prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「フェラーリ」

2024年07月16日 | 映画
事故の場面が凄惨で、ギャラリーを文字通りなぎ倒す。なんでろくな防護柵もなしに車がびゅんびゅん走り抜けるそばで見てられるのだろうと疑問に思うくらい。

エンツォ・フェラーリが公私ともに最も追い詰められていた年に焦点を当ててるもので、レースシーンがお待ちかねという感じでまとまって描かれてもアンチクライマックスで終わることもあって、カタルシスは不足気味に終わってしまう。

レースカーがコースアウトしても割りと平気で他の車に乗り込んだりするのには驚いた。

妻ペネロペ・クルスが愛人シャーリーン・ウッドリーの存在を知らない様子なのにあれまと思う。





「ブリーディング・ラブ はじまりの旅」

2024年07月15日 | 映画
ユアン・マクレガーとクララ・マクレガーの実の父娘が父娘役で共演したのが話題の一作(配役序列はクララが一番、ユアンが二番)。

娘のアルコールとドラッグの依存症の治療施設まで父が連れていくまでのロードムービーで、依存症にしてはかなり症状の描写がぬるいのは気になった。父娘一般の話に寄せたのかもしれないが。

車内のシーンで首振りパンを繰り返したり、時制を無視したカットバックしたりと、どうも落ち着かない演出。





「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ」

2024年07月14日 | 映画
新人ドミニク・セッサ(2002.10.25生)がちょっとサム・シェパード似のオオカミ顔で野性味とナイーヴさを併せ持っていて、注目に値する。

「シャイニング」ばりに雪に降りこめられた大きな校舎の一部でしか暖房をかけていないという設定で、一度にではなく段階的に登場人物が減っていくあたりが上手い。

「いまを生きる」を思わせる男子校で調度など70年から71年にかけてのレトロ色が入っている。ベトナム戦争で息子を亡くしたダヴァイン・ジョイ・ランドルフの姓がLamb(仔羊)というのがなんとも皮肉で象徴的。

デジタル撮影でフィルムのテイストを出すのに選んだ技法(公式サイト所収)が面白い。

人を罵倒するのに「おまえは人の形をした陰茎癌だ」という表現は初めて見たわ。





「言えない秘密」

2024年07月13日 | 映画
台湾映画のリメイクとあとで知る。
お話の仕掛けで本来不自然になってないとおかしいところをひっかからないように処理しているのは良し悪し。泣かせようとしているのかしていないのかよくわからない。

部屋の様子が変貌していく時間経過あるいはその逆の処理は中途半端で、あんまり変わっているように見えない。





「潜水艦コマンダンテ 誇り高き決断」

2024年07月12日 | 映画
潜水艦というとドイツのUボートの印象が強いけれど、ここに出てくるのはイタリア海軍の潜水艦。1940年に潜水艦が当時は中立だったベルギーの一般船を撃沈し、投げ出された乗組員たちを救助するという矛盾した行動に出る。
一般船籍とはいってもイギリスに軍事物資を運んでいたわけで、沈めても言い訳は立つのだが、あえてそうしない。

イタリアというと1861年にイタリア王国に統一されるまでは各地方バラバラだったわけで、この映画のセリフでもシチリアと××(失念したがイタリアの地方)とでは別の国というより別の星だなどと言われている。

二度までも助けられた恩を忘れた捕虜にファシストと罵られて艦長がすごく怒るのだが、ファシズムの語源はラテン語の「ファスケス」(fasces、束桿)で、逆説的に束にならない、まとまらない集団といった意味を志向しているように思う。

最初のうち艦長が負傷してコルセットをしたり、半裸の女性(シルヴィア・ダミーコ)がピアノで「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲を弾いたりバスタブに一緒に浸かったり、各キャラクターでバラバラの詩的なナレーションがかぶさったりして、全体として「Uボート」の緊張感とは対照的な緩い場面が続く。
潜水艦の中でニョッキを作ったりするのも、食べる愉しみを忘れないようにしていると思しい。

高射砲で飛行機を打ち落とすのも、魚雷で船舶を撃沈するのも、基本的に潜水艦側の視点に固定されていて、イギリス軍側に視点が行くのは一回だけ。





「Shirley シャーリイ」

2024年07月11日 | 映画
エリザベス・モスのシャーリー・ジャクソンがそっくりのメイクで演じるのだが、それ以外のキャラクター設定がなんだかモヤっている。
現実と小説世界の区別があまりつかないように描いているからそうなるのだが、なんだか必要以上にわかりにくくしているように思える。

ちょっと「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」みたいな感触がある。





「クワイエット・プレイス DAY 1」

2024年07月10日 | 映画
音をたててはいけないという設定が秀逸だなと改めて思う。
沈黙の緊迫感とそれが破れた時のメリハリに加え、ここでは俳優たちがセリフに頼らないパントマイムか事実上サイレント映画の芝居で大半を押し切っている。
ポータブルラジカセに有線イヤホンを刺して聞くのがやや古い感じなのが、街の古色がついたクラブの道具立て同様に生きている。ラストで音楽を思い切り流すのが「決まった」感じ。

