マドンナのナイショ話

あなたに話したいあれこれ

ウォーキング(2024.1025 靭の坂・久保田の坂)

2024年11月17日 | ウォーキング

 

今日のフォト。 左写真、新しいものを発見。

あべの筋の沿道に、テラス席。

ドラム缶の上に板のテーブル、木の幹の椅子。

「さつま知覧どり」いいですね。

 

10月25日ですが、ジャックと豆の木みたいな

ノウゼンカズラは葉っぱがイキイキしています。

ノウゼンカズラは、12月頃には落葉するそうです。

 

ノウゼンカズラのことは、心配していませんが

朽ちてきている、木製の植木鉢が心配です。

 

 

さて、上町台地は、昔は「岬」だったそうで

上町台地の西側は、波が打ち寄せ

地層が削られ、急な崖が作られました。

険しい斜面を人工的にゆるやかにしたのが坂です。

 

11月16日のブログ、「阿倍野七坂」の坂は

必ずしも東から西への下り坂にはなっていません。

阿部野神社近辺の坂です。

興味深いことです。

 

今日の2つの坂は、東から西への下り坂。

勾配もキツイです。

まだまだ阿倍野には、たくさんの坂があります。

いつかまた坂めぐりが出来たらいいなと思います。

 

2024年10月25日=6234歩。

万歩計の数値は、1日の歩数ではなく

ウォーキングの時だけのもの。

写真は全て、スマホ撮り。

 

 

 

            

 

 

 

 

 

午前6時10分。

10月25日、大阪の日の出は6時12分。

お天気悪いのか、よくなるのかわからない。

 

播磨町の交差点、南港通を西に歩く。

 

 

 

 

 

西へ、西へ、西へ。

ミャクミャクくん、おはよう。

 

 

 

 

大原橋を渡る。

南海高野線、電車が通過。

 

西へ、西へ、西へ。

 

 

 

 

「靭(うつぼ)の坂」

大阪市阿倍野区帝塚山1-22-46

 

西へ下りてゆく坂です。

標石はありません。

 

 

 

 

「靭の坂」

西から東を見る。

 

「靭の坂」には、正式な名前は無く、その昔

靭邸という大きなお屋敷があり、その名残りから

「靭の坂」と呼ばれるようになったとか。

 

靭の坂を更に西へ進むと。

 

 

 

 

「すぐ帝塚山」という道標

大阪市西成区玉出東2-6-9

 

この道標から靭の坂まで、100mほど。

 

 

 

 

右面には「東三軒目北側森建之」と

刻まれています。

 

 

 

 

 

道標の前が、阪堺電車・阪堺線併用軌道。

恵美須町行の電車が通過。

矢印が、「すぐ帝塚山」の道標。

 

 

 

 

「久保田の坂」

大阪市阿倍野区帝塚山1-22-31

 

道標もなく、正式な名前はありません。

 

 

 

 

 

その昔、石垣の上に久保田鉄工(現クボタ)の創始者

久保田権四郎氏のお屋敷がありました。

大阪の高級住宅街帝塚山に構えた大邸宅は

今は、大阪市立晴明丘南小学校になっています。

 

人々はこの坂を「久保田の坂」と呼んでいます。

お屋敷の石垣だけは、今も残されて

石垣と石畳の調和が美しい坂です。

 

 

 

 

 

吾 母に

引かれて歩いた

坂道を

今 母の手を引き

歩く吾

 

 

 

 

残された石垣と、大阪市立晴明丘南小学校。

 

 

 

 

 

歴史の散歩道の「つたい石」が続く。

 

 

 

 

南港通の歴史の散歩道の案内板。

 

 

 

 

晴れてきました。

万歩計の数値が少ないので、回り道。

 

住宅街クネクネ歩いて、公立高等学校、阪堺電車北畠駅。

3つの写真の共通は、ちょこんと「あべのハルカス」

 

 

 

 

阪堺電車・上町線併用軌道。

 

この日は、2つの坂を制覇。

我が町再発見は、実に楽しい。

 

 

 


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