチューバッカにも似ているが、考えてみるとSWサーガは異形の者たちをずらっと揃えて見せる見世物的な感覚をオブラートにくるんでいたのではないか。

全裸の男の性器を正面から日本の一般の映画館のスクリーンで見るのは、初めての気がする。
あと、昔の「フリークス」に登場したような異形の者たちがぞろぞろ現れるのに一驚した。どこまで本物なのか、今の映像技術からしてよくわからないが、彼らがぞろぞろ天井裏から現れる光景は本物のフリークたちを大挙出演させたというホラー映画「センチネル」のクライマックスを思わせた。

プロダクション・デザイン(Amy Danger)が素晴らしく、そのまま現代美術として見られるくらい。
ヌードキャンプを歩く場面、本当はキッドマンがヌードにならないといけないところだが、なんでもアウトドアではどこからパパラッチに狙われるかわからないので吹き替えを使ったとのこと。
(☆☆☆★★)



「スパイダーマン3」

2007年06月07日 | 映画
なんか仇役が三人(というのか?)もいて、その上スパイダーマンまで悪に染まり(「スーパーマン3」もそうだったなあ)、仇役も必ずしも悪い一方ではなく同情の余地があるとなると、ドラマの図式がなかなかぴしっと決まらず、ぐらぐらしたまま時間を食う。善悪二分法でないから深みが出るってものでもないし。
その上、見せ場となるととにかくたっぷりという感じでやたら長々と続くので、いささかへたばった。
CGの専門誌で解説していたサンドマンの作り方の解説見ている方が面白い気がした。

悪くなった時のピーターの前髪を斜めに流した髪型は、ヒットラーがモデルだろう。

サンドマンの妻役でテレサ・ラッセル(「ジェラシー」1980)が出てきたのに驚いた。老けてはいるけれど、誰かわかる程度に食い止めている。
(☆☆☆)



「化粧師」

2007年06月06日 | 映画
化粧師が主人公、となるとメイクその見せられる映画向きではあるのだが、もともと綺麗な女優さんたちが改めて厚化粧するとなると、必ずしも目に見えて魅力的になるわけではないのがちょっと難しいところ。
美術や衣装、撮影は力が入っているが、その分昔の日本の貧乏の匂いが薄れた観がある。
(☆☆☆)



「パッチギ!LOVE&PEACE」

2007年06月05日 | 映画
どこまで製作時に意識できたかよくわからないが、劇中映画「太平洋のサムライ」は、同時期に公開されている石原慎太郎製作総指揮の「俺は、君のためにこそ死にに行く」にあてつけているとしか見えないし、事実映画の外で作り手同士で言い争いになっている。もちろん撃墜王・坂井三郎の自伝「大空のサムライ」のもじりでもあるだろうし、第一「困った時の特攻隊(と、忠臣蔵)」という言葉が映画界にはあるくらいで、それら全部に対する反論でもあるだろう。
単純に言って、特攻で死んだ人のおかげで今日本で我々が平和に暮していられる、という政治家好みのリクツは私にも理解できない。生き延びていた方が、よっぽど日本のために役に立てたろう。
特攻隊員が靖国に祀られるのを望んでいるなどと考えるのは想像力不足で、むしろぶっ壊しにかかるのではないか、という笠原和夫の意見の方が説得力がある。

さらに余談だが、坂井三郎は小林よしのりの「戦争論」を、戦争を知らない者の戦争論だと切って捨てているという。(松岡正剛・千夜千冊「大空のサムライ」より)

村田雄浩扮するヒロインの親戚が「英霊を忘れないためにって、俺たちのことも忘れるなよ」と言うが、実際、特攻に使われた韓国人というのもいるのだ。それどころか、憲兵をつとめた韓国人もいる。たとえば姜 尚中 の自伝「在日」では、叔父が半島で日本軍憲兵だったとある。タテマエとしては韓国人も「帝国臣民」だったのだから不思議はないのだが。

日本軍軍属になっていた韓国人を描いたのは「戦場のメリークリスマス」(1983)以来だろう。ただ、日本以外のシーンはどうも図式的な印象が強く、下半身が吹っ飛んでいるといったどぎつい描写の割に(その手の描写にアメリカ映画で慣らされているせいもあって)リアリティが薄く、「戦争美化」に対するアンチにはなりえていないと思う。
南方の描写で大きな石の貨幣が出てくるのは、園山俊二の原始人マンガか、と思ったくらいだし、ベトナム戦争の捉え方も、ニューシネマの時代ならいざ知らず、アメリカ=悪・南北統一=善という描き方では今ではとても説得力がない。

