小雨、17度、88%
一枚の古い小皿がこの家にはあります。父母の道具類の整理の時、この小皿は残しました。残すか残さないか、即座に決めました。判断基準は私が使うか使わないか、好きか嫌いかでした。好きなものでも傷みの酷いものは捨てました。
径が15センチほどの絵付け皿、中国の古い物です。母の話では、父が結婚前から持っていた皿だそうです。しかもたった一枚。欠けも貫も入っています。父はどこで手に入れたのでしょう。戦後の「古物商」の薄暗い店の中で物色する父の姿を想像します。店構えが立派な「骨董」の店ではなく、間口一軒ほどの「古物商」です。埃をかぶったものの中からこの一枚の皿を選び、包みを手に店を出てくる父を目の前で見ているようです。
私は長く香港に住みました。しかも「骨董」「古物」を扱う店が軒を連ねる「ハリウッドロード」まで坂を下って5分ほどのところにいました。紛い物の銅像や「骨董」、中にはびっくりするほどの値段がついたものもありました。私の小さな財布から家で使えそうなものを買いました。自分が作る料理を乗せることを考えて選びます。主人と旅した中国の街、欧州の街でも「古物」を売っている店先に足を止めました。荷物が重くなるので買い求めこそしませんでしたが、見るだけ、手に取るだけで喜びがありました。店の人に教えてもらう裏書の読み方、時代の話、絵付けの特徴、おかげで少しは中国の「古物」がわかるようになりました。
「父の皿」は高価な品ではありませんが、安手な物でもありません。時に大きなアロマキャンドルを乗せて使います。今は皿立てでガラスの飾り棚に収まっています。毎日、目にします。時にはこの皿の重みを手に感じます。「何か食べ物を盛ろう。」
60歳を過ぎ、物の好みが父に似ていることに気付きます。父は私が12歳の時に亡なりました。身近で父を知っているわけではありません。なのに父に似ている自分に出くわします。食べ物の好み、機械好き、古物好き、今にしてその原点を見つけました。父です。
この「父の皿」に何を盛ろうか、今考えています。
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