prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

2月16日のつぶやき

2020年02月17日 | Weblog


「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」

2020年02月16日 | 映画
全編にわたる基軸言語がフランス語というのが面白い。
国際化=英語化に対するアンチというニュアンスもあるのか。

グローバル化の進行により出版も世界各国に一斉発売することになり、各言語の翻訳家たちを集めて缶詰めにして原稿をちょっとづつ渡して訳させるわけだが、日本語入ってませんねえ。マーケットとしては相当大きいはずだが、アジアを代表させるとなると今では中国に自然になるというわけか。

密室劇かと思ったら、空間も時間も自在に交錯させて順々に謎を明かしていく語り口が面白い。

出版があまりに商業主義化していることに対する批判がかなり入っている。
現代の小説あるいは出版の効率主義に対置されるのがプルーストの「失われた時を求めて」になるのは納得。これくらい効率主義と遠い小説もない。





2月15日のつぶやき

2020年02月16日 | Weblog


「ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密」

2020年02月15日 | 映画
舞台になる物々しいお屋敷のたたずまいといい探偵役のダニエル・クレイグといいイギリスっぽいのだが、アメリカの話。

クレイグが007の時のこわもてぶりとは大きく調子を変えてかなり軽いお喋りな調子で演じているのがおもしろい。

クレイグの台詞で「ドーナツのように真ん中が空白になっている」と何度も繰り返す(繰り返しすぎて警部にツッコまれるくらい)のだが、屋敷に置かれたナイフがドーナツ状に中央に向けてぐるっとドーナツ状に配置されている装飾がドーナツの性格を解説している格好。

キャリアのある年配のスターがずらっと並んで誰が犯人かというアガサ・クリスティーばりの趣向なのだが、話の軸になるのが移民の娘の若い看護師なのでこちらが目立つ、というより最後まで見るとこの若く貧しく正直な娘(ウソをつくと文字通りゲロを吐いてしまう、という冗談みたいな設定が可笑しい)が強欲でウソつきの金持ち連中に対してドーナツの穴的な存在になっているという構図に収まる。

「ダイ・ハード」と同じように親が不法移民なのをばらすぞと脅されるあたり,進歩がないというか状態が悪化しているというか。
ちょっとイギリスっぽい視点から成り上がりのアメリカ人を見下しているニュアンスもある。

場所や人物が限られているので舞台劇みたいに閉鎖的になりそうなのを、複数の人物の違う時間に行われた証言をシャッフルするように編集して映画的に再構成している技法がさりげないが新鮮。





2月14日のつぶやき

2020年02月15日 | Weblog


「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」

2020年02月14日 | 映画
ドン・キホーテ物語とそれを映画中映画にした監督と自分がドン・キホーテだと思い込んでいる老人とのロードムービーの体裁なのだが、どうも方向性がはっきりしないで混乱を混乱したまま見せられた感が強い。
「ブラジル」で見せた圧倒的な奇想のイマジネーションが想像に関する議論のカッコに入ってしまったようで、画としても割と普通。

作者の思い入れの強い作品には見る方としても同調したいのだが、正直置いてけぼりをくった印象の方が強い。
「ドグラマグラ」ではないが、長い時間かけて完成できないで作者がいじくり回しているうちにおそろしくわけのわからないものになった感あり。
完成したのは慶賀すべきことなのだが、完成するというのはそれ以外のこちらの想像の余地がなくなってしまうということでもある。

元のドン・キホーテ物語自体、ごく最初の方にある風車への突撃までは有名だが、実はその後がえんえんと続き、ドンとサンチョが作中世界で有名になってしまい、二人が有名であることを意識して振る舞うようになるという(読んでないので又聞き)。これ自体、話の二重底化でフィクションの上にフィクションを重ねていく構造のように思えて、案外そのまま映画化しても夢と想像とその否定と肯定に関する物語になったのではないか。




2月13日のつぶやき

2020年02月14日 | Weblog


「母との約束、250通の手紙」

2020年02月13日 | 映画
苦労させながら自分は犠牲になって息子を出世させる母というのとはかなり違っていて、大体かなり自分の才覚で金を稼げるたくましさ、生活力がある。
校長の奥さんをたらしこんだから少尉の位から外されたというウソを大したものだと喜んで聞くというのはなかなかこちらの感覚から外れている。

息子に一方的に外交官・軍人・文豪というかなりバラバラな成功モデルを押しつける迷惑な母なのだが、息子がまた紆余曲折ありながらそれ全部実現するのだからかなり凄い。
毒親のようでそうとばかりは言えないのが面白いところ。

シャーロット・ゲンズブールも老け役をやるようになったかと感慨。
ロマン・ギャリーというと「ペルーの鳥」の原作者で監督か、と思いだした。主演は当時の夫人のジーン・セバーグ。セバーグは公民権運動を支持したためFBIの監視といやがらせを受けて1979年に自殺、ギャリーは翌1980年に「自分の自殺はジーン・セバーグとは関係ない」と編集者に書き送って自殺した。こちらだけでもドラマになりそう。




2月12日のつぶやき

2020年02月13日 | Weblog


「ハマスホイとデンマーク絵画」展 東京都美術館

2020年02月12日 | アート
開催予定を知ってから一年、楽しみにしていたハマスホイ展(初めに知った時はハンマースホイ表記なのをよりデンマーク語発音に近いものにしての開催)に行ってきました。

彼に先立つ19世紀デンマーク絵画がまず展示され、森などを描く緻密なマチエールの一方で、印象派の影響も認められる点描技法、首都コペンハーゲンから遠く離れた地の海や漁師たちといったモチーフに対する一種のロマンチズムなどが印象づけられる。

北欧という先入観からは意外なくらい明るく柔らかい光が描かれているが、明るすぎず落ち着いた感じ。
人を後ろ姿で描くのは他の画家もかなりやっている。

しばしば誰もいない、いても後ろ姿であることが多い、多くのものが省かれたようで何かの気配、予感といったものが、静謐なタッチとは裏腹にざわめいている。
実物を見たすぐ後で複製を見るとこのざわめき大きく後退しているのかわかる。

祝日だったがむやみと混みすぎず落ち着いて見られた。



2月11日のつぶやき

2020年02月12日 | Weblog



「mellow」

2020年02月11日 | 映画
「空気感」という言葉は「関係性」と共になんだか聞いていて落ち着かない言葉で(「空気」や「関係」で済むのが大半だと思う)、妙な言い方になるけれど、その落ち着かなさを映画にしたみたい。
つまり必要以上にクッションを間においておそるおそる物を言っているみたいな感じなのです。

ドラマドラマした葛藤やプロットはほとんどなく、本来怒って言い争いになってもおかしくないようなシチュエーションでもなぜか怒らないでいってしまう。
朧豆腐だけ食べさせられたみたいで美味しくて気持ちよくはあるけれど、満足感という点では物足りない。

特別映像というのがエンドタイトル後についているのだけれど、そこで主演の田中圭が言っている評言があまりに当たっているので逆に妙な気分になる。





2月10日のつぶやき

2020年02月11日 | Weblog
メル・ギブソン監督の「パッション」(2004)か。



「山谷(やま) やられたらやりかえせ」

2020年02月10日 | 映画
"東京山谷の日雇い労働者が直面する現実や、敵対する暴力団との闘いを記録した自主製作映画。この「寄せ場」の闘争を通じて映画という手段を選んだ佐藤満夫(1947-1984)は、撮影11日目に暴力団組員に刺殺される。その遺志を引き継いだ労働者のリーダー山岡強一(1940-1986)と制作上映委員会は全国の「寄せ場」を行脚するが、その山岡もやがて凶弾に倒れた。映画史的な文脈から独立して闘争手段としての映画の可能性に賭けた本作は、日本のドキュメンタリーにおいて類なきポジションを占める。 "
(国立映画アーカイブの解説)

今の日本とはまるで別の国のよう。今は山谷といってもかつてのドヤ街は外国人バックパッカーが寝泊まりする場にシフトしているが、ここでの山谷はルンペン・プロレタリアートの闘争あるいはとんど革命の場のようですらある。
泪橋といっても、当然「あしたのジョー」の下町の風景とは大きく違う。あれは、ちばてつやが育った下町の風景だろう。

寄せ場のシャッターが開きかけると隙間からわらわらと日雇い労働者が殺到してくる図など、知識として知ってはいても実際に映像として見ると生々しさに圧倒される。

機動隊と一般人が揉み合って争う、しかも機動隊の方がやや下がりぎみで応対している図というのはまず今の日本では、よくも悪くも見られなくなってきている。
というか、昔はこういう争乱状態は異例であり排除すべき対象として捉えられていたのだろうが、今見ると、不正義と理不尽に対して一種動物的に生き物としてのエネルギーむき出しに争っていく姿はある意味健全にすら見える。

実際、ここであからさまな形で描かれる搾取と弾圧、警察が守っているのは体制であって市民社会でも、ましてや被差別民ではない(守る対象は体制によって恣意的に決められる)という事実そのものは実は表面的に見えなくされているだけで、それがむき出しになっていてわかりやすい。
さすがにこうも暴力団が表に出てくるのは認めない方針に転換してはいるだろうが。

国立映画アーカイブの上映は日曜16時からでもあるだろうけれど、一つの空席もない満席。「前に公民館で見たのよりずっと細かいところまでよく見えた」と連れと話している年配の人あり。