今回は前作までと違い、都会を舞台にしてガラスをばんばん割って大きな音を出すのも差別化している。





「EO イーオー」

2024年07月09日 | 映画
一匹のロバが主役というか、狂言回しをつとめる。
ロバというとおとなしく従順で黙って苦役に耐えるというイメージだが、それぞれあまり統一性のないエピソードを串刺しにして描いている。

ブレッソンの「バルタザールどこへ行く」が受難のロバのイメージで貫徹したとすると、こちらは一種のアンソロジーとして描いたと言える。

例によって、この映画では動物は殺しておりませんと出るが、内容上当然ではあるず、ロバの姿をフレームから外してボコボコに暴行するシーンはある。




「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」

2024年07月08日 | 映画
ハロルドが旅を始める動機が思いつきみたいで、なんだか納得できないなりにそういう人なんだろうと思って見ていたら終盤伏線のピースが組み合わさってなるほどと思うことになる。

中盤、巡礼みたいになってきて妙に持て囃されるあたり、このまま勘違いしてほしくないと思うが、幸いそうはならない。
あちこちの道端で食べ物が置いてあるあたり、実態としては喜捨=施しであり贅沢いわなければモノは十分あるのだろうな。

途中から同行してくる若者がハロルドの息子と自然にだぶってきて、というより息子がいたことが明かされるストーリーテリングは原作者が脚色も兼ねた長所と弱点が出ていると思しく、わかりやすく画面に出してしまうのがちょっと物足りない。





「ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命」

2024年07月07日 | 映画
「シンドラーのリスト」同様にナチスからユダヤ人を救い出した人物の実話だが、オスカー・シンドラーが自分の工場で働かせるユダヤ人の経費を安くあげるという打算的なところを見せた上でそれを見逃せなくなるという複雑な役どころだったのに対し、ごく単純に見て見ぬふりはできなくなるという感情が素直に描けている。

アンソニー・ホプキンスと若い時をやるジョニー・フリンのつながり具合がまた淡々としていて、このままさりげなく終わるのかと思うと終盤ぐっと盛り上がり、当人は心残りがあるようだったのが、思った以上に命を救った重さが実感される。





「ふたごのユーとミー 忘れられない夏」

2024年07月06日 | 映画
驚いたのは、一卵性双生児の役を演じているのはてっきり一卵性双生児そのものだとばかり思ってたのだが、新人ティティヤー・ジラポーンシンがひとり二役の合成で演じているのだという。

こういうと何だが、タイみたいに「発展途上」と思われている国柄で、画面も大半は田舎を舞台にいかにも鄙びた感じでまとめているもので、そんなに高度な合成技術を使っているとは思わなかった。とにかく本当に同じ顔の人間が二人いるとしか思えない。もう一度見て確かめてみるか。
そして一卵性双生児そのものなのは監督のワンウェーウ・ホンウィワットとウェーウワン・ホンウィワットのふたりの女性の方というのがまたびっくり。

また驚いたのはティティヤーが2005年1月4日生まれ、つまり撮影時はおそらくハイティーンだったわけで、てっきり日本だと中学生くらいの歳だとばかり思っていた。体格が小学生なみに細いし、作中で初潮を迎える設定だったりするのだから。

冒頭のレストランや映画館のシーンは、一人分の料金でズルして二人食べたり見たりしているのでないと意味が通じないのだが、あの描き方では二人分の料金をもう支払ってしまっている、どこがお得なのかわからないとしか思えない。
そのあたりの描写でひっかかるところが散見する。

緑や水の透明感豊かな風景の魅力が大きい。
そればかりでなく、両親が離婚してどちらがどちらを引き取るのかというところで文字通り難しい決断を迫まれる。

Y2K=2000年問題というのが出てくるので、そういえばそんなのあったなと思い出した。考えてみると、ノストラダムスが予言していたのが1999年7の月で、ややずれて大晦日になったとはいえ、妙にタイミングが合ってはいるのだね。

タイの縁日みたいな祭で射的だの綿アメだのメリーゴーランドなどが出てきて、それらが同じような道具立てなのだが色彩感覚や造形感覚が歴然と違うのが面白かった。





「ディア・ファミリー」

2024年07月05日 | 映画
予告編の押しつけがましさにはヘキエキして、こういう調子でやられたらかなわないなと思ったが、「キングダム」の二作目の予告編もそんな調子だったが本編みたらそうでもなかったので、予告編だけで決めるのはどうかと思って本編の見参に及んだ。

