雨、20度、90%
魚の練り物を揚げた食べ物を福岡では「天ぷら」と呼びます。「さつま揚げ」と呼ぶ地方もあるようです。おでん、おうどんに入れたり重宝します。子供の頃は近くの商店街に「蒲鉾屋」さんがあり昼前、夕方には練り物を揚げて「天ぷら」を作っていました。店先の天ぷら鍋からいい匂いです。母が実家に帰っている時など父が私の手を引いて、昼にはこの「蒲鉾屋」に行きました。丸や角の「天ぷら」ではなく父のお目当ては「ちぎり」でした。「ちぎり」は練り物の残り物を小さく菜箸で油に入れ揚げたものです。熱々を新聞紙に包んでもらいます。その「蒲鉾屋」からすぐの食料品屋で私は「のりたま」を買ってもらいます。家に帰ると炊き立てのご飯に父は「ちぎり」を乗せて、私は「のりたま」を振って食べました。父のご飯は丼によそわれていました。昭和30年代の話しです。今のように栄養価がどうの、生野菜がどうのなど誰も言わなかった時代です。
父は47歳で亡くなりました。父の生きた時間よりはるかに長く私は生きて来ました。最近、食べ物の好みが父に似ていると強く感じます。好みだけでなく食べ方も。お豆腐、卵、お魚、父ならではの食べ方でたくさん食べる人でした。そうそう、お酒の飲み方も豪快でした。小学生の私がお酒を盗み飲みしていても、叱られませんでした。「真奈さん、ちゃんと注いで飲みなさい。」父が言ったのはこの一言でした。
どこの街にも揚げ物を売る店がなくなりました。コンビニ、スーパーのお惣菜売り場が取って代わっています。油のはじける匂いは街から消えました。久しぶりに「天ぷら」を買いました。湯通しして、熱いところをご飯に乗せてそれだけがおかずです。「美味しい。」父の嗜好が私に流れています。