今日のフォト。 左写真、新しいものを発見。
あべの筋の沿道に、テラス席。
ドラム缶の上に板のテーブル、木の幹の椅子。
「さつま知覧どり」いいですね。
10月25日ですが、ジャックと豆の木みたいな
ノウゼンカズラは葉っぱがイキイキしています。
ノウゼンカズラは、12月頃には落葉するそうです。
ノウゼンカズラのことは、心配していませんが
朽ちてきている、木製の植木鉢が心配です。
さて、上町台地は、昔は「岬」だったそうで
上町台地の西側は、波が打ち寄せ
地層が削られ、急な崖が作られました。
険しい斜面を人工的にゆるやかにしたのが坂です。
11月16日のブログ、「阿倍野七坂」の坂は
必ずしも東から西への下り坂にはなっていません。
阿部野神社近辺の坂です。
興味深いことです。
今日の2つの坂は、東から西への下り坂。
勾配もキツイです。
まだまだ阿倍野には、たくさんの坂があります。
いつかまた坂めぐりが出来たらいいなと思います。
2024年10月25日=6234歩。
万歩計の数値は、1日の歩数ではなく
ウォーキングの時だけのもの。
写真は全て、スマホ撮り。
午前6時10分。
10月25日、大阪の日の出は6時12分。
お天気悪いのか、よくなるのかわからない。
播磨町の交差点、南港通を西に歩く。
西へ、西へ、西へ。
ミャクミャクくん、おはよう。
大原橋を渡る。
南海高野線、電車が通過。
西へ、西へ、西へ。
「靭(うつぼ)の坂」
大阪市阿倍野区帝塚山1-22-46
西へ下りてゆく坂です。
標石はありません。
「靭の坂」
西から東を見る。
「靭の坂」には、正式な名前は無く、その昔
靭邸という大きなお屋敷があり、その名残りから
「靭の坂」と呼ばれるようになったとか。
靭の坂を更に西へ進むと。
「すぐ帝塚山」という道標
大阪市西成区玉出東2-6-9
この道標から靭の坂まで、100mほど。
右面には「東三軒目北側森建之」と
刻まれています。
道標の前が、阪堺電車・阪堺線併用軌道。
えびす町行の電車が通過。
矢印が、「すぐ帝塚山」の道標。
「久保田の坂」
大阪市阿倍野区帝塚山1-22-31
道標もなく、正式な名前はありません。
その昔、石垣の上に久保田鉄工(現クボタ)の創始者
久保田権四郎氏のお屋敷がありました。
大阪の高級住宅街帝塚山に構えた大邸宅は
今は、大阪市立晴明丘南小学校になっています。
人々はこの坂を「久保田の坂」と呼んでいます。
お屋敷の石垣だけは、今も残されて
石垣と石畳の調和が美しい坂です。
吾 母に
引かれて歩いた
坂道を
今 母の手を引き
歩く吾
残された石垣と、大阪市立晴明丘南小学校。
歴史の散歩道の「つたい石」が続く。
南港通の歴史の散歩道の案内板。
晴れてきました。
万歩計の数値が少ないので、回り道。
住宅街クネクネ歩いて、公立高等学校、阪堺電車北畠駅。
3つの写真の共通は、ちょこんと「あべのハルカス」
阪堺電車・上町線併用軌道。
この日は、2つの坂を制覇。
我が町再発見は、実に楽しい。