ラサール石井扮する「太平洋のサムライ」のゼネラル・プロデューサーが「西郷どんの犬」で大当たりを飛ばし興収30億なんてぶち上げているのは、奥山和由の「ハチ公物語」あたりにあてつけている感じ。「男たちの大和」の角川春樹にもか。
物語の設定は1974~75年だが、78年の公開された「スター・ウォーズ」の興収が30億くらいなのだから、いくらなんでも多すぎ。微妙に今の金銭感覚が入っている。

芸能界に在日が多いというのは常識だが、それを陰に隠れてこそこそ噂するのではなく、はっきり描いたという点で 突き抜けた  パッチギ 、と言える。現にカミングアウトしている在日の芸能人がこの映画にも何人か出ている。
見ていてユダヤ人に対する言説を口に戸を立てタブーにすること自体が差別になることを描いたアメリカ映画「紳士協定」(1947)をちょっと思い出した。非ユダヤ人の監督とユダヤ人のプロデューサーが組んだ、という意味で、日本人の監督と在日のプロデューサーが組んだこの映画の作りにも近い。

日本人が在日の敵と味方にはっきり分かれて異動がない、というのはドラマ的に物足りないし、クライマックスもやや頭で作った感じ。
(☆☆☆★)



「バベル」

2007年06月04日 | 映画
ちょっと大風呂敷の広げすぎ、って感じはする。テーマも含めグリフィスの「イントレランス」ばり、というか。
同じ地球上に住む人間、というくくり方は理屈の上ではともかく実感とするのはいささかムリがあって、大きく三つのパートに分かれてはいるが、そのうちの一つ扱いになっているアメリカ=メキシコが地続きであっても国境と法律という人為的で抽象的な方法で断絶していて、最も善意のおばさんを追いこむあたりの不条理感が手ごたえがあった。

モロッコの警察と、アメリカ=メキシコ国境警備隊が、何かというと銃をいつでもぶっ放せるよう身構え、実際に発砲するのに対して、日本の警察は銃に手をかけさえしない。
そのヌルい(?)国であるところの日本発の銃がコトの始まり、というのはアイロニー狙いなのかどうか、ちょっと今みたいに日本でも銃の発砲事件が多くなると判断に困るところ。

菊池凛子がディスコに入っていくとアースウィンド&ファイアの大音響がふっと聾唖者役の主観に従って無音になるのが悪夢的なリアリティがあって(「プライベート・ライアン」の音響処理を思い出した)、渋谷の映画館で見たのだが現実の渋谷の街自体が現実離れしたおもちゃの街のように感じられるような感覚の顛倒があった。

「キル・ビル」の栗山千明もだが、ああいうキツい感じの、三白眼がかって見えるのがあちらでは印象が強いのかな。
(☆☆☆★)



「こわれゆく世界の中で」

2007年06月03日 | 映画
話だけ見ると不倫とケチな犯罪、軽い精神障害と、あまり大きなネタを使っていないが、ロンドンも人種のるつぼ(サラダボウル?)になっているせいか、自然と世界的な広がりを持つことになる。
ラストのまとめ方がちょっと性急な感じがする。キングス・クロス周辺のあまり見たことのない地域のロケーションが魅力的。
(☆☆☆)



「荒野のガンマン」

2007年06月02日 | 映画
サム・ペキンパーの劇場用映画デビュー作。
後年のような迫力あるアクション・シーンもないし、主人公のダメ男ぶりはどちらかというとニューシネマ的で、西部劇が解体しきった今見ると辛気臭くていけない。
モーリン・オハラだけ西部劇している感じ。
(☆☆★★)


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「ハイウェイマン」

2007年06月01日 | 映画
「ヒッチャー」のロバート・ハーモン監督というので、見てみた。
寒色を基調にした色調とすぱっと空間を鋭角的に切り取ってくるビジュアル・センスと、カーアクションの凝り方は同じ。

ひき逃げしてまわる運転手の姿がよく見えないのは「激突!」、外から見ると車のフロントガラスが真っ黒で生き物みたいに動き回るのは「ザ・カー」、妻をひき殺された男の復讐譚という趣向は「マッドマックス」といった具合にどこかで見たようなB級感も同じ。

劇場用作品数がバカに少ないので、その間何してるのかと思ったらテレビ撮ってるのね。「ストーン・コールド」とか。

時間が82分(アメリカ版だと80分)とやたら短いので、木曜洋画劇場2000回記念の予告をしこたま流して時間を埋めていた。
(☆☆☆)


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