雨、23度、86%
今日は母の命日です。8年前に逝きました。香港で受けた訃報、急いで帰国、その翌日、母の残した言葉通りに血縁の息子と二人で送りました。暑い日でした。
この家の改築が始まっており、父の位牌は母の施設の部屋の保管してありました。毎年この日になると思います。お盆で帰っていた父が母を連れて行ったんだなと。
母が亡くなってから年々、母への思いが変わっていくのを感じます。私自身、歳を重ねているからだと思います。それでも母への嫌悪は心の底から消えることはありません。時折ひょっこりその嫌悪感が顔を出します。時には口にしてまで「嫌な人」と思います。
私が18歳で家を出て東京に行って以来、母は正に同じこの家の40数年ひとりで住んでいました。掃除をしたり、庭で草をいじったり手を動かしている時、「いったい母は、毎日の時間をどう過ごしていたのかしら。」と思います。掃除をするわけでもありません、庭に草花を植えるような人ではありません。以前はこの家に帰って来る度に私は掃除から始めました。母を施設に入れて、いよいよ改築の前の整理に入った時、どこから手をつけていいのか呆然としたことをはっきり覚えています。
ホトトギスが庭に咲きました。この花を教えてくれたのは母です。夕方散歩をしながら、古い北原白秋の歌が口をついて出てきました。この歌を私に教えてくれたのは母です。そんな風に母を思い出します。朝走って家に帰る時、福岡の南に向かって走る道に出ると短い間ですが「油山」が視界に入ります。母が初めに入った老人施設のあたりが遠くに見えます。すると「お母様、ごめんね、」と自分では思いもかけな言葉が心に浮かびます。なぜでしょう?何にごめんねって言っているのかもわかりません。でも今では「油山」が見えるといつも心に浮かぶ言葉です。
母娘の確執を耳にすると、私だけではないことに安堵します。「嫌な人」「嫌いな人」に変わりはありません。それでも何かが私の中で変わり始めていると気付きます。そして、その変わり始めている自分を好きだと思います。
お仏壇は始末しました。毎朝、お線香をあげ、手を合わせる父母の写真です。