それともうひとつ医学とはまったく無縁の銀行員が子供の命をすくうために猛勉強して研究上の奇跡を起こす実話ものとして「ロレンツォのオイル 命の詩」があったが、あれの監督は当人が医者でもあるジョージ・ミラーだからそれが一種の説得力にもなっていたと思うが、今回はそれは期待できない。

で、前半三分の二くらいは樹脂関連のメーカーの社長・大泉洋が異常にポジティブで諦めるということをおよそ知らず心臓に疾患を抱えた娘のためにひたすら人工心臓の開発に邁進するわけで、いささか「プロジェクトX」のようでもあり、それにしては老いた大泉と菅野美穂が出る冒頭の叙勲式でバルーンカテーテルの開発に功績ありと言ってなかったかと最初にネタバレしている割にズレているのが不思議だった。

不思議といったら病気の娘・福本莉子が自分の命と大勢の人の命を引き換えにする?よう頼み、常識的に考えればついていてあげるべき娘がいるのに父親は娘そっちのけで研究に没頭する。感動の押し付けも困るが、ひとり合点というかどうも感情移入しずらいキャラクターだなと思った。

女の子の遺影が出てくるところで福本が死んだのかと早とちりしたが、これは福本の隣のベッドで入院していた女の子。福本がいつもかけている太い黒縁のメガネをかけてないから紛らわしい。
人工心臓の開発は途中で挫折し、バルーンカテーテルの開発に舵をきるところで、ああこういうことかと冒頭の描写に納得した。

光石研が初め頼りになりそうで後では出入り禁止にしようとする実は学部長の顔色をうかがってばかりいるキャラクターで、立場が逆転すると大泉が高いことふっかけるのがちょっと爽快。

過去の再現で新幹線ひかりをCGで走らせ中ではタバコの煙もくもくというのが短いが印象的。





「バッドボーイズ RIDE OR DIE」

2024年07月04日 | 映画
アルマンドという見慣れないキャラクターが出てきてウィル・スミスが息子扱いするのだが冒頭で「初の」結婚式を挙げるのだから息子などいるわけないと思ったら、未見だった三作目の「フォー・ライフ」見たら魔女と言われた女が獄中出産したスミスの息子に間違いなく、あれまと思った。獄中に刑事の息子がいるなんて普通思います?

射撃ゲームみたいに画面の手前に拳銃を握った手があったと思ったらそのまま反転して銃を構えた二人の正面の姿になる、といったカットの画面デザインは新鮮。ドローンを爆撃に使うのも。

マーティン・ローレンスが冒頭で心臓発作を起こして冥界?をさまよってからときどき行動が無茶苦茶になるという設定はまあどうかしている。

オープニングタイトルでドン・シンプソンがジェリー・ブラッカイマーと並んで名前が出たので、シンプソンが生きていたのは「バッドボーイズ」シリーズ第一作目(1995)までなのに義理堅いものだと思ったら、ウィキによるとシンプソンはドラッグの濫用でブラッカイマーに愛想をつかされたのち亡くなったとある。

ソニーピクチャーズのロゴが百年記念でコロンビア映画時代からの松明を掲げる女神のデザインを次々と追っていく。





「朽ちないサクラ」

2024年07月03日 | 映画
警察と一口に言っても捜査と公安と事務とではまるで役割が違う、そのあたりの描き分けが不十分な感はある。

同じ原作者で同じ広島の警察を舞台にしていても「孤狼の血」の脂っこさとは対照的にすっきりしている。

セリフの中に出てくる人名が誰のことなのかなかなか顔と結びつかず、正直字幕出したらどうかと思った。昔の東映の実録ものみたいになりそうだが。

冒頭のつかみの殺し場が時間の順序からいくともっと後の方に来るはずだが、そのあたり混乱する。

カルトのテロ描写は周回遅れながら最近やっと描けるようになったかとは思う。もっと大物のカルトが現実にのさばっているからではあるが。





「九十歳。何がめでたい」

2024年07月02日 | 映画
初めの方で草笛光子が読む新聞の人生相談で相談するがイメージショットでひょっこり相談者の木村多江が実際に居間に現れるかなり凝った演出すると思っていると、そういうさりげない技巧が後までつながって展開していくのが「そしてバトンはつながれた」などの前田哲らしい。だいぶ前に脚本で組んだ「食鬼」でもそういう技巧派ぶりを見せていた。

唐沢寿明の髪型が思い切り変な以外は自然。
佐藤愛子が著書の書名から装丁までまんま再現しているのはちょっと驚いた。

場内は当然ながら年配者ばかり、かなりいい着物を着ているのが作中の草笛光子=佐藤愛子同様。

佐藤愛子の家の中は裕福で気ままな暮らしをうかがわせる調度で統一され、愛子の娘の結婚相手の男の姿はない、どうやら唐沢寿明のように「一度嫌いになった男とまたよりを戻すとこなどあるわけない」らしい。
女三界に家なしではなく、男三界に家なしである。それは家を放っておいたむくいだと笑いにくるみながら描く。