晴、9度、56%
今年はインフルエンザのワクチンの生産量が少なかったそうです。高齢者の接種までふた月待ちました。毎月初め問い合わせました。行きつけの病院以外も尋ねました。かかりつけの病院以外は断られます。施設は集団生活ですので少しでも早く接種させたいと思っていました。今月に入ってやっと余剰分が出たので接種できることになりました。当初来週の月曜日に受けるつもりでしたが、病院側から手持ちの数が少ないので少しでも早く来院くださいと連絡がありました。予約も受け付けてはくれません。そんなわけで、雨が朝から降る中、昨日義母と病院に行きました。
病院に行くために、朝早くから職員の人の手を煩わせます。寒くなっていますから、着るものも多くなります。迎えに行くと、玄関に車椅子に座って待っていました。私を見ても微笑みません。「あれ?具合が悪いのかしら。」と心配になります。私の車へは職員の方が手慣れた様子で乗せてくれました。小降りになった雨の中、病院前で義母を車椅子に移すのは私の仕事です。会うたびに足腰の力が弱くなっています。車椅子へあと一歩が大変です。すると通りがかりの女性が手を貸してくださいました。「私、病院の職員です。」おかげでやっと車椅子に座らせることができました。
予防接種と整形外科の簡単な診察でお薬を出してもらいました。別条はないのですが、どこが痛いここが痛いと言うのだと施設の職員から聞いています。
会った時から様子がいつもと違うと思っていました。表情がなくなっています。私の言葉や医師の言葉への反応がなくなっています。かと思うと急に取り留めのないことを話し始めます。私の携帯から主人に電話、代わるといつもは表情が和らぐのですが、主人が話しているのを聞いている様子がありません。
認知症が進んでいることもあるのでしょうが、高齢者特有の表情、感情の表れが少なくなることがこのたった2ヶ月で急に進んだと感じます。薬局での待ち時間が長くなりました。私が話しかけてもほとんど頷くだけです。一人暮らしよりは施設にいると他人との接触があり刺激があるのではと思います。その一方、他人任せになることで主体性がなくなります。94歳の義母、訪ねてくるのは私だけの現状です。抱きかかえ乗り降りをさせる時、義母の暖かな体の匂いがします。昔と変わらぬ匂いです。「老いること」の難しさを感じます。小さくなった体を車に乗せるとホッとしたものの涙が出て来ました。
家に帰って義母との時間を思い返しました。何かすっきりとしない重いものが私の中に残っています。冷たい雨、年の瀬に向かうこの季節、理由なく済まない気持ちで今朝も目覚めました。「生きて行く」ことの大変さを思う一日でした。
矢野の母が数回の脳梗塞で倒れる前に言っていた事
”八寿子さん、老いるとは、孤独で哀れよ”
義母は物事の本質をズバリ言い当てている事が多々ありました。
生きるとは…
すんなりいかないものですね。
それからもうひとつ
”息子の子は孫じゃなくて嫁さんの子よ”
その通り!
高齢でも身体が動き、頭がクリアーなら潔く見えますね。
義母は変わり目を迎えたのだと思っています。そしてこれからが長くなるとも。