曇、11度、78%
昭和の30年代、我が家には小さな円筒形の湯沸かし器がありました。流しの前に取り付けられていて、自動点火ではなくマッチを使って火をつけました。「ぼっ!」と大きな音が出たのを覚えています。その音が怖くて私はその湯沸かし器を使ったことがありません。
冬の朝、水仕事をするのは勇気がいります。「えいっ。」と心の中で掛け声をかけて蛇口をひねります。最初のその瞬間、「冷たい。」と体全身に冷たさが伝わります。この一瞬が嫌なのです。思い出せば母も父も冬でも平気で水仕事をしていました。父に洗車の手伝いを頼まれても気が進みません。「井戸水だから、温かいよ。」と父が言います。20年ほど前まではポンプで吸い上げて井戸水を使っていました。母の話ではある時急に「水枯れ」を起こしたそうです。以来、水道水に変えました。
母は例の円筒形の湯沸しの湯を使わずに蛇口の水で洗い物をしていました。聞いたことはないのですが、あの大きな点火の際の音が嫌いだったのではないでしょうか。大人になれば冬の朝でも冷たい水が平気になるものだと、父母の背中を見ていました。
息子が生まれると私だって冬の朝の水仕事を平気で出来ると思っていましたが、いまだに「えいっ。」と掛け声をかけて始めます。
改築後、この家の蛇口からはすぐにお湯が出るようになりました。ガスを点火することなく、ただコックを右左に回すだけで水とお湯の切り替えが出来ます。非常に便利です。今の住宅ではどこの家庭でも当たり前のことでしょう。若い世代の人は意識することなく、朝から夜までお湯をじゃんじゃん使って、洗顔や洗い物をします。夏の暑い時でもお湯で洗い物です。「贅沢だなあ。」と羨ましくその姿を見ます。
恥ずかしい話ですが、「お湯を使うのはもったいない。」と今でも思う私です。お湯で顔を洗うような身分ではないとまで思います。お肉の脂で汚れたお皿もお湯で洗えばすぐに綺麗になるのに、まずは紙で脂を拭って、それでも落ちない時にやっと蛇口の上のコックを左に倒してお湯を出す始末です。
私より年上の義母は家にいた頃、一年中お湯で洗い物をしていました。「羨ましいなあ。」と思いますがお湯を使うと胸が痛みます。金銭に換算すれば大した金額でないことは承知です。この胸の痛みはなんだろう?おそらく、冷たい水で冬でも水仕事をしていた両親の背中だと思います。
寒くなり始めました。この冬も「えいっ。」と掛け声をかけて水仕事を始めます